カテゴリ:雑感・授業風景など( 1292 )

今週日曜日、12月2日に次のようなニュースが全国で流れました。

丸刈りなど強制でうつ状態、済々黌高退学の元生徒が熊本県を「1円」提訴

中学校に上がる前、初めて坊主になったとき、お風呂に入ったときに自分の頭と間抜けな顔が鏡に映って見えて、思わず目が離せなくなって泣いたことを思い出します。

私は、自分が中学生だった当時から、丸刈りに強い違和感を感じていたので(いま坊主みたいな頭ですが、それとこれとは話が別です)このことについて、自分の問題として強く反応せざるをえないところがあります。

いまから4年半ほど前に、先輩から強要されて坊主になって泣いていた子がいた日の憤りを記した文章があります。
その文章が、一昨日からTwitter上で多くの人たちに共有され(社会学者の岸政彦さん、マンガ家の瀧波ユカリさん、翻訳者の村井理子さんらが拡散したことが大きい)1日で1か月分くらいのアクセスをいただいています。

問題は、こういった経験が子どもたちに理不尽さを許容する心根を作ってしまうことです。
こうして理不尽さが連鎖する社会が作られるとすれば、それに甘んじることなく闘うべきではないかと思います。
その意味で、今回の裁判には意義があると私は感じています。

以下にそのときの記事を転載いたします。

・・・・・

いつになったら悪習が終わるのか。 2015年7月8日

今日書くことは、意見が異なる方もいらっしゃるかもしれないと思いながらも敢えて書きますが、
中学の男子たちを見ていると、ある部活動の生徒たちが皆坊主になることがあり、驚かされることがあります。

坊主の定番の野球部だけでなく、坊主とは無縁と思えるサッカー部の生徒まで坊主になることも。

部員全員が坊主になるときというのは、顧問やコーチ、先輩のうちのいずれかの力が働いています。
「気合を示せ」「反省しているところを見せろ」・・・
理由は何であれ、坊主になることを強制するのです。

それの受け取り方は子どもたちによって異なります。
本当に気合を示したいと、ちょっと照れながらも何の抵抗もなく坊主にする子もいれば
傷つかないために「あくまで自分の意思で坊主にするんだ。」と自分に言い聞かせながら坊主にする子もいれば、到底受け入れることができないのに泣く泣く坊主にする子もいます。

私は幼いころから同調圧力に敏感で、それをとても怖がってきた人間です。
だから、皆で坊主になれ、という有無を言わせない宣告は、昔も今もとても恐ろしく感じます。

もし先輩に坊主になれと言われて坊主になった子(後輩)がいるときには、それを言った先輩に対し、「お前は自分が何を言ったかわかっているのか」と厳しく問いただす人間が必要だと私は思います。
しかし、多くの部活動の現場ではそうではない。むしろ大人が同じことをしてきたから、それを真似した子どもたちが先輩となったときに、そのような強要を行う、そしてそのことがわかっているから大人たちはそれを黙認する、それどころか奨励さえする。そういう場面が多いと感じます。

しかし私は、坊主になりたくない子、坊主になろうとは思っていない子に対し、坊主を強要することに強く反対します。そんなつまらない悪習はすぐにでも葬り去られるべきだと思います。(※坊主自体を悪習と呼んでいるのではありません。)

このような同調を強要することがどれだけ暴力的で危険なことであるかということを、私たちは歴史で学んでいるはずです。いやいやそんなに大きな話ではない、たかがスポーツの話だ、いやむしろスポーツってそんなものだなんていう声も聞こえてきそうですが、私はそういった同調を強要するようなスポーツなんていうクソつまらないものは、すぐにやめてしまえ、という気持ちを抑えることができません。そんなものに頼らなくても、もっとうまくやる方法があるはずです。

日本には、大人だったら決して許されないのに、子ども相手なら許されてしまうことが多すぎます。
子どものことをバカにしすぎています。


お花畑の小学校と違って、中学・高校は、世間の厳しさや理不尽さを反面教師的に学ぶ場となっています。
しかし、世間の厳しさや理不尽さなんていうものは、教育の場で大人がわざわざ拵えてあげなくても、子どもたちは近い将来、それにぶつかって藻掻くはずです。それに対する耐性だけ身につけさせて、将来それらにぶつかったときに、藻掻くこともせずにただ順応する人間を育むことこそが教育の本当の目的だとすれば、それは皮肉にもある程度成功していると言えましょう。

子どもたちには、自分が感じた違和感を大切にしてほしいと思います。
無理に周りにあわせる必要なんてないし、周りに合わせられない自分に対して自信を失う必要もないんです。

苦しみをひとりで噛み締めている子も、苦しみを紛らわしてやりすごしている子も
皆が考えることを諦めずに、前に進む意思を持ち続けることができるよう、願っています。





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by terakoyanet | 2019-12-06 02:28 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

今年最後のお話し会

今年もいろいろなところでお話しをさせてもらいましたが、今日はおそらく(私個人としては)今年最後になるお話し会が早良区で行われました。(他の方との対談はまだありますが。)

お話し会の会場は満席。ズボンのチャックが開きっぱなしだったこと以外は全てがよい時間でした。
途中自分を離れて喋ってるようで、面白く感じました。
日ごろから原稿を書いていると、つらつらと言葉が出てくるようになるという効果がありますね。

途中、参加者の方に『親子の手帖』の朗読をしてもらったのですが、たくさんの参加者の方々が泣いていて、この本すごいなと人ごとのように驚きました。あたたかな会場をつくってくださった植山さん、岡田さん、来てくださった皆さまありがとうございました。いただいたお菓子、ケーキ、コーヒーもとても美味しかったです。

・・・・・

朗読してもらった箇所の文章、3か所のうち2つを以下にご紹介します。


かつて子育てというものが、村のコミュニティーや大家族との関わりの中で行われていた時代に比べ、共同体との関係が希薄になった私たちの時代の子育ては、親一人ひとりに孤独で苦しい戦いが強いられています。
子を守ることは、同時に子を抑圧することになる。でも、抑圧しすぎると、子は育たない。だからといって、抑圧しなければ、私はあなたを育てられない。親はそうやって子の責任を私独りで引き受けようとするために、延々と逡巡を繰り返し、それに付随する苦しみの連鎖によって、親はさらにその思考から子どもをいっときも手放すことができなくなります。
子どもに自然に育てるということは、親がその思考から解き放たれ、子どもに対する力の行使を断念することなのに、それはなんと難しいことなのでしょうか。

それでも、子どもはいずれ親を離れ、自立していくのです。親にとって、子の自立は、喜びであると同時に、自分の身を捥がれるような苦痛を伴うものです。
あの日、私から生まれた、私自身と同一視せざるをえないような脆弱さをまとっていたあなたが、私の逡巡とは別の場所で、私と別の人格を持ち、私から離れていく。それを認めることの苦しさ、そして、その途方もない心細さ。これは多くの母親が共有する感情でしょう。

・・・・

思春期の子どもにとって、親という存在はあまりに重すぎて、なかなか簡単に自分の内面を吐露できるような相手ではありません。それなのに、親の方は子どものことをわかりたい、わかっていると思いたいものです。そのせいで、子どものことを、つい自分と同一視してみたり、あるいは自分の所有物のように考えてしまって怒り散らしたりしがちです。
でも、実のところは、子どものことなんて、親にわかるはずがありません。だって、よくよく考えてみると、自分のことさえも何を考えているのかわからない私たちが、自分と似ているとはいえ、自分ではない別の個体である子どもの心がわかるわけがないのです。
親子の関係は、親が子どものことを「わかる」「わかりたい」「わかるはず」と思うあまりにこじれます。親にとって子のことが「わからない」のは、底知れず不安で苦しいことです。それで、親は子どもにいろいろな干渉をすることで、その不安を解消しようとします。その親の働きこそが親子がこじれる原因です。
だから、親の方がもう少し、私は子どものことがわからない、だから不安なんだ、私が子どもに抱いている不安というのは、私が子どものことがわからないことから生じる私自身の不安なんだ、そういうふうにクリアに理解できれば、子どもに対する距離感が変わって、自分も子どもも肩の荷を下ろすことができるのではないでしょうか。
では、わからない私たちにできることは何かと言えば、ただ子どもに近づき、そばにいることです。そうやって、ただ子どものそばにいるというのは、親にとっては落ち着かない不安なことです。でもその「そばにいる」ことだけが、親が子にできる全てであり、脆くてはかない、でも確かな幸せなんだ、そう気づいたとき、私たちはそのありがたさに涙するかもしれません。





