2019年 04月 22日 ( 1 )

カトリックの人たちにとって、復活祭(イースター)はクリスマスと同等に、もしくはそれ以上に大切な祝日です。その日を狙った同時多発テロが、この10年間治安が安定していたスリランカで起こりました。

私は昨年の9月、今回 テロの標的になった、コロンボの聖堂 St. Anthony Shrine を訪問し、今年の1月に「コロンボにて」という記事を書きました。この記事では、この聖堂での出来事、頂いたカレーの味わい、そしてスリランカという多民族国家の「苛烈な現実」について書きました。まさに今回の事件は、スリランカの「苛烈な現実」を改めて思い知らされる出来事となってしまいました。心が強く揺さぶられて、何も手に付かないほどです。

私は、標的になった聖堂を最近訪問した数少ない日本人として、そして自身もカトリックの家に生まれ教会に育てられた人間として、何かを書いておかねばならないという義侠心のようなものに駆られ、いまパソコンの前に座っています。



今回テロのターゲットとなったコロンボの St. Anthony Shrine は、スリランカのカトリック教会を代表する建物です。そして同じくターゲットとなったコロンボの近郊の町ネゴンボは、最も古くからカトリック教徒が多く住みついた、信者たちにとって特別な意味を持つ町です。今回のテロは、スリランカのカトリック教徒にとって最も大切な日に、最も大切な場所で起こったのです。ですから、スリランカのカトリック教徒たちはいま、想像もつかないほどの動揺と恐怖にふるえているでしょう。そして信仰と生命を同時に攻撃されたことに対する強い悲しみと憤りを感じているに違いありません。


「食べていきなさい。」
St. Anthony Shrine の2階の階段の前で、何の迷いもなく私にカレーを食べて帰るよう呼びかけたあの女性のことを思い出します。(『コロンボにて』を参照のこと。)
「カトリックの方たちがカレーを食べに来るのですか?」私は彼女に尋ねました。
「いいえ、違うわ。カトリックでも仏教徒でもヒンドゥーでも、ここでは誰もが無料でカレーを食べていいの。神は信仰によって差別すると思う? 神は信仰が違うからと言ってカレーを食べるなとは決して言いません。だから、信仰がわからないあなたに、私はカレーを食べていくように言ったでしょう。ここはそういう場所なの。」
スリランカの聖堂に花束を。_d0116009_01032291.jpg
スリランカのカトリック信者は国の人口比の6%にすぎない勢力ですが、カトリック信者の中には、シンハラ人もタミル人も区別なくおり、どちらも含むことなどから、カトリック教会は民族間融和の役割を担うものと期待されてきました。そして実際に、教会や修道会は実際に慈善活動等を通してその役割を果たしてきました。この意味で、カトリックが狙われた今回のテロは、一体何をターゲットとしたのか、という点において、決して単純ではありません。シンハラ(仏教徒)vsタミル(ヒンドゥ)とか、キリスト教vsイスラム教といった、既存の図式だけでは捉えることはできません。今回のテロの標的が「民族間融和」の象徴であるカトリック教会であったのはなぜなのでしょうか。

スリランカ政府は、事件のあと、同国からFacebookやInstagramなど一部SNSへのアクセスを遮断しました。現在、スリランカ多数派(国民の7割)であるシンハラ人たちの一部による、他の少数派に対するヘイトが問題になっています。特に同国では少数派にあたるムスリム(人口比の1割)たちがその標的になっています。そして、そのヘイトの現場は多くがネット上、つまりはSNS上です。

自身が見下している集団が権益を得ることを快く思わない人がいるのは万国共通なのでしょうか。
ムスリムたちが、産油国の潤沢な資金の恩恵を受けて、成り上がっている。
見下しているやつらが、既得権益を得ている。
ふざけるな。調子に乗るな。少数派は少数派らしく、弱者は弱者らしくしていろ。
このような図式は、残念ながら、今も昔も日本でも散見される現象です。

リンク先の記事にもあるとおり、シンハラのナショナリストたちは、ムスリムの居住地区とモスクが襲撃する事件も起こしています。ムスリムたちがそういうヘイト的な空気に日常的に晒されていることと、今回の事件は決して無関係ではないでしょう。しかし、今回のような事件が起きると、ムスリム排斥の動きが勢いを増すことは疑いようがありません。ムスリムの人たちが、ますます肩身が狭い思いをすることになるかもしれません。

しかし今回の標的はカトリックであり、ホテルにいる外国人でした。これまでのイスラム過激派の動きからすれば、既定路線かもしれませんが、しかし、スリランカのカトリックは「民族間融和」の象徴であり、その点はヨーロッパのテロとは事情が違うのです。

