期待値の差でしかない。

今朝起きて最初に開いたツイッターでこのつぶやきが目にとまりました。

「不満が多い人は期待値が高いです。感謝が多い人は期待値が低いです。 」

為末大さんのつぶやき。
為末大さんは"走る思想家"なので以前からこのブログでも何度かその思考を紹介したことがあります。

この話、昨日、シンガーの島崎智子さんたちと「女と味噌汁」に行ってちょうど話していたことでした。


子どもや親の中にも、いつも不満(ときに不安)をためている人たちというのがいます。
彼らはなぜ成績がこんなに伸びないの?こんなにできないの?といつも感じています。
でもこれは単に「斜め上を見ている」から。
「斜め上を見ている」人たちは、期待値が高いからいつまでも満たされません。

一方で、全く同じ成績でも、ある親子はいまの成績をそのままに受けとめて、その状態に対する敬意のようなものを持っている人たちがいます。
これは期待値が低いから。
期待値が低いというと悪いことのようですが、そうではなくバカボンのパパに言わせれば「これでいいのだ」ということ。

どちらのほうがいいかと言えば、言うまでもなく後者のほうがいいわけです。
「斜め上を見ている」人たちは自分で不幸を呼び寄せていることに気づいていない。
いつまでも満たされないのは自分の欲望がそうさせているのに、その欲望のいびつさに気づかない。
ほんとうはそうやって苦しくなっているときというのは自分を知るチャンスなのに、欲望に搦め取られすぎて自分をいつまでも内観できません。満たされず内観もできない人が何をするかと言えば、満たされない原因を周囲の人や環境に求めます。不満の原因を自分ではなく他人に当てこするようになります。これは本人にとって不幸なことだし、周囲の人からすれば迷惑です。

子どもの能力より斜め上ばかり見ている親に育てられると、虚栄心が強い子どもが育ちます。
虚栄心とは「自分を実際以上によく見せようとする心」のこと。
親がいつも斜め上にばかり見るものだから、子どもには自分をもっとよく見せなければいけないという意識ばかりが根付きます。
それが虚偽であっても、良く見えればいいんです。親が斜め上ばかり見て本当のことは何も見ていないところを子どもは知らずに真似してしまいます。

一方で、人は弱い存在なので、ときに「意図的に期待値を下げる」ということもあります。
最初から期待しなければ、傷つかない。こういう経験は誰しもあるのではないかと思います。
受験生を見ていても、志望校を決めるときにはじめから期待値を下げることで、傷つかないようにしようとする子は多いです。
こういう生徒を見ると、実に人間らしいなあとかえっていとおしく感じずにはおれません。

「これでいいのだ」では済まない人は多いです。そんなことで(現状に満足して)成長できるのか?と懐疑的に思う人もいるでしょう。でも、斜め上を見るというのは、肝心の現状が何も見えていないということなんです。だからそれよりも、現状を「これでいいのだ」とそのままに受けとめることを小さく積み重ねていくほうがずっと着実です。現状を受け止めるというのは、それに満足してしまうこととは異なります。

私たちは自分の考えが本当だと思っています。この子はなんでこんなに勉強ができないの?という思いが、事実として正しいと信じ切っています。でもそれは、自分がそういう認識を勝手に作り出しているんです。それは期待が大きすぎるだけかもしれないし、自分の不満もしくは不安がそうさせているだけかもしれません。

なかなか「これでいいのだ」は難しいのですが、期待値が高い自分も、期待値を下げることで傷つかないようにしている自分も、否定も肯定もせずに、ただ見守ってやるということを少しずつ学んでいくしかないのだろうと思います。見ないふりをしてしまうのがいちばんまずい。

先日から悩みがつきません。この文章は自分のために書いたものかもしれないと思います。


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# by terakoyanet | 2019-07-18 09:29 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

代り映えしない明日をください。

現代のクラスタ化した親子関係を、ぞっとするような濃密さで描いた楽曲として、宇多田ヒカルの「あなた」(2017年)がある。


彼女は、この楽曲へのコメントとして「一つの普遍的な愛の形として、母親目線から音楽的表現をしたのはこの歌が初めてになります」「死んでも手放せないほどこの世のなにかに執着することの人間らしさに共感して、自分の死後を想像して“あなた”を制作しました」と語っている。


彼女はこの曲で子どもに「あなた」と呼びかけ、その愛と執着を切々と歌う。これまで、過去の楽曲で彼女が用いてきた二人称は、そのほとんどが「君」であり、そこには相手と自分の間の緊張感のある距離が常に保たれていた。私は私、君は君、というのが、いかにも彼女らしいふるまいだった。