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by terakoyanet | 2019-10-30 19:15 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

続・中学受験のこと

中学受験は学力が高い子たちにはメリットがあるシステムだと思います。
だからもし私の子どもが中学受験をしたいと言い出した場合には、その学力の状況に合わせてずばり受けるか受けないかを決めます。
〇〇中学あたりに中程度以上の成績で合格するレベルがあれば、確かにメリットがありますから。

私立中学(中高一貫)の最大の問題は高校になるころには学力差があまりに激しすぎてとんでもないことになっていることです。
下位の子たちが高校になって塾にやって来るとたびたび驚かされます。
彼らは三単現のSや正負の計算さえままならないし、be動詞と一般動詞の違いも、方程式と文字式の違いもわかっていないことが多いです。
それなのにすでに三角関数や仮定法を解くことを強いられている。こんなのうまくいくはずがありません。
私立中に入ったせいで高校になって圧倒的に学力相応ではない勉強を強いられる子は多いのです。

だからこの時期になって「私立中に行きたい」と突然言い出す子は多いけど、学力が高くないのにとりあえず私立中に入るのは本当にやめたほうがいいと私は思っています。




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by terakoyanet | 2019-10-04 15:15 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

中学受験のこと。

最近、中学入試についての相談を複数受けているので、ここに書く内容に一定の影響力があることを承知でひとつ言わせていただければ、福岡市の場合、一定レベル以上の成績の子、努力できるタイプの子は、私立中学受験をせずに公立中に行って上位公立高校に行ったほうが結果的に志望大学に受かりやすい(特に国公立大学)ということが高確率で起こり得ます。(すべての私立がそうというわけではありませんが、中学受験で私立を選んだために、そのあとずっと私立レーンのまま大学に進む子は珍しくありません。)

子どもはそこまで見越して受験できないから、そこは大人が口を出すべきところだと思いますし、中学受験は「子どもが受験したいと言っているから」というだけで決めるべきではないと私は考えています。

その他、中学入試についての考え方(情緒面も含む)については拙著『親子の手帖』にも書いていますので参考にしていただければと思います。



『親子の手帖』第2章

7 なぜ偏差値の高い学校を目指すのか
8 小中学校受験と親
9 葛藤との向き合い方
10 受験直前の子どもとの付き合い方

小中学校受験を子どもにさせる親は、その主体が子どもではなく、親にあることをごまかさずに明確にしておくべきです。極言すれば、現在の小学校受験というのは、親が「安心を買う」ためのシステムですから。(『親子の手帖』第2章8節より)



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by terakoyanet | 2019-09-20 12:53 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

2学期中間対策講座

現在、2学期中間考査の対策講座(当仁中)が開催中です。
生徒たちには言いましたが、毎年、2学期の中間考査は夏休みの直後だからか子どもたちがどこか油断気味で、
そのせいで、テスト範囲の学習をやり終えないまま定期テストに突入する子が他の時期のテストより多いです。

つまり、2学期の中間考査で普段より得点が取れない子というのは、単元的に難しくて理解できなかったとかいうことより、単に暗記部分(定期テストは暗記勝負の部分が大きいです、これが模試や入試との最大の違い)をちゃんとやっていなくて(例えば英単語や基本英文、漢字や社会・理科の用語など)そのせいで得点が取れなかっただけの子が多いということです。

