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期待値の差でしかない。

今朝起きて最初に開いたツイッターでこのつぶやきが目にとまりました。

「不満が多い人は期待値が高いです。感謝が多い人は期待値が低いです。 」

為末大さんのつぶやき。
為末大さんは"走る思想家"なので以前からこのブログでも何度かその思考を紹介したことがあります。

この話、昨日、シンガーの島崎智子さんたちと「女と味噌汁」に行ってちょうど話していたことでした。


子どもや親の中にも、いつも不満(ときに不安)をためている人たちというのがいます。
彼らはなぜ成績がこんなに伸びないの?こんなにできないの?といつも感じています。
でもこれは単に「斜め上を見ている」から。
「斜め上を見ている」人たちは、期待値が高いからいつまでも満たされません。

一方で、全く同じ成績でも、ある親子はいまの成績をそのままに受けとめて、その状態に対する敬意のようなものを持っている人たちがいます。
これは期待値が低いから。
期待値が低いというと悪いことのようですが、そうではなくバカボンのパパに言わせれば「これでいいのだ」ということ。

どちらのほうがいいかと言えば、言うまでもなく後者のほうがいいわけです。
「斜め上を見ている」人たちは自分で不幸を呼び寄せていることに気づいていない。
いつまでも満たされないのは自分の欲望がそうさせているのに、その欲望のいびつさに気づかない。
ほんとうはそうやって苦しくなっているときというのは自分を知るチャンスなのに、欲望に搦め取られすぎて自分をいつまでも内観できません。満たされず内観もできない人が何をするかと言えば、満たされない原因を周囲の人や環境に求めます。不満の原因を自分ではなく他人に当てこするようになります。これは本人にとって不幸なことだし、周囲の人からすれば迷惑です。

子どもの能力より斜め上ばかり見ている親に育てられると、虚栄心が強い子どもが育ちます。
虚栄心とは「自分を実際以上によく見せようとする心」のこと。
親がいつも斜め上にばかり見るものだから、子どもには自分をもっとよく見せなければいけないという意識ばかりが根付きます。
それが虚偽であっても、良く見えればいいんです。親が斜め上ばかり見て本当のことは何も見ていないところを子どもは知らずに真似してしまいます。

一方で、人は弱い存在なので、ときに「意図的に期待値を下げる」ということもあります。
最初から期待しなければ、傷つかない。こういう経験は誰しもあるのではないかと思います。
受験生を見ていても、志望校を決めるときにはじめから期待値を下げることで、傷つかないようにしようとする子は多いです。
こういう生徒を見ると、実に人間らしいなあとかえっていとおしく感じずにはおれません。

「これでいいのだ」では済まない人は多いです。そんなことで(現状に満足して)成長できるのか?と懐疑的に思う人もいるでしょう。でも、斜め上を見るというのは、肝心の現状が何も見えていないということなんです。だからそれよりも、現状を「これでいいのだ」とそのままに受けとめることを小さく積み重ねていくほうがずっと着実です。現状を受け止めるというのは、それに満足してしまうこととは異なります。

私たちは自分の考えが本当だと思っています。この子はなんでこんなに勉強ができないの?という思いが、事実として正しいと信じ切っています。でもそれは、自分がそういう認識を勝手に作り出しているんです。それは期待が大きすぎるだけかもしれないし、自分の不満もしくは不安がそうさせているだけかもしれません。

なかなか「これでいいのだ」は難しいのですが、期待値が高い自分も、期待値を下げることで傷つかないようにしている自分も、否定も肯定もせずに、ただ見守ってやるということを少しずつ学んでいくしかないのだろうと思います。見ないふりをしてしまうのがいちばんまずい。

先日から悩みがつきません。この文章は自分のために書いたものかもしれないと思います。


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by terakoyanet | 2019-07-18 09:29 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

代り映えしない明日をください。

現代のクラスタ化した親子関係を、ぞっとするような濃密さで描いた楽曲として、宇多田ヒカルの「あなた」(2017年)がある。


彼女は、この楽曲へのコメントとして「一つの普遍的な愛の形として、母親目線から音楽的表現をしたのはこの歌が初めてになります」「死んでも手放せないほどこの世のなにかに執着することの人間らしさに共感して、自分の死後を想像して“あなた”を制作しました」と語っている。


