点など存在しない?
2008年 06月 03日
よって、点の集合が線なのではありません。点は言ってみれば無であり、無である点がいくら集合しても0は0のままです。
では線はどうでしょうか。線には長さのみがあります。線に幅はありません。ただただそれは直観的なものです。
よって、線の集合が面なのではありません。線に幅がない以上、二次元的な広がりは生まれません。線がいくら集合しても0は0のままです。
では面はどうでしょうか。面には長さと幅のみがあります。面に高さはありません。
面に高さがない以上、面に実体はありません。とことんそれは観念的なものです。
よって、面の集合が立体なのではありません。面には高さがない以上、空間的な広がりは生まれません。面がいくら集合しても0は0のままです。
それでは立体の正体とは何なのでしょうか? 点の集合が線ではなく、線の集合が面ではなく、面の集合が立体ではないのだとしたら、立体とは何なのでしょうか。
立体こそが実在なのでしょうか。立体が本当に実在ならば、実在を説明するために、なぜ私たちは観念ばかりを必要とするのでしょうか。
点と線、線と面、面と立体の間にはそれぞれに大きな隔たりが横たわっています。わたしたちは点と線、線と面、面と立体を完全に分離して考えることはできません。しかし、それなのに実はそれらは論理的に接合してはいないのです。そして、そうでありながら私たちは、点という限りなく純粋な0の地点に身を預け続けています。
ユークリッドの公理という方便が通用しないことが明らかになったところで、私たちは公理の類いを手放すことはできません。公理の不完全さに身を震わせながら今日もまた、数学の問題を解いていきましょう。
私は算数・数学を教えているのですが、この記事のような観点のことを教えたことも
話したこともありません。
勉強不足ですから…。
感心することしきりの記事でした。
コメントいただけてとてもうれしいです。なんだかわかりにくいこと書いてしまったかな~~と思ったときに、反応をいただけるのはありがたいことです。
うれしいついでに駄文を少しだけわかりやすく書き換えました。卒業生の大学生・高校生たちが読んでくれたらうれしいと思いつつ。
最近何度かとよ爺さんのページにコメントをしかけたのですが、気のきいた言葉が浮かばず、途中で断念していました。
今後も毎日ブログ拝見させていただきます。
いろいろ考えると頭がおかしくなりそうですが、面白いですよね。
上の文章で「点の集合が線なのではありません」と言っているのはある意味では正しいのですが、ある意味では正しくありません。
はじめから点も線も実体のないものと考えれば、線は点が持つ虚無性をただ縦(または横)方向に引き伸ばしたものと説明することも辛うじてできると思います。
確かに点がいくら集まっても線にはなりません。
ただ,点が動くと線になり,線が動くと面に,そして面が動くと立体になります。
さて,これは「ユークリッド公理の不完全さ」ではなく,「理想化」ですね。
記憶で書くので,適当に読んでください。プラトンは,イデアの世界を考えています。イデアの世界には,理想的な「点」「線」「面」がある。理想的な三角形がある。しかし,それを現実の世界にもってくると,不完全な三角形になる。
しかし,私たちは現実の世界での三角形を論じるのではなく,イデアの世界の三角形を論じなければいけない。そうしなければ,このように数学は発展しなかったでしょうから。
まあ,ぼくもよく分からないままに書いているので,これを読んでもよく分からないでしょうね。失礼しました。
Yujiさんの理想化とはその通りというかんじです。もう少し言い換えれば、理性化という感じさえします。
イデアの世界の三角形を論じなければならないというところにある決断(選択?)に、人間の理性の凄みというか恐ろしさを感じます。
しかし現実の世界をイデア的認識が支えているのかと考えると、イデアの世界も現実の世界もどっちがどっちだかわからなくなって、ちょっといろいろ頭が混乱してしまいます。