今年も同じ傾向が見えます。明らかに準備不足の子がちらほら。

定期テストで手ごたえを得た子たちというのは、その手ごたえが次のエネルギーにつながっていることを感じます。
生徒一人ひとりにとって、良いテストになりますように。


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by terakoyanet | 2019-09-08 23:59 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

中3夏合宿2日目

中3夏合宿の第2日目。今日は1日中勉強の日。


早朝6時半からの自主勉強。参加義務はありませんが、6時38分時点ですでに3分の2の生徒が勉強を始めており、
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そして、その約10分後には
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全員が揃いました。
早朝の自主勉強に初日から全員が参加したのは史上初です。

この学年はやはりすごい。
しかも無理して頑張っているわけではなく、自然にふつうにこなしているのがとてもいいと思います。

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今日唯一の休み時間に、体を動かしたい子たちと合宿所のそばにある西日本一のパークゴルフ場に。
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by terakoyanet | 2019-08-20 23:50 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

中3夏合宿1日目

本日は中3宮崎夏合宿の第1日目。
本校にとっては、17回目の都城・かかし館での合宿となります。(2003年から欠かさず毎年実施)

今日は天候に恵まれなかったのですが、天気を心配しているのは大人の私たちばかりで、子どもたちは雨でも元気、全力で楽しんでいました。


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15年ほどずっとお世話になっているえぷろん亭にて。
チキン南蛮定食がグレードアップしていました。
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鵜戸神宮へ。合格祈願の運玉投げも。

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合宿所のかかし館に到着。
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他の子たちよりいち早く教室に入り、勉強を始める子たち。
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合宿特別講習スタートです。今日の集中力、素晴らしかったです。明日は勉強づくしの1日。
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1日の授業が全て終わった後も、残って学習に勤しむ子たち。
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昨年も素晴らしい雰囲気でしたが、今年もピリッと引き締まった合宿になりそうです。



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by terakoyanet | 2019-08-19 22:52 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

好評をいただいている『旅をしても僕はそのまま』(文・写真 鳥羽和久/絵・馬場通友)の8月17日時点の全国のお取り扱い店をご紹介いたします。こちらでご紹介するお店は、その地域の文化の発信地としての役割を担う本屋も多く、そのような場所に置いて頂いていることに感謝しています。全国に旅をするときに訪れる書店の参考にもどうぞ。



■東京(荻窪)・Title

旅は、旅する人の心のうちを開放する。これまで思考したこと、読んだ本が、目のまえの風景と出会った人により喚起され、忘れがたい景色となって結実する。スリランカ、バリ島、アッシジなど、各地のインスぺレーションを得た告白。
鳥羽和久・著 馬場通友・絵『旅をしても僕はそのまま』(啄木鳥社)


■葉山・Bookshop Kaspar



■名古屋・ON READING

福岡市で現代の寺子屋のような開けた学習塾を運営する著者・鳥羽和久によるエッセイZINE。

レヴィ=ストロースの言葉を引用し、現代のSNS時代における、旅と自己の変容について綴ったテキストから始まり、ジェフリー=バワの建築をきっかけに訪れたスリランカで思索した、ジェントリフィケーションによって失うもの。バリ島の小さなゲストハウスで交わされたオランダ人、韓国人、オーストラリア人たちとの会話。イタリアの町アッシジの教会で聴いた自己の存在証明の話。

『旅とは「見られる」という不気味なものを通して自らが開かれる経験である。』(本文より)

薄い本ではあるが、何度もページをめくり、ゆっくりと咀嚼して考えたいテーマが詰まった1冊。





■大阪(豊中)・blackbird books

旅に出ると思い出すレヴィ=ストロースの言葉。
スリランカ、インドネシア、イタリア、旅先で出会った異国の多様な人々。
交錯する日本の社会と自身の記憶。

鳥羽さんという一個人の旅の記録だが、それは私に旅が記憶から抜け落ちていたもの、つまり世界から消えようとしていたものに直に触れることが出来るということを教えてくれる。
旅に出て何かが変わるわけではない。世界の不完全さ、つまり自身の不完全さに気づき、自らの孤独と向き合うほかない。
タイトルが深く、潔い。