彼女はこの曲で子どもに「あなた」と呼びかけ、その愛と執着を切々と歌う。これまで、過去の楽曲で彼女が用いてきた二人称は、そのほとんどが「君」であり、そこには相手と自分の間の緊張感のある距離が常に保たれていた。私は私、君は君、というのが、いかにも彼女らしいふるまいだった。


しかし、この「あなた」の呼びかけでは、距離感が突如失われて「あなた」と私が渾然一体となって溶け合っているような危うさを感じさせる。「あなた」という言葉が、彼女から子どもへの呼びかけであると同時に、亡くなった母から私への呼びかけであることは、「死んでも手放させないほど」「自分の死後を想像して」という死について触れた彼女のコメントから明らかである。ここにおいて、私と子ども、母と私という二つの関係は、完全な相似形となる。そしてその二つが渾然と一体化して、それが彼女の声となって響くのである。


 あなたのいない世界じゃ どんな願いも叶わないから

 燃え盛る業火の谷間が待っていようと 守りたいのはあなた

 <中略>

 あなたと歩む世界は 息をのむほど美しいんだ

 人寄せぬ荒野の真ん中 私の手を握り返したあなた

 あなた以外なんにもいらない 大概の問題は取るに足らない

 多くは望まない 神様お願い 代り映えしない明日をください

 戦争のはじまりを知らせる放送も アクテヴィストの足音も届かない

 この部屋にいたい もう少し


「死んでも手放せないほどこの世のなにかに執着することの人間らしさに共感して」と綴った彼女は、親が子を思うとき(または子が親を思うとき)の狂気に近い感情を、ただそのままに描く。外の雑音の全てが遮断された部屋の中で一対一の母と子がそばに佇んでいる情景は、息が詰まるような艶めかしさがある。


私はすっかり虜になって子どもを見つめ、子どもは無心にそれを見つめ返す。あなたは私の世界そのものだと思う。明日もこれが続くならば、私はそれだけでいい。他には何も望まないと思う。

そして、不意に気づく。そうか、私の母も「あなたがいるだけで幸せ」そう思った瞬間があったのだ。いま、この子を腕に抱いている私は、そのことが、かつて本当にあったことだと確信できる。私は母に何もしてもらっていないと思っていた。でも、そうじゃなかった。こうして、全てを肯定されて、抱きしめてもらっていたのだ。


そして、私の方も、母に何もしてあげられなかった、そういう後悔ばかりが胸を締めつけていた。だけど、こうして腕に抱かれている、それだけで私は、母に知らず知らずのうちに親孝行をしていたのかもしれない。苦しい思い出ばかりと思っていたけれど、こういう瞬間があったのなら、それでよかった、もう、それだけでよかったのかもしれない。自分が許されたような気持ちになる。私は、母とさよならをする前に、たった一度も抱きしめてもらえなかったような気がしていた。でも、こうしていまこの子を抱きしめて、そうすることで、いま私自身が抱きしめられているのを感じる。


 何度聞かれようと 変わらない答えを聞かせてあげたい

 なんと言われようと あなたの行く末を案じてやまない

 終わりのない苦しみを甘受し Darling 旅を続けよう

 あなた以外帰る場所は 天上天下 どこにもない


この歌の中にあるのは、単純な母性の肯定ではない。彼女は「誰しも原点があって、私の原点は母だったから、私の世界、あらゆる現象に彼女が含まれてるのは当然じゃん」と母親の圧倒的な影響について言及すると同時に、自身が育った環境については「今、世界がこうだって思っても、次の0.5秒後にそれがすべてひっくり返される可能性があるっていうのが普通」と語っている。共感の関係が次の瞬間に壊れてしまうかもしれないという恐怖を継続して味わうのは、誰かと関係を結ぶときに、他者への愛着を封印するという形の症状となって現れる。自分に近づいてくる相手を常に拒んでしまう。そういう形で症状は表出しがちである。


でも、赤ん坊はそんな私がいくら拒もうとしても、それでも愛着を求めてくる。「あなたを愛している」が日々の所作から伝わってくる。そういう無条件の愛着は、ときに私をぞっとさせる。それでも、「愛されている」実感は、少しずつ私を変化させる。封印されていた他者への愛着が、少しずつ取り戻されてゆく。そうやって、子どもによって、私の存在がめくれてゆくのを感じるのである。

私の問題に解決はないのかもしれない。でも私の帰る場所は「あなた」しかいない。この歌はそう繰り返す。この「あなた」は私の子どもであり、同時に私の母でもあり、そしてかつて母から「あなた」と眼差された「私」でもある。


