戦争と平和

先日授業で、終戦の詔が出された1945年8月15日の玉音放送のことを解説しました。
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 天皇の終戦(敗戦)の詔が流れるラジオの前で、土下座したり泣いたりする人たちの写真を見て、生徒たち数名が「こんなんすごいね」「ありえん」「洗脳されてる」との弁。この率直な反応に肯くも、いや待てよ、と思い、以下のことを話しました。
 
 確かに日本中すべての人が土下座したり泣いたりしてたわけじゃないと思うよ。でも、いま「ありえん」「すごいね」って言った人も、いっしょに土下座してるかもしれんよ。戦争ってのはそういうもんなんだよ。みんないっつも人に流されるやろ、友達に流されるやろ、テレビに流されるやろ、いつだっていますぐだっておんなじ状況にすぐなるんよ。いますでにおんなじ状況になってるのに気づいてないだけかもしれんよ。と。

 戦争と平和に関する最大の誤解は、現在のイラクのように人命が脅かされる状態であれば「戦争状態」であり、日本のようにふつうにしてれば命が脅かされる状態でなければ「平和」だと明確な区切りを入れてしまうことです。
 確かに日常的に命が脅かされているかどうかというのは、人間の生活にとって、決定的な意味を持つものです。でも、私たちがここで忘れてはならないのは、いつも私たちのすぐ隣に、私たち自身に戦争の萌芽があるということです。学校にもクラスにも、もしかしたら家庭にも戦争の芽があるかもしれません。いじめ、嫌がらせなどのわかりやすい事例だけでなく、例えば、人を愛する心といった、私たちがかけがえのないものと考えているもののなかにさえ、戦争の芽があるかもしれません。かけがえのないもののなかに戦争の芽があるからこそ、世界から戦争がなくならないのかもしれません。だから、子どもは、戦争を人ごと、ありえない狂気じみたことと考えるのではなく、自分のこととして考えていく力を養う必要があると思います。
# by terakoyanet | 2007-04-30 11:59 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

(1)からつづく・・・

 しかし、勉強する理由として「いい学校に入るためだよ」「いい会社に入るためだよ」という、むかしからの価値観がいまや通用しないのは周知のことである。
 いまの中学生の親世代は、日本の高度経済成長期の後期、1960年代生まれが最も多く、その日本の青春期の煌きを、ほのかに記憶している世代にあたる。しかし、その後、1970年代から現在に至るまで、(携帯電話とインターネットの普及といったこと以外、)社会や雇用の構造等に大きな変化はなく、特に平成生まれの現在の中学生たちは、バブルのあの浮き足立った雰囲気さえ知らず、彼らがただ感じ、学んでいるのは、バブルに対する懐古と反省のみ。日本経済が壮年期に入るに伴い、子どもたちもその壮年の空気を吸うがために、ただ子どもたちの精神まで老け込んでいくばかり、あまりに老け込んだために最近のポップスでは「でも夢を持つことはかっこわるいことじゃない」(たしか浜崎あゆみの曲にこんな歌詞があったような)と負からの出発を前提として「それでもやっぱりがんばろうよ」とはげます状況になっている。(つづく)
# by terakoyanet | 2007-04-29 12:17 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

定員の空き状況(4/27現在)

4/27現在の定員の空き状況は

1年生 残り1名    2年生 満員御礼    3年生 満員御礼

となっております。もし、新1年生でご希望のかたがおられましたらお早目の連絡、お待ちしております。

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マウイ島マケナ  Sep. 2006 photo by toba
# by terakoyanet | 2007-04-27 07:32 | 生徒募集(定員空き状況) | Trackback | Comments(0)