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大学に行ってよかったこと。

私は地元の大学に進んだ後、大学院まで進み、しかも人より卒業までに長い時間がかかり、大学に支払った学費は1000万円を超えます。
この前友達と飲んでいたとき、「1000万払ったんだから、大学は教室の1個や2個くらいくれてもいいはずだ。」「新しくできた教室1つは払った学費でできたね。」などと冗談で話していたほどです。


大学は大いなる時間とお金の浪費。
私の大学時代というのも、将来の投資にしてはあまりに時間が長く、また、あまりにお金を使い過ぎた感があります。

しかし、その一方で、いまになって、大学に行ってよかったなーと思えることというのは、実はいくつもあります。それを少し挙げてみようと思います。



よく子どもは「将来の夢は何?」と聞かれます。私も子どものころ、これには困りました。
将来の夢がないことはまるで悪いことのような無言の圧力を感じ、悩んだものでした。

でもいまでは思います。将来の夢がないということは決して悪いことではないと。
確かに将来の夢があると、それに向かって日々努力できる。それはすばらしいことです。

夢というのは子どもたちの大人への憧れが投影されるもの。いまの大人たちに、子どもたちに憧れや妄想を抱かせるほどの輝きがあるかといえば甚だ疑問です。
子どもたちと将来の話をしていると、まだ中学生なのに、夢というより、超現実的な、社会と自分との妥協点を見出している子が多いことに驚かされます。

私は、中学生に「将来の夢は何?」と執拗に迫るのは間違いだと思っています。
子どもたちが現実と自分との妥協点を見出すなんてつまらない結果になってはどうしようもないのです。
繰り返しになりますが、「将来の夢」を持つというのは、基本的にすばらしいことです。
しかし、それは大人になっていく過程において、方法論のひとつである、という地位にとどまらせおくべきだと私は思っています。


先日、あるお母さまからいただいたお手紙に、「何をやりたいかわからないなら、まず勉強しなさい」という言葉がありました。私はこの言葉に「そうそう、その通りだ」と思いました。

人間が決定的なものと出会うときは、私が選び取ってそのものと出会うというよりは、私がそのもののほうから選ばれるものです。私がいままで培ってきたもの、努力して自分のものにしてきたこと、の反映物として、相手側から私の方に不意に現れ出るのです。

そうやって、相手から選ばれた形で得た道というのは、まさにその人の道となり得ます。
何の努力の裏打ちもなく、ただの憧れで就いた職は、その人の天職とはなりえません。
そうではなく、いままでやってきたことに対する回答として、まるで相手側からこんにちはと私のほうに転がり込んできたような道こそがその人の天職となりえます。
だから私も言いたいと思います。「何をやりたいかわからないなら、まず勉強しろ。」
(この場合の「勉強」というのは、受験勉強とは若干ニュアンスが異なります。)


私にとって大学というのは、将来特にやりたいことなんかない自分をもてあましている時期でした。現在の職というのは、そのころ特に希望していたわけではありません。
しかし、大学時代に家庭教師を90人以上やったことや、大学院時代に毎日1冊ずつ本を読んで多くの考えを吸収したこと、研究会を立ち上げて教授や友達たちとさかんにやり合ったことの反映として、現在の自分があると思っています。

自分のこれまでやってきたことに対する回答が返ってくるまでには、かなりの時間がかかります。そういった意味で、私の長い大学・大学院生活というのは、回答が返ってくるまでの猶予を与えてくれた期間であり、それは決して無駄ではなかったと思っています。



大学では、さまざまな友達との出会いもかけがえのないものとなりえます。
私の場合、いまでもつながっている友達というのは、大学・大学院時代の同級生や後輩、先生方が多いです。
大学に行ってよかったこととして、人間関係の深化が挙げられます。
高校までより人と深くつき合うことができ、いままで思いつきもしなかったような新しい考えに出会い、お互い刺激しあうことで、自分の考えというのが、めまぐるしく変化していきます。

大学で人や学問とぶつかった人間にとっては、大学時代というのは、第2の人格形成の場と言っても差支えありません。大学でのさまざまな出会いによって、人は大きく変容します。
そしてその変容がその人の将来を決定づけます。


大学では、何かを一途になってやってみる。人や学問と真剣勝負でぶつかってみる。
卒業生たちにも、それぞれいい大学時代を送ってほしいと思います。
Commented by 卒業生の母 at 2008-04-22 17:38 x
我が子は高校に入って数ヶ月は、張りのある生活を送っていたのですが、一年の夏ぐらいから、独りでしきりに考え込むようなり、いまいち勉強にも集中できなくなり…。まだなんとか学校の平均ぐらいはいっているようですが…。この一年、自分で何がしたいかわからない、将来に希望が持てない、そういう生活が続いているようです。
鳥羽先生に相談したらと言うのですが、遠慮からか相談できないまま時間がたちました。
お話を読んで、やはり鳥羽先生に相談したらいいのに…、と勝手なのですが思ってしまいました。
Commented by 鳥羽先生ファンな親 at 2008-04-23 00:36 x
うちも、入学したばかりですが、早くも見失いつつあります。三年生の間は嫌でも高校受験勉強という、やるべき事が明確でしたが、晴れて高校生になった今、とりあえず大学に…という漠然なものしかなく、学校生活も楽しそうにはみえません。高校では積極性が必要だし、消極的な我が子は、精神的に下降気味で心配です。
Commented by terakoyanet at 2008-04-24 01:42
卒業生の母様コメントありがとうございます!
私自身、高校時代はかなり宙ぶらりんな生活を送っていたので、どれだけ力になれるかわかりませんが、少し気持ちを楽にさせてあげることくらいなら、もしかしたらできるかもしれません。
ぜひメールでも電話でもしてみてください。遠慮は無用です。

必ずしも早急に将来に希望を見出す必要はないと思います。
学校の成績もそれほど悪くないのであれば、焦る必要もありません。もう少し長い目でじっくり腰をすえて考えることができたら一番いいのですが、それこそきついことなのかもしれませんね。
いずれにしてもご相談下さい。
Commented by terakoyanet at 2008-04-24 01:59
鳥羽先生ファンな親さまこんばんは。
まだまだ高校生活は始まったばかり。いまから少しずつ楽しいことを見つけていければいいのではないか(というかぜひ見つけてほしい!)と思います。

私自身、高校時代、楽しい思いで学校に通っていた記憶はあまりありません。ただ、断片的には、とても楽しいこともありました。

確かにお子さんは積極的な子という感じではないのですが、あの穏やかなマイペースさこそが持ち味と思うと、確かに少しは心配ですが、もうしばらくぼーっと見守ってあげていればいつのまにか立派な子になったなあということになるのではないかと思います。

人間的に曲がったところがなく、友達との関係もうまくやれますし、勉強が不得意な子でもなく、いつでも最低限の礼儀を持ち合わせている子ですから(ご自宅でのようすはその限りではないのかもしれませんが)、彼は充分に自分の道を見つけてやっていける力があると思っています。

今後も彼の人生の節目にいっしょに話す機会があればうれしいなあと思います。また、節目でなくともぜひこれからもお話しする機会があればと思います。
by terakoyanet | 2008-04-22 10:32 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(4)