新高校1年生のみんな、高校入学おめでとう。
勉強も遊びもめいいっぱいやってください。
悩み抜いて、たくさん吸収して、自分を鍛えてください。
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みんなの3年間を見守る観音(韮崎観音・山梨県)


3月に卒業生の中3(新高1)を対象に15歳のハローワークを行いました。



子供たちにはちくまの連載の中からこの文章を共有し、好きなことを書いてもらいました。
子供たちが書き綴った言葉をこちらで紹介したいと思います。


「夢」ってすてきな言葉だとみんな思うだろうけど、自分は一種の呪いだと思う。親や先生は夢を引き出そうとしてくれるけど、ないものはないんだから、つまらない自分をさらけだすだけになってしまう。それが怖い。

何かにあこがれをいだいたときもあった。だけど、生まれもった能力が低い自分には、あの人のようになることはできないんだと、なりたいものになることができない自分という呪いを自分にかけてるんだと思う。ありのままが一番かもしれないけれど、それはそれで普通じゃない自分を相手に見せてしまうかもしれない。それもまた怖い。

夢なんてもの、あってはならないとさえ思う。なりたくてもなれない人の気持ちを考えたことがあるか?と聞きたい。そんな大人にはなりたくない。大人になるのが運命なら、せめて透明に生きたい。(白では塗りつぶされてしまうから。)これが多分、自分の将来の夢だと思う。

なんて、他の人には言えない。正しい生き方があるとするなら、教えてほしい。親や先生の言うことに忠実に従うことが正しいのかもわからない。そもそも親なんてフィクションだと思う。親も呪いだと思う。私の方があなたのことを知っている的なオーラを出して、できるできないを決めてくる。反抗してもけっきょく自分は一人で生きることができない。

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私の今の夢は、アナウンサーになることです。小さいころは、バレエの先生になりたい、とか、柴犬のブリーダーになりたいと、コロコロと夢が変わっていました。しかし、アナウンサーになるという夢は、小学2年生のころからの変わらない夢であり、大きな私の目標でもあります。

先生の文章の中に「将来の夢は早く決めないほうがいい。」と書いてありますが、私は違うと思います。高校受験が終わった今、そのことを深く考えることができました。

私はずっと行きたかった第一志望校に合格することができました。合格したことはもちろんうれしいし、高校生活を楽しみにしているのですが、なぜか私の中でポッカリと穴が開いてしまった感じがします。なぜなら、今の私に「行きたい大学」という目標がなく、これから勉強をがんばっていける気がしないからです。

だから、先日、私の父に「何か勉強やる気がでないんだよね。てきとうに志望校を決めるのはよくないと分かってるんだけど、目標にしたい大学きめちゃっていいかな。」とたずねました。すると父は、「高い目標をもってるほうが頑張れると思うから、○○大学にしたら?」とこたえました。でもなぜか私はそれに納得できず、まだ決められていませんが……。

私は目標があると、人よりも何倍も努力することができる自信があります。しかし、納得がいっていない夢では頑張れる気がしません。「将来の夢」のような大きな目標だけでなく、志望校合格という小さな目標でも立てることはいいことだと思います。早めに志望校をきめておくことで3年間がんばることができる私は、それと同じように将来の夢を早くきめたほうがいいと思うので、「将来の夢は早くきめないほうがいい」ということは人によってちがうと思うので、きめつけられることがいやです。

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小学校や中学校など、様々な場所で「将来の夢」について考えたり尋ねられたりすることがありました。私はこんなことをして何になるのかと、ずっと思っていました。

確かに将来の夢をもつことはとてもよいことだと思います。なぜなら、その目標に向かって頑張ろうと前向きな気持ちになれると思うからです。

しかし、私にははっきりとした夢や目標がなかったので、自分が何のために勉強しているのかわからなくなるときがありました。親には、高校や大学に行って、しっかりとした職について、などと言われました。たしかにそうです。でも、自分の行きたくない高校、大学に行き、やりがいのない仕事をするようでは、何のために生きているのか?とまた考える時がくるのではないかと想像してしまい、自分はどうすればよいのか悩んでいました。将来のことを考えるのって大変だなと思っていました。

でも、先生の「将来の夢」についての話を読んで、将来は無理やり決めなくても、いずれ何かに動かされることがあるというのを読んで、今決めなくてもいいんだと安心しました。話にもあったように、私はまだ「選択」はせず、まずは目の前に没入することを大切に日々をすごしたいと思いました。

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今、私は退屈な授業や理不尽な校則を押し付ける学校にかよっているのですが、私はそれと同じような会社に就くと思います。なぜなら、私はそんな会社でその生活をすることを望んでいるかもしれないからです。私はそれがいやだとも思いますが、これまで学校という名の訓練場でその生活に慣れているからそう考えるのだと思います。

だから、社会ではたらく人は、同じような考えの人が多いんだと思いました。
なので、私もその一人になるのだと思います。

そんな私には将来の夢はありません。
私はその途中で死ぬと思います。

このことは多くの人が思っていることだと思うのですが、私が思うその原因は、こんな人を作る学校にあると思います。(私は教師にはなりません。)
ですが、途中で私の夢を見つけたいです。

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小学校のころから、「なりたい自分」について考え続け、中学校になったときに二人の大人に出会いました。一人は鳥羽先生で、もう一人は剣道の先生です。初めて心の底からかっこいい、楽しