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伊達公子 is Back.

クルム伊達公子選手が、全日本選手権の個人と団体でW優勝した。
なんと16年ぶりの優勝。伊達選手が前回全日本で優勝したとき、いまの中学生たちはまだ誰もこの世に存在しないのだ。



16年前、私は高校1年生だった。
中学時代に男子テニス部のぐうたら部員だったこともあって、私は伊達選手の活躍を深夜のテレビにかじりついて見ていた。


特に私の高校時代(1992~94年)の彼女の活躍はすさまじく、高校でも前夜の彼女の活躍についての話題でもちきりだった。94年、伊達選手は日本人で初めて世界ランキングのトップ10に名を連ねる。

そしてぼんくら高校生だった私は、まだ発売まもなかったプレステのテニスゲームで「ダテ」選手を育成し、「グラフ」と対戦させて勝利し、悦にひたっていた。



プレステゲームのなかの私の「ダテ」選手は、世界のテニス女王「グラフ」選手に圧倒していたが、96年に、ゲームのなかの夢が現実化する事件が起こる。



96年4月、東京で行われた国際大会で、伊達選手はグラフを破る。
この試合の白熱ぶりはすさまじく、ラストゲームが12-10で終わったとき、その試合を見守る人たちは歓喜の前に一瞬の静寂を必要とした。人々には目の前の事実をうまく飲み込むための時間が必要だったのだ。そして一瞬の静寂のあとの歓喜は、爆発的に日本中に広まった。



その試合の3ヵ月後、伊達とグラフは再びウィンブルドン準決勝で対決する。
この試合は3ヶ月前にも負けず劣らず、いや、というより、3ヶ月前よりさらに激しい白熱の試合となった。


このときの試合の状況をWikipediaではこのように解説している。


1996年7月4日-5日の2日間にわたり、ウィンブルドン準決勝でグラフと最後の対戦をする。
第1セットはグラフが 6-3 で先取したが、第2セットを伊達が 6-2 で取り返したときに試合が日没順延となり、翌日に持ち越された第3セットはグラフが 6-3 で取ったため、日本人選手初の4大大会決勝進出はならなかった。



伊達選手はウィンブルドンのあと、五輪といくつかの大会で活躍したあと同年の9月に引退を発表する。
伊達選手が引退したのは彼女が26歳になったばかりのとき。あまりに若すぎると、惜しむ声が多く聞かれた。

しかし同時に多くの人が彼女の早すぎる引退に納得の声をあげた。
この納得の原因にはグラフとの試合がある。
彼女の引退に多くの人が「伊達は本当によく頑張った」と思った。
彼女自身、達成感を得て引退を迎えたが、その達成感は、見守った私たちも共有していた。





そしてその彼女が帰ってきた。日本一になった。










追記:伊達選手自身は、今回の快挙を自身のひとつの通過点として、喜びながらも淡々と受け止めていらっしゃることと思います。自分に対して常に責任のある行動を課している人というのは、その結果も冷静に受け取ることができるような気がします。今後の彼女の活躍を期待しています。

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by terakoyanet | 2008-11-17 02:27 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)