しかし、この「あなた」の呼びかけでは、距離感が突如失われて「あなた」と私が渾然一体となって溶け合っているような危うさを感じさせる。「あなた」という言葉が、彼女から子どもへの呼びかけであると同時に、亡くなった母から私への呼びかけであることは、「死んでも手放させないほど」「自分の死後を想像して」という死について触れた彼女のコメントから明らかである。ここにおいて、私と子ども、母と私という二つの関係は、完全な相似形となる。そしてその二つが渾然と一体化して、それが彼女の声となって響くのである。


 あなたのいない世界じゃ どんな願いも叶わないから

 燃え盛る業火の谷間が待っていようと 守りたいのはあなた

 <中略>

 あなたと歩む世界は 息をのむほど美しいんだ

 人寄せぬ荒野の真ん中 私の手を握り返したあなた

 あなた以外なんにもいらない 大概の問題は取るに足らない

 多くは望まない 神様お願い 代り映えしない明日をください

 戦争のはじまりを知らせる放送も アクテヴィストの足音も届かない

 この部屋にいたい もう少し


「死んでも手放せないほどこの世のなにかに執着することの人間らしさに共感して」と綴った彼女は、親が子を思うとき(または子が親を思うとき)の狂気に近い感情を、ただそのままに描く。外の雑音の全てが遮断された部屋の中で一対一の母と子がそばに佇んでいる情景は、息が詰まるような艶めかしさがある。


私はすっかり虜になって子どもを見つめ、子どもは無心にそれを見つめ返す。あなたは私の世界そのものだと思う。明日もこれが続くならば、私はそれだけでいい。他には何も望まないと思う。

そして、不意に気づく。そうか、私の母も「あなたがいるだけで幸せ」そう思った瞬間があったのだ。いま、この子を腕に抱いている私は、そのことが、かつて本当にあったことだと確信できる。私は母に何もしてもらっていないと思っていた。でも、そうじゃなかった。こうして、全てを肯定されて、抱きしめてもらっていたのだ。


そして、私の方も、母に何もしてあげられなかった、そういう後悔ばかりが胸を締めつけていた。だけど、こうして腕に抱かれている、それだけで私は、母に知らず知らずのうちに親孝行をしていたのかもしれない。苦しい思い出ばかりと思っていたけれど、こういう瞬間があったのなら、それでよかった、もう、それだけでよかったのかもしれない。自分が許されたような気持ちになる。私は、母とさよならをする前に、たった一度も抱きしめてもらえなかったような気がしていた。でも、こうしていまこの子を抱きしめて、そうすることで、いま私自身が抱きしめられているのを感じる。


 何度聞かれようと 変わらない答えを聞かせてあげたい

 なんと言われようと あなたの行く末を案じてやまない

 終わりのない苦しみを甘受し Darling 旅を続けよう

 あなた以外帰る場所は 天上天下 どこにもない


この歌の中にあるのは、単純な母性の肯定ではない。彼女は「誰しも原点があって、私の原点は母だったから、私の世界、あらゆる現象に彼女が含まれてるのは当然じゃん」と母親の圧倒的な影響について言及すると同時に、自身が育った環境については「今、世界がこうだって思っても、次の0.5秒後にそれがすべてひっくり返される可能性があるっていうのが普通」と語っている。共感の関係が次の瞬間に壊れてしまうかもしれないという恐怖を継続して味わうのは、誰かと関係を結ぶときに、他者への愛着を封印するという形の症状となって現れる。自分に近づいてくる相手を常に拒んでしまう。そういう形で症状は表出しがちである。


でも、赤ん坊はそんな私がいくら拒もうとしても、それでも愛着を求めてくる。「あなたを愛している」が日々の所作から伝わってくる。そういう無条件の愛着は、ときに私をぞっとさせる。それでも、「愛されている」実感は、少しずつ私を変化させる。封印されていた他者への愛着が、少しずつ取り戻されてゆく。そうやって、子どもによって、私の存在がめくれてゆくのを感じるのである。

私の問題に解決はないのかもしれない。でも私の帰る場所は「あなた」しかいない。この歌はそう繰り返す。この「あなた」は私の子どもであり、同時に私の母でもあり、そしてかつて母から「あなた」と眼差された「私」でもある。


平成の終わりに発表されたこの歌は、「あなた」との「代り映えしない明日」を渇求しながら生きのびてゆく私の、喪失と回復を辿る歌である。




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# by terakoyanet | 2019-07-15 04:46 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

日々のつぶやき。

毎週高校生たちと、何で勉強するの?英語ってほんとうに必要なの?大学行く意味あるの?いまを犠牲にする必要があるの?お金になぜそんなに執着するの?とかいろいろディスカッションをしているけど、そのせいで彼らの生きる気力が奪われることは全くない。きらきらしてる。