平成の終わりに発表されたこの歌は、「あなた」との「代り映えしない明日」を渇求しながら生きのびてゆく私の、喪失と回復を辿る歌である。




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by terakoyanet | 2019-07-15 04:46 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

日々のつぶやき。

毎週高校生たちと、何で勉強するの?英語ってほんとうに必要なの?大学行く意味あるの?いまを犠牲にする必要があるの?お金になぜそんなに執着するの?とかいろいろディスカッションをしているけど、そのせいで彼らの生きる気力が奪われることは全くない。きらきらしてる。



東大王が大好きな子どもたち多い。少し前まで、これからの時代、知識だけの「コンピュータ人間」なんてつまらないよ(外山滋比古)だったのが、一周廻って、コンピュータみたいな人間ってすごくね?ってなってる気がする。



勉強にのめり込むことは、自らの孤独を知るのと同義だと、大学受験のために研鑽を重ねる高校生を見ながら感じることが多々ある。



若い世代は特に「何かにつけて反対する人は空気が読めない(共感の共同体を乱す)面倒くさい人」という認識が強烈で、自民党はその心理を戦略的に利用している。野党はとにかく戦略が足りない。


勉強が苦手だと言う小6男子。テスト中に手が止まった彼と目が合ったから「がんばれ」と口の動きで伝えると、彼は口元をぎゅっと結んでもう一度答案に取り組み始めた。その一瞬の彼のまっすぐさがいとおしくて、相対的な苦手意識より彼の中にある絶対的な好きこそを発掘して一緒に味わいたいと思った。


いまだに手を出すことだけが暴力と思っている人がいる。先日はある中学校で、数か月ずっと悪口を言い続けた子よりも、それに対して1発だけ悪口を言う相手を殴った子の方だけに指導が入り、謝らせるという出来事があった。悪口を言われ続けた子がどれだけ辛かったか。


こういう話を書くときは「一般化したふり」で書いているけれど、実際には「昨日〇〇なことがあったから書いた」というふうに具体的なきっかけがある。つまりいつも「宛先のある届くかわからない手紙」を書いている。


最近すごく実感するのは、ブログで発信している海外の旅の話は子どもたちの食い付きがすごくて、他の勉強とか教育とかの話よりずっと、多くの子どもたちに直接の影響を与えているということ。内容とかじゃなくて、写真だけで充分な刺激のよう。


中2のTくん、「え~!ほんとー!?」というシチュエーションのたびに、「マジすか学園!?」と言うの、ぜんぜん面白くないからそろそろやめてほしい。


二者間に意見の対立があるときには、それぞれの意見が「どちらも正しい」という一見矛盾と思われることが案外いちばん多いという現実を痛みを伴いながら受け入れることから始めた方がいいと思う。


ツイッター上の、相手の思想背景を鑑みずにイメージでその人を非難・否定するやり方を見ると、その人自身のトラウマが、反射的に感情的に「殺される前に殺してやる」という刃(やいば)を振らざるをえなくなっているのが見えて怖ろしくなる。止むに止まれぬ「殺される前に殺してやる」にどうやって抗することができるのかを考えることが、平和について考えるということではないか。


人に説諭ができる人の感受性について考えると地獄のような想像しかできない一方で、日ごろ教え諭す立場とされている人たちというのはそういった傲慢さと紙一重のところに立っているのだろう。


・・・


『旅をしても僕はそのまま』


今年中にナナロク社から出る予定の新刊に先駆けて、

本校の出版部門、啄木鳥社から初のZINEが先日発売になりました。

店頭ととらきつねBASEにて同時に発売開始です。

全国のいくつかの書店でもお求めいただけます。



旅をしても僕はそのまま(啄木鳥社)
文・写真 鳥羽和久  絵 馬場通友
本体 594円


もくじ

残照
バワの残響
レインボーカラー
罪について


本文より


旅という行為から剰余として溢れ出す、隠喩に彩られた濃密な思索は、読む人を捻じ伏せるように圧倒し、そして時にひどく悲しくさせる。-「残照」より-


道具を介して行為することは、おそらく知らず知らずのうちに、私たちの中に或る思考の型をつくる。だから、私たちが道具を使うことで忘却の彼方に追いやられた感覚や思考は、他にもたくさんあるはずだ。-「バワの残響」より-