2015年1月に教皇フランシスコが同国を訪れ、コロンボの St. Anthony Shrine 近くの海岸では、100万人に上る市民が熱狂的に教皇を迎えました。(ちなみに同国のカトリック信徒は120万人。)教皇が同国を訪れたのは、スリランカ初の聖人である聖ジョセフ・ワーズ(St. Joseph Vaz)の列聖式のためでした。ジョセフ・ワーズには、困窮した人であればその信仰にかかわらず救済の手を差し伸べた逸話があり、教皇フランシスコは、100万人の人々の前で「和平のため宗教的な分断を超えることの重要さ」について語ったとされます。

スリランカのカトリックが「民族間融和」の象徴であるのは、単に教義的な部分に留まりません。
スリランカのカトリックの人たちは、聖典と祈りを英語に依拠しています。
シンハラ語は仏教徒たちの言語であり、タミル語はヒンドゥー教徒たちの言語です。
結果として、カトリックの人たちの宗教言語は英語になります。(そのため、カトリック信者たちによって、子どもが通う学校の試験を英語で受けられるように政府に訴える運動も起こっています。)英語は、他の多民族国家と同様に、スリランカにおいても、別の言語を持つ人と人の間の共通語として機能しており、その英語を母語として操るのがカトリックの人たちなのです。ですからスリランカのカトリックは、教義にとどまらず、言語・文化的にも民族間融和を象徴していると言える存在です。

カトリックの教義からすれば、ムスリムの人たちはもちろん、イスラム過激派の人たちでさえ、慈しむべき存在でしょう。しかし、現在、グローバル化という名の下に、あらゆる差異を、慈しみをもって包括し、その結果、それら個別性を無化してしまうような運動(=新しい全体主義)が進んでいるとすれば、そして、それにカトリックが加担しているとすれば、そしてその象徴が「英語」であり「資本主義」であり「文化産業」であるとすれば、カトリックが「民族間融和」を善として打ち出している限り、「融和」は一種の同化政策と受け取られかねず、抵抗は解消しないでしょう。

安易に民族間融和なんてことはできないからこそ、私たちは考え続けなければなりません。
融和という解決策にすがるのではなく、むしろ解決しなくても生き延びることができる知恵を考える方が大切なのではないでしょうか。その意味で、私たちに不足しているのは具体的な解決策よりも、祈りそのものなのではないでしょうか。

スリランカの聖堂に花束を。_d0116009_03261144.jpg


St. Anthony Shrine でカレーを食べたあの日のことを何度も思い出します。
あの日も日曜日で、私はひと際熱心に祈る彼らの一員となって、お祈りをしました。
この国にはまだ祈りが息づいている。そのことに感激しながら、お祈りをしました。

私がお祈りをしていると、2列前にお母さんと座っている5歳くらいの小さな女の子が、ふと後ろを振り向きました。
私が彼女に気づいたような反応をしたのものだから、彼女はにこっと笑って、そして前を向いては何度も後を振り向いてにこっと笑顔を見せました。そのたびに私は何とも言えないマヌケな表情で、金魚のように口をパクパクさせたり、少し目を大きく開いたりして、彼女の笑顔に応えました。そうしているうちに、彼女はお母さんからパコっと頭を叩かれ、それからは後ろを振り向かなくなりました。これは彼女とのわずか3分ほどの思い出です。

国を代表する聖堂とはいえ、ヨーロッパのバジリカやカテドラルとは全く規模が違います。
さほど大きい場所ではありません。
近くには別の教会もありますから、毎週この聖堂に集まるコミュニティは、全員が顔見知りという程度の人数しかいないはずです。

その小さなコミュニティの中で、無残にも一瞬にして50名以上の人たちが殺されたのです。
彼女はちゃんと生き延びたかな。生きていてほしいと思います。

今回の殺戮はそのまま、このコミュニティの破壊を意味します。
人の命が失われたと同時に、それまで引き継がれてきた大切な祈りと知恵が失われました。
これは、仮に時間が経って元通りになったように見えるときが来ても、決して回復しません。
失われたものは、ずっと失われたままです。
それは、損なわれてしまったあとには、そこに何があったのかもわからないようなものです。
人の命が失われるというのは、そういうことです。

明日へのささやかな意思を突然断ち切られた人がいる。
もうあなたに会えない。受け入れ難い現実に、もだえ苦しみながら夜を過ごしている人がいる。
そのことに、強い悲しみを覚えています。
今回の事件、とうてい他人ごととは思えません。
スリランカの聖堂に花束を。



言(ことば)に絶えたる日は始まる。
見せつけらるるおのが弱さよ、
見失いたる神のさびしさ
。 藤井武「羔の婚姻」



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by terakoyanet | 2019-04-22 03:49 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)