東大王が大好きな子どもたち多い。少し前まで、これからの時代、知識だけの「コンピュータ人間」なんてつまらないよ(外山滋比古)だったのが、一周廻って、コンピュータみたいな人間ってすごくね?ってなってる気がする。



勉強にのめり込むことは、自らの孤独を知るのと同義だと、大学受験のために研鑽を重ねる高校生を見ながら感じることが多々ある。



若い世代は特に「何かにつけて反対する人は空気が読めない(共感の共同体を乱す)面倒くさい人」という認識が強烈で、自民党はその心理を戦略的に利用している。野党はとにかく戦略が足りない。


勉強が苦手だと言う小6男子。テスト中に手が止まった彼と目が合ったから「がんばれ」と口の動きで伝えると、彼は口元をぎゅっと結んでもう一度答案に取り組み始めた。その一瞬の彼のまっすぐさがいとおしくて、相対的な苦手意識より彼の中にある絶対的な好きこそを発掘して一緒に味わいたいと思った。


いまだに手を出すことだけが暴力と思っている人がいる。先日はある中学校で、数か月ずっと悪口を言い続けた子よりも、それに対して1発だけ悪口を言う相手を殴った子の方だけに指導が入り、謝らせるという出来事があった。悪口を言われ続けた子がどれだけ辛かったか。


こういう話を書くときは「一般化したふり」で書いているけれど、実際には「昨日〇〇なことがあったから書いた」というふうに具体的なきっかけがある。つまりいつも「宛先のある届くかわからない手紙」を書いている。


最近すごく実感するのは、ブログで発信している海外の旅の話は子どもたちの食い付きがすごくて、他の勉強とか教育とかの話よりずっと、多くの子どもたちに直接の影響を与えているということ。内容とかじゃなくて、写真だけで充分な刺激のよう。


中2のTくん、「え~!ほんとー!?」というシチュエーションのたびに、「マジすか学園!?」と言うの、ぜんぜん面白くないからそろそろやめてほしい。


二者間に意見の対立があるときには、それぞれの意見が「どちらも正しい」という一見矛盾と思われることが案外いちばん多いという現実を痛みを伴いながら受け入れることから始めた方がいいと思う。


ツイッター上の、相手の思想背景を鑑みずにイメージでその人を非難・否定するやり方を見ると、その人自身のトラウマが、反射的に感情的に「殺される前に殺してやる」という刃(やいば)を振らざるをえなくなっているのが見えて怖ろしくなる。止むに止まれぬ「殺される前に殺してやる」にどうやって抗することができるのかを考えることが、平和について考えるということではないか。


人に説諭ができる人の感受性について考えると地獄のような想像しかできない一方で、日ごろ教え諭す立場とされている人たちというのはそういった傲慢さと紙一重のところに立っているのだろう。


・・・


『旅をしても僕はそのまま』


今年中にナナロク社から出る予定の新刊に先駆けて、

本校の出版部門、啄木鳥社から初のZINEが先日発売になりました。

店頭ととらきつねBASEにて同時に発売開始です。

全国のいくつかの書店でもお求めいただけます。



旅をしても僕はそのまま(啄木鳥社)
文・写真 鳥羽和久  絵 馬場通友
本体 594円


もくじ

残照
バワの残響
レインボーカラー
罪について


本文より


旅という行為から剰余として溢れ出す、隠喩に彩られた濃密な思索は、読む人を捻じ伏せるように圧倒し、そして時にひどく悲しくさせる。-「残照」より-


道具を介して行為することは、おそらく知らず知らずのうちに、私たちの中に或る思考の型をつくる。だから、私たちが道具を使うことで忘却の彼方に追いやられた感覚や思考は、他にもたくさんあるはずだ。-「バワの残響」より-


「カプセルホテルでは、妻と別のフロアに泊らなくてはならなかったんだ。カプセルホテルの部屋に入ったとき、妻との別れが寂しくて涙が出たよ。」そう言いながら夫婦で目を合わせて笑い始めた。「私も、寂しくて死ぬかと思った。」「そう、50年間1日も欠かさずに朝に訪れていたイレクションがその日に止まったんだ!なんてことだ日本!」もう涙が出るくらい夫婦で笑い合っている。幸せなふたりだ。ー「レインボーカラー」よりー


私たちの不完全さは、私たちを愛で満たすための器そのものだった。-「罪について」より-



こちらのZINE、お取り扱いの希望をいただける店舗さまがありましたらお知らせください。3冊からお送りします。
当店では馬場通友さんのZINE「3」も発売中。合わせてご覧ください。



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# by terakoyanet | 2019-07-14 17:08 | お知らせ | Trackback | Comments(0)