「カプセルホテルでは、妻と別のフロアに泊らなくてはならなかったんだ。カプセルホテルの部屋に入ったとき、妻との別れが寂しくて涙が出たよ。」そう言いながら夫婦で目を合わせて笑い始めた。「私も、寂しくて死ぬかと思った。」「そう、50年間1日も欠かさずに朝に訪れていたイレクションがその日に止まったんだ!なんてことだ日本!」もう涙が出るくらい夫婦で笑い合っている。幸せなふたりだ。ー「レインボーカラー」よりー


私たちの不完全さは、私たちを愛で満たすための器そのものだった。-「罪について」より-



こちらのZINE、お取り扱いの希望をいただける店舗さまがありましたらお知らせください。3冊からお送りします。
当店では馬場通友さんのZINE「3」も発売中。合わせてご覧ください。



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by terakoyanet | 2019-07-14 17:08 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

当仁中1学期期末テスト塾内平均点(中2)速報値

2019年度、当仁中2年生の本校生期末テスト塾内平均点(速報値)をお知らせいたします。
早いもので、中2にとっては中学校生活の折り返しの時期にあたる定期テスト。
今回は数学と英語を中心に学校平均点が極めて低く、せっかく学習を頑張ったのに、問題量が多かったせいで実力を発揮できなかった子も多かったようです。(一部の科目では時間に対しての問題量が明らかに多すぎると感じました。)



◇中2 当仁中塾内平均点(共通クラス)※1名不明
国語 84.0(+17.1)
数学 71.2(+16.7)
社会 78.6(+13.4)
理科 77.2(+17.4)
英語 70.6(+14.7)
計 381.7(+78.9)


中2 当仁中塾内平均点(特進クラス)
国語 91.6
数学 81.6
社会 88.9
理科 90.3
英語 82.9
計 435.4


中1のときよりぐっと伸びてきた中2の生徒たち。
学校平均点が低かったのにかかわらず、過去最高得点を取った生徒もいます。
学校平均点と比べ、塾内平均点(5科)は80点近くも高い結果となりました。

得点が伸びなかった子たちは、定期テストの勉強のしかたが悪いというよりは、やはり日ごろの塾の小テストで得点が取れていないです。(直前の対策プリントがちゃんとできていない子も多い。)
定期テスト前にワークをなんとかやり終えて、そのあとに山をはって一部だけ頑張って覚えるようなテスト勉強で点数が取れるわけがありません。

特進クラス生たちは、得点が取りやすかった科目(特に国語と理科)で確実に得点し、高得点に結びつけています。
特進クラス生の半数以上が440点を突破しています。



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by terakoyanet | 2019-07-07 10:21 | 生徒のがんばり(テスト結果等) | Trackback | Comments(0)

当仁中1学期期末テスト塾内平均点(中1)速報値

2019年度、当仁中1年生の本校生期末テスト塾内平均点(速報値)をお知らせいたします。
中1にとっては最初の定期テスト。
今年の中1は努力できる子が多いのですが、それぞれの子どもたちがよく頑張った結果が出たと思います。

成績報告用紙の保護者様からのコメントにもありましたが、中1はまだテストを解く技術の面で慣れていない部分があり、そのせいで失点をしている子も多数います。そのためにも、返却された答案を見てなぜ失点したかを分析する時間はどうしても必要です。

「テストの見直しをしなさい」と言うのは簡単ですが、子どもは何をしたら見直しになるのかわかっていないことも多いですから、1年生の最初のテストくらいは、見直しをする子どもの隣に大人がいて、いっしょに何を間違ったのかを見てあげることも必要だと思います。


◇中1 当仁中塾内平均点(共通クラス)※1名未提出
国語 76.5(+14.9)
数学 81.7(+13.9)
社会 71.8(+14.9)
理科 85.3(+13.0)
英語 94.1(+11.1)
計 409.4(+67.8)


中1 当仁中塾内平均点(特進クラス候補生9名)
国語 85.3
数学 87.0
社会 86.0
理科 92.4
英語 96.8
計 447.5

全ての科目においてまんべんなく学校平均よりかなり高い得点を取りました。
上位の生徒たち(特進クラス候補生)は学校平均が低かった社会(56.9点)においても、他の科目と変わらない高い得点(86.0)を獲得しており、今回の中1の期末テストは、学校平均点の低かった国語・社会でいかに取れたかというのが結果(5科合計点のよしあし)を左右したという印象です。実際の入試のときにも、平均点の低い科目で取れたかどうかが合否の結果を決めることはよくあります。

社会や理科でとれていない生徒たちは明らかな共通点があり、それは、日ごろの塾の小テストで得点が取れていない、単にそれだけです。
塾の小テストでの積み上げをしていない生徒たちがそのまま学校のテストでも点数が取れないということが起きてしまっています。
テスト勉強のやり方を見直すのも大切ですが、もっと大切なのは、定期テスト直前ではない日々の学習を見直すことです。


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by terakoyanet | 2019-07-05 15:18 | 生徒のがんばり(テスト結果等) | Trackback | Comments(0)

とらきつね、親子の手帖とたぷの里

先月の末に、唐人町に住むあるお父さんからメールをいただきました。
とても嬉しい内容でしたので、紹介させてください。

・・・

突然のメール失礼いたします。

唐人町に住んで、三児の父親をしております。

「親子の手帖」の愛読者です。


昨週末子どもを連れて「とらきつね」を訪問しました。

上の子が店内にあったお相撲さんの贅肉に頭を巻き込まれた少年のTシャツを気に入って、

その夜、家のホワイトボードに記憶をよびおこしながら書き込み面白がっていました。

下の子がその絵をまた気に入り、笑いが止まらないのです。


「親子の手帖」を読んでいるとき、中学受験を控えた同じ親としても、またかつて子どもだった自分の学生時代の記憶に苛まれて心が締め付けられるような熱いひとときを過ごしました。

鳥羽さんの文章は、そこに居合わせているような情景やまた彼らの情動が直に伝わってくるような丁寧な描写で、一気に読み干してしまいました。

自己や他者の感情を知覚し、またご自分の感情をも具にコントロールする才覚の方なのだろうと察することができました。

俗に言うEQ領域を活性化させるためには本物やいいもの、また「何だこれは?」というようなわけのわからないものを見ることだと聞きますが、その部分に引かれてか私もかねてから気になっていた「とらきつね」に足を運ぶ機会となったわけです。


月曜日の夕方、仕事から帰ると、下の子が散歩に行きたいというので近くを廻ろうと連れ出しました。

その道すがら、「あそこの角に行きたい」と言い出しました。とらきつねです。

おそらく今日は休みだろうと記憶していたのですが遠くはない、ひとまず行ってみようと方向転換です。

子どもはいつもはよくしゃべり冗談を言って笑わせるようなユーモアな童子ですが、この時は何も言わず黙々と前を見て歩みを強めます。

何に突き動かされているのでしょう。

やはりお休みでした。

「帰ろっかー」

「うん。でもほらあれ、見えるねー」

と、お相撲さんのTシャツを指さしてニヤニヤ私の方を見上げます。

あ、そうか。

これか。

お店の事を〝不思議なものと例えられていましたね。


・・・・学習塾というのは勉強を教えさえすればいいし、社会性や道徳について語りだすような塾はかえって信用ならないとさえ思っています。ではなぜこんな余計なことをしているのかと言えば、生徒が通う教室のすぐそばにとりあえず不思議なものが転がっていればいい。そうすれば、匂いに引き寄せられて、必要な人が必要なものと出会うだろうと思い、店やイベントを運営するようになりました。


「勉強」という大きな鉄壁に小さなのぞき穴があって、風の通る抜け道がある、もしくは別の抜け道がある。

その無鉄砲のような潜在的な配慮なるものがあるだけで安心感、選択肢が拡がる。


何だかわからないけど巨大なプレッシャーから逃げ出せるような、

そう感じて嬉しくなりました。


いつも空いてないけど何か或るぞ…

その匂いに引き寄せられて、私はカレーの壺をいただいて帰り、童子は何かを感じ取ったのでしょう。

一夜明けて再び何があるか、そこに立ち戻るという実行力を見せました。

子どもたちはこの店を不思議がり少し怖がっていましたが、同時に面白がり期待を込めていた情動に、また鳥羽さんの言葉が後から追いついてきて、私の記憶にちょうどはまったものですから私も何か感じるものがあったのでしょう。


とらきつねの訪問後、読み残っていた図書館で借りた「親子の手帖」のもう半分を読み終え、何か教育というようなものを超えた次の幸福論に出会った様な気がしてついつ興奮し、支離滅裂な長文になってしましました。すみません。


灯台の灯りが霧の中を挿していくように、子どもたちが迷った時の希望という目じるしに。

これからも応援してます。

ご縁があればこれからの幸せについてのお話など聞きに参ろうと思いますのでイベント情報などあれば教えてください。ありがとうございました。


・・・


本文中の「お相撲さんの贅肉に頭を巻き込まれた少年のTシャツ」は、たぷの里のTシャツのことですね。
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たぷの里、発売に先駆けて本日の18時から藤岡拓太郎さんの特設ページにて一部公開(ためし読み)される模様です。楽しみです。

とらきつねとたぷの里を通して風の通る抜け道のようなものを感じてくださったこと、うれしく思います。

これからの学習塾は、子どもたちを一方向に導くだけではけっしてうまくいかないと思います。
いままでもうまくいっていなかったはずですが、その不自然を許す時代だったのだと思います。

子どもたち一人ひとりが内観(自分の心の裡を観察)できるようになるよう促すということは、
通常の「教育」の目的には含まれていませんが、私はこのことはとても大切だと思っています。
そのためのさりげない仕掛けを、さまざまな場面で心掛けているつもりです。

こういうはたらきかけ自体はとてもわかりにくいものですから、表面的なもの(子どものやる気・成績など)を見て、
教室を去ってしまう方も時にいらっしゃいますが、それもやむをえないことと理解しながら日々仕事をしています。


『親子の手帖』現在、Amazon3部門トップテン入り(鳥影社1位・親子部門9位・た行の著者5位)で在庫切れ。
こういうときは、とらきつねBASEでどうぞ。送料無料。ご希望があればサインもつけます。(いらないと思いますが。)




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by terakoyanet | 2019-07-05 13:07 | とらきつね | Trackback | Comments(0)

とらきつね一般書ランキング (5/27-6/30)と、これから入荷の本

とらきつね一般書ランキング (5/27-6/30)


(1)1 台風一過 植本一子 河出書房新社
(再)2 音楽のまわり 寺尾紗穂編
(再)3 cook 坂口恭平 晶文社
(5)4 親子の手帖 鳥羽和久 鳥影社
(初)5 テーマパーク化する地球 東浩紀 ゲンロン
(再)6 彗星の孤独 寺尾紗穂 スタンド・ブックス
(再)7 夏がとまらない 藤岡拓太郎 ナナロク社
(初)8 アメリカ紀行 千葉雅也 文藝春秋
(初)9 野良犬たちはみな踊る あだち麗三郎 Magical Doughnut Records
(再)10 愛し、日々 寺尾紗穂 天然文庫

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今月は2か月連続で植本一子さんの『台風一過』が首位。こちらの本、とらきつねでお買い上げの方にはオリジナル特典「植本一子かなわない年表」(鳥羽和久編)をお付けしています。植本一子さんの本は、寺子屋の本好きなお母さんたちにもかなり広がっているみたいです。


今月レソラホールでとらきつね主催のライブが開催された「冬にわかれて+坂口恭平」関連の本(寺尾紗穂・坂口恭平・あだち麗三郎)が2位・3位・6位・9位・10位に入りました。ライブにご来場いただいた皆さま、改めてありがとうございました!


このほか、絵本「たぷの里」が発売間近の藤岡拓太郎さんが夏本番を前に再登場! 

そして、新刊が出るたびにランクインする東浩紀さん、千葉雅也さんが初登場。


とらきつねはとてもせまいので、日々大切に本選びをしています。
好みが合う方にとっては間違いない本が並んでいますので、ぜひ本棚を覗きに来て下さい。



【とらきつね 今週、これからの入荷】

入荷日が確定していないものもありますが、この1週間以内を目処に入荷予定の本をご紹介します。


居るのはつらいよ:ケアとセラピーについての覚書 東畑開人 医学書院 (再入荷)

インドのけもの カンチャナー・アルニー, ギータ・ウォルフ エクスナレッジ/タラ・ブックス (新入荷)

おばけのばあ せなけいこ KADOKAWA (新入荷)

キツネと星 コラリー・ビックフォード=スミス アノニマ・スタジオ (新入荷)

<性>なる家族 信田さよ子 春秋社 (新入荷)

タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる 野瀬奈津子・矢萩多聞他 玄光社 (再入荷)

図書室 岸政彦 新潮社 (新入荷)

