不確かなものと柚餅

昨日の朝日新聞朝刊に、分子生物学者の福岡伸一さんと、評論家(哲学者)の柄谷行人さんの対談が掲載されていました。

読んでいろいろと考えるところはあったのですが、私がこの対談を読んで感じたことは、「わからない」ということをもっと大切に考えろということです。

科学的認識というのは、あらゆる事物の中に、法則性、因果性などの、分かること=真理を見出していくものです。しかし科学認識というのはむしろ常に仮説であるということを、私たちは忘れてはいけません。

同じ遺伝子のセットを使って生命を操作しても同じ結果が現れるとは限らない。こういった因果性という考え方そのものに疑問符がつくような事例は、限りがありません。

カオス理論とよばれるものがあります。それは、不規則で予測がつかない事象を取り扱う学問ですが、それが志向するところは、「一見不確かなものだが、しかしそこに決定論的な真理を見出すこと」にあるように思えます。 「不確かに見えるもののなかにこそ真理がある、それを見出すことこそ私たちの喜び」 そういった人間の倒錯した心象がそこには反映されています。

現在さかんに言われているCO2規制の問題についても、これらが科学的根拠をもとに言われている以上、疑ってかかってみなければなりません。
実際のところ、CO2が増えたせいで地球温暖化が進行した、という考えには、おなじ科学者たちの間でもたくさんの異論が出ています。この対談のなかでも、柄谷氏が「CO2の増大は温暖化の原因ではなくその結果だ」という物理学者の槌田敦氏の見解を紹介しています。

いま、巷はエコブームです。ITのあとはエコだ!と高らかに謳う大企業の宣伝部長もいます。
しかし、環境問題は資本主義経済の根幹にある負の側面と直結していることを少しでも考えるならば、「エコ」という合言葉によってさらに資本主義経済が発達していく現在の状況には、あれれ?と思わざるをえません。CO2規制も、資本主義経済という地球上最強の肉食動物の格好の餌食となっています。

世の中は基本的に快楽至上主義で動いています。そしてこれからもそれは続きます。このことを反省する、というより、このことを一人ひとりがまずは自覚することが大切です。自覚したあとの一人ひとりの倫理問題については、とやかく他人が口出すことではありません。ただ、「不確か(かもしれない)」という場所で人が踏みとどまることで、良い方向に変化することは世にたくさんあるような気がします。

それにしても・・・教える側としてはいろいろと考えてしまいます。いまや地球温暖化=CO2増大のため、という図式は、社会科と理科において受験に出る必須項目です。科学も歴史も100年後には通用しないことが教科書にはたくさん載っています。学問というのは根本的に不確かなもの、そのなかで教える側としてどのように伝えていくか、というのは、教育、というよりそれぞれ生き方の根幹にかかわる大切な問題です。



昨日、京都に行った卒業生(福岡中央3年)から柚餅をもらいました。
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まだもらって十数時間しか経っていませんが、とてもおいしかったので完食してしまいました。けっこうな量あったのですが。

それにしても毎日甘いおいしいものを食べています。10年後(5年後?)が心配です。
久しぶりに会った卒業生I君は、以前よりずっと大人になっていました。
誠実さと聡明さと繊細さを感じるその立ち振る舞いに、本当に立派に成長したなあとしみじみ思わざるを得ませんでした。
by terakoyanet | 2008-04-08 13:05 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)