もくじ
残照
バワの残響
レインボーカラー
罪について

鳥羽和久
1976年 福岡県生まれ
唐人町寺子屋+航空高校唐人町+とらきつね 運営


■福岡(糸島)・nodocafe

旅をしてもぼくはそのまま

@torakitsune_books さんから
出来たてホヤホヤのZINE届きました
読んでみてほしいです(k)




『旅をしても僕はそのまま』感想も届き始め、嬉しく思っています。


わからないものの答えを求めるのではなくて、手繰り寄せるその態度というか、そっと触れようとするその行動そのものが、私を真っ当に生きさせてくれているのかもしれない。本当にそうなんだよね。
(ブログ『未来志向でいこう。』より)




『親子の手帖』とともに、よろしくお願いいたします。
いまは時間がありませんが、なんとか今年中に完成させるべく新刊の手直しに勤しんでいるところです。



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by terakoyanet | 2019-08-18 00:17 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

7月30日の雑感

今年の夏期講習は楽しいです。
子どもたちの宿題達成度が高いし、子どもたちの笑顔やさりげない一言に1日で何十回も励まされます。

この時期は実労時間が半日を超えるので、体力的にとてもしんどいです。
しんどいしんどいと思わず心の中でつぶやきながら、でも目の前に子どもたちがいるから頑張れます。

それにしても、中3は夏期講習に入って1週間、すでにかなり進捗しました。
今日、ご家庭にメールをしましたが、一部の生徒はもっと教室開放を活用してほしいと思います。

中1・中2も雰囲気よく進んでいます。
合宿も迫っていて、雰囲気に活気があります。

今日の夜、しんどかった1日の授業が終わり、なんとか持ちこたえたぞとスマホの画面をのぞくと、
翻訳者・作家の村井理子さんが親子の手帖のことをつぶやいてくださっているのを発見。

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村井さん、ありがとうございます!
私、村井さんの本が大好きで、とらきつねでも取り扱わせてもらっているので嬉しいです。
『犬(きみ)がいるから』ぜひ読んでみてください。「考える人」の連載「村井さんちの生活」にも日々じんわりさせてもらっています。

村井さんのおかげさまだと思うのですが、amazonでも2部門ベストセラー1位。出会ってくださった方もありがとうございます。





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by terakoyanet | 2019-07-30 23:51 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

受け身の学習

現在、中2の夏期講習の数学では一次関数を進んでいます。
クラスには、同じようなテストを繰り返しても、得点が取れない子がいます。

その子たちの特徴として言えることは、わからない問題をわからないまま放置しているということ。
その中にはマジメな子もいて、自分では放置していないつもりの子もいます。でも、その子たちはどこかで、この問題をわからせてくれる人がどこかにいると思い、それを待っていて、自分で考えるということを怠っていることに、自分で気づいていません。

彼らは、授業を聞いてもいまいちわからなければ、まずはわかるまで自分で解いてみるしかないということを知りません。数学で得点が取れている子というのは、わからなければ、教科書や問題集を開いて解けるまで練習するという当たり前のことをやっています。

この前ある高校生が、数学は「わかりみ」だった、と言っていたのですが、その子が言うには、数学は自分で解いてみないことにはいつまでもわからない、自分で解いてみてはじめて「わかりみ」が生まれるという単純なことに気づいていなかったというのです。そのことを知らなかったので、わからなければわからないまま問題を眺めていただけだったそうです。

受け身の学習に慣れきってしまうと、学習というのは最終的には自分の力で解いて理解するしかないという当たり前のことに気づかなくなってしまうのだということは、子どもたちを教える大人たちも常に頭に置いておくべきことなのだと思います。


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by terakoyanet | 2019-07-26 10:49 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)