ナマケモノのいる森で ソフィー・ストラディ アノニマ・スタジオ (新入荷)

猫が好き アヌシュカ・ラヴィシャンカ グラフィック社/タラ・ブックス (再入荷)

ぱたぱた絵本、くまさんどこかな? 高橋 香緒理 河出書房新社 (再入荷)

などなど


とらきつねで販売している本は、全てではありませんが、子育て中のお母さま、お父さまに読んでいただくことをかなり念頭に置いた本選びをしています。良い本にきっと出会えると思いますので、ぜひ見に来てみてください。

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昨日のとらきつね


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by terakoyanet | 2019-07-03 01:55 | とらきつね | Trackback | Comments(0)

当仁中1学期期末テスト塾内平均点(中3)速報値

2019年度、当仁中3年生の本校生期末テスト塾内平均点(速報値)をお知らせいたします。
今年の中3、テスト範囲が出る前からしっかり対策を始める子が多く、自己歴代最高得点をたたき出した生徒も複数名。
かっこ内の数字は学校の平均点との比較。学校の平均点が高いときは差をつけるのが難しいので、今回の5科合計でプラス60点超は素晴らしい結果。この学年のスタート(中1)のころを思い出すと、よくぞここまで伸びたなと感慨深い思いです。

いよいよ夏期講習が迫っています。
これまでの中でも一番子どもたちが伸びる!時期。
勉強を楽しむ気持ちを決して忘れずに、この夏がんばっていきましょう。


◇中3 当仁中塾内平均点(共通クラス)※2名未提出
国語 81.7(+8.0)
数学 84.3(+16.3)
社会 88.9(+12.2)
理科 83.0(+10.9)
英語 79.8(+16.5)
計 417.7(+61.4)
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塾生の得点分布
全体の約3分の2の生徒が400点を突破しています



中3 当仁中塾内平均点(特進クラス)
国語 90.3
数学 96.9
社会 93.3
理科 91.4
英語 92.0
計 463.9

特進クラス生は、なんと全員が450点突破です!
特進クラス生全員の450点越えは、この学年では初、歴代でも3例目です。すごい!!
数学の良さが際立ちます。


中3 当仁中塾内平均点(特進Sクラス)
国語 95.0
数学 98.7
社会 92.7
理科 90.3
英語 96.0
計 472.7

特進Sクラス生は平均点が470点を突破。修猷館を目指す子たちはやはりこれくらいの得点はほしいところ。
社会と理科が特進クラス生のほうが平均点が高いという逆転現象が起こっていますが、私見ではこれは生徒を責められません。

今回の数学と社会と理科は、上位の生徒の得点差が出にくいテストでした。定期テストでは、本当に深い理解をしているかどうかの差が出にくい試験問題が作成されることがある(塾より学校のほうがさまざまな子どもがいるので仕方がない部分もある)のですが、今回の社会は特に、それに該当すると思いました。

ですから、この平均点は誤差の範囲であり、国語・数学・英語できっちり落とさなかったのがさすが特S生の実力だと感じています。


中3生たちには、いよいよ受験生としての勉強を始めるよう、日々呼びかけています。
また、毎回の授業でどんどん進んでいる中3内容を取りこぼさないよう(取りこぼすと受験前にもう一度やらなくちゃいけなくなるから、それよりいまできるようになったほうが絶対にいい。中1・中2の復習をきちんとやる時間をとるためにも、いまの中3内容を取りこぼさない!)これまた日々子どもたちに呼びかけています。



<お知らせ>
中3、夏期講習スタートで1・2名だけ追加でご参加いただけそうですので、以前に満員でお断りした方やご検討中の方はご連絡ください。


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by terakoyanet | 2019-07-02 10:04 | 生徒のがんばり(テスト結果等) | Trackback | Comments(0)

子どもの希望との付き合い方【改訂】

今日の夕方に書いた「子どもの希望とのつき合い方」。
たくさんの反響をいただいているので、書き散らしただけの文章を、もう少しきちんと書き直したいと思います。

・・・・

子どもが進路を決めるとき、または部活動や塾を続けるかどうか迷っているときなど、子どもが何らかの選択をするときに、昔の親はこうしろと自分の方針(「家」としての方針の場合もある)を押し付ける傾向が強かったが、いまの親はむしろ手放しで子どもに決めさせる人が多くなっている。

