握手 井上ひさし
2008年 06月 16日
ひさびさに会ったルロイ修道士に対して主人公の「わたし」が次のように言います。
「日本人は先生に対して、ずいぶんひどいことをしましたね。交換船の中止にしても国際法無視ですし、木づちで指をたたきつぶすに至っては、もうなんて言っていいか。申し訳ありません。」
それに対するルロイ修道士の言葉。
「総理大臣のようなことを言ってはいけませんよ。だいたい、日本人を代表してものを言ったりするのは傲慢です。それに、日本人とかカナダ人とかアメリカ人といったようなものがあると信じてはなりません。一人一人の人間がいる。それだけのことですから。」
このルロイ修道士の言葉は私も大切なことだと考えます。
まず、日本人はああだ、中国人はこうだ、アメリカ人はどんなだ、とか言ってる話は基本的にあてになりません。何も国民性とか言った言葉を完全に否定するわけではありませんが、ただ、そういう話というのは、結局のところ強引に言ってしまえば血液占いなんかとさほど大差はないと思うのです。ステレオタイプの日本人像に当てはまる人もいれば、そうでない人もいる。世間のB型像にカッチリ当てはまるB型の人もいれば、そうでない人もいる。(ちなみに私は典型的なB型だと関係の深い身近な人たちから言われます。)
そして日本人を代表してものを言う、自分の考えをさも日本人一般の型として発言する、そういったことはルロイ修道士が言うとおり傲慢だと私も思います。「日本人」という言葉で、いきなり大勢の人間を無差別に自分の言説に巻き込んでしまうのですから、それは実はとんでもないことです。
だから私は、ルロイ修道士同様に、日本は、日本人は、中国人は、とか、そういう一つのカテゴライズされたものにすぎないものを平気で主語にして語る、その語り口が好きではありません。
「握手」は全体にとても面白いと思います。3年生も自分なりの感想が思い浮かぶくらい、じっくり読み込んでみてください。