ごくせんと若い女の先生

さっきフジ系のTNCでコンバットⅡを見た。このテレビ、深夜放送だから時間的に子どもには奨められないがかなり面白い。今日もかなりウケました。若手芸人ばかりが集まったお笑い番組だけど、それぞれの芸人にそれなりの実力があり、その実力をガチンコでぶつかり合わせてるのがとても楽しい。私の世代の人だったら、かつての「夢で逢えたら」とか「とぶくすり」とかを連想させる勢いのある番組。

今夜はその中で「ごくせん」のパロディーがあって、とっても面白かった。
私自身は「ごくせん」はあまり見たことがないけれど、このパロディーはよかった。

本ドラマでは、ヤンクミがヤンキーたちに説教してとてもいいこと言っている場面はいわゆる感動シーンなのか、暴れ者のはずのヤンキーたちが静かに聞き入っている。まるでそれは遠山の金さんの成敗のシーンのようだ。

しかしこのパロディーでは、静かに聞き入っているヤンキーに混じって一人、文学座風の学生がヤンクミがせっかくいいこと言ってるのにそれを聞かずにそれどころか自分勝手に意味不明で場違いな発声練習のようなことをやったり動きまくったりしてヤンクミの話なんか聞かないのだ。

ヤンクミの名セリフもこれでは片落ちである。その名セリフが導くはずの大団円は消え、収拾がつかなくなり、わけのわからないままそのシーンは終わる。すべてを感動ドラマにしなければ気がすまないヤンクミに対する大いなる風刺ともとれるこのパロディーは、なかなか痛快だった。


痛快ついでに言っておくと、このごくせんのために、なんとなく肩身がせまい思いをしている学校の先生方(特に女の先生)がもしおられたらとても不憫に思う。
ごくせんはフィクションだから、実際と混同するほうがおかしいという意見は当然あるだろうが、ただしこのドラマを見ている子どもたちは意識無意識にかかわらず、このような番組の影響を受ける。ヤンキーがかっこいいといい風潮が増長され、さらに、そういう子どもの目から見て、ヤンクミの対極にある、生真面目な女性らしい若いかよわい先生が、もしつまらない先生とうつるのなら本当にかわいそうだと思う。

若い女の先生が、荒れた中学・高校でどれだけ蔑まれていることか。子どもをいじめから守る取り組みはさかんだが(といっても全くもって十分ではないが)、先生をいじめから守る取り組みというのはほとんど忘れられている。でも真面目な女の先生ほど中学・高校でバカ学生(言葉が悪くてすみません)からひどい仕打ちを受けている。

私が中学生のころ、隣のクラスの担任の若い女の先生が、学期途中に病気で忽然といなくなった。噂によると、その先生は精神を病んで療養することになったと聞いた。でも、わたしはそれを聞いても一瞬ああかわいそうだなあと思っただけでさほど心を動かされることはなかった。その当時の私は、おそらく子どもだったから、先生だって自分と同じ弱い1人の人間だという簡単なことがわかっていなかったのだ。先生は「大人」だから自分とは違う、と思っていたのだ。

子どもが容易に先生を傷つけてしまうのは、先生という仮面の後に、脆弱な人間性が横たわっていることに対する想像力の欠如からだ。先生だって傷つく、先生だって弱い、だからかわいそうだ、そういう簡単なことが子どもにはわからないのだ。

先生どうしの助け合いが上手くいっている稀な学校では、若い女性の先生を、強面の男性教師が背後で子どもたちに何らかのプレッシャーをかけて守っているところもあるだろうと思う。しかし、若い女の先生が、もうどうしようもないほどただ痛めつけられている学校が多くあるのも事実だ。先生たちどうしはライバル関係で、虚栄心がはたらく。ある先生が生徒を統率できていないのに、自分ができている場合、それ見たことかと自分の指導力を誇り、そうでない先生を尻目に懸ける・・・そういうことは、学校ではよく見られる光景だ。これでは若い女の先生たちは、窮地に追い込まれるばかり。

合わないならやめてしまえばいい、そう言うのは簡単だけど、私はそうじゃないと強く言いたい。
その先生が自分の力を十分に発揮する前に、女の若い先生というだけで、生徒たちになめられ、いい指導をする機会をつぶされてしまう。この状況をただほっといて、合わないなら、生徒を統率できないならやめてしまえなんてひどい言い分だと思う。
若い先生たちは「そのうちやり過ごせるようになるよ」とベテランの先生たちに言われる。しかしやり過ごせない人だっているし、やり過ごすことが嫌な人だっているのだ。なんとかベストを尽くしたい、子どもたちにきちんとした指導をしたい、そう真面目に思っている先生ほど潰されてしまうことも多い職場なのだ。

そういう修羅場にいる女の先生たちにとって、ごくせんは応援歌になり得るのだろうか。
ごく一部の先生にはなり得るかもしれない。しかし、実際には遠山の金さんの成敗のようには上手くいかず、一番伝えたいことを話しているときには、決まってどうしようもない闖入者が現れる、それが現実ではないだろうか。

私は、子どもたちに、先生というのは意外と未熟な生物でみんなと同じか弱い人間なんだ、でもだからこそ、先生が言うことには耳を傾ける価値があるんだということを、伝えていけたらと思います。
Commented by 評論家志願者 at 2008-05-31 20:50 x
こんにちは。ブログに教育論その他を書いています。
よろしく。
by terakoyanet | 2008-05-30 02:58 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(1)