子どもの希望をそのまま支援することは、子どもの希望を大切にすることを通してその人格を認めるという意味でとても大切だが、一方で無条件に何でも子どもの希望通りにすればよいというものではない。

子どもは判断を誤る。それで痛い目を見て学べる面もあるかもしれないが、そのせいで大きなチャンスを逃すこともある。
だから、子どもの希望に対して疑問がある場合は、大人はちゃんと干渉する必要があると思う。

子どもの希望どおりに決定したことが正しいこととしてもてはやされている現場がある。そこでじっと目を凝らしてみると、どうしたらいいかわからない大人の姿が浮かび上がることがある。どうしていいかわからない自分を隠すために、判断から逃げるために、子どもの希望に異議を唱えようとしない大人がそこにはいる。これでは大人は子どもを不幸にしてしまう。少なくともその子を幸福へ導くことはできない。

でも、大人だってわからないのはあたりまえだ。未来のことなんて誰にもわかるわけがないのに、大人はどうしてそうやって責任を取ろうとして自分を責めるのだろう。
わからない大人と子どもがどうすればよいかといえば、結論が出なくてもいいからしっかり話すことだ。話すなんて当たり前のことだと思われているけれど、その効用についてはあまり理解されていない。話すからには結論を出さねばと考えがちだけど、話すことの本当の意味はそこにはない。話す過程があったという事実自体が、判断後の子どもを支えるのだ。だからすっきりとした結論が出ることにこだわらず、まずは話してみることが大切である。

話すときに母と子のような1対1だと気詰まりになりやすい。十代の子どもたちにとって、親と向き合うのは苦しくてつまらなくて恥ずかしくて、子どもにとってはあまり気が向かないことの場合も多い。だからできれば人数は3人、4人といたほうがいい。子どもと両親の3人で話す場合には、「あなたはどう思っているの?」と子どもに意思をやたらと確認するのではなくて、親ふたりのそれぞれが子どもの希望についてどう思っているかを公開討論のつもりで聞かせてあげたらいい。子どもはいつも無理やりにあいまいな意思を表明させられがちだが、あれはダメだ。(だってそれは子どもに「頑張る」という言質を無理やりとっているだけでしょう。そんなのうまくいくわけがない。)そうではなくて、子どもの意思がどうやったら芽生えるかを考えてあげてほしい。子どもの意思を芽生えさせるためのひとつのアイデアが、大人が目の前でいろいろなアイデアを少しくらい無責任でもいいから、いろいろ聞かせてあげるということだ。

そこに第3者が混じるとなお良い。親と子にとって第3者はクリーンな存在だ。彼らは子どものことを何の欲望も利害もなく見ることができるので、単なるアイデアマンとしてそこに存在できる。親というのはいつでも知らないうちに「あなたの人生なのよ」「選択によってあなたの人生は変わるのよ」という重たい荷物を子どもに背負わせているものだ。その重荷のせいで、子どもはいつも自由な思考を妨げられている。そういう重圧から解放されて、自分の人生の選択をクールにクリアに面白く考えることができたときに初めて、子どもは本来の欲望を発見する。自分独自の生き方について、ふつふつと興味が湧いてくる。


子どもの希望についての具体的な判断のしかたは、そのときによってさまざまだが、「ある物事をこれからも続けるかどうか」についての判断の指標のひとつには、外的要因内的要因がある。

たとえば塾をやめたがっている子が、「塾の先生の教え方が悪く、教室の雰囲気が悪い」と言っているなら、それは外的要因である。
こういう場合は、塾を変えれば問題が解決することが多いので、早めに(できれば受験生の学年になる前に)変えた方がいい。

同じく塾をやめたがっている子が、授業がどうとかというよりは「宿題がきつい」「最近授業についていけない」「部活との両立が大変」と自分を主語にして要因を語る場合、これが内的要因である。
この場合は、塾をやめても状況が変わるとは限らないので、まずはいまの生活を見直すことから始めるべきだし、もし塾のスケジュールがきついなら、教室に伝えれば相談に乗ってくれるはずだ。内的要因が主な原因なのに外側のものをバサバサと切っていくと、その子はどんどん弱くなってしまうのは目に見えている。むしろ、「こういう状況の私でも、何かを続けることができる」という経験をすることが大切だと思う。

実際には外的要因と内的要因が絡まっていることも多いので、その点を整理する意味でも、大人が子どもからよく話を聞くことが求められている。





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by terakoyanet | 2019-07-01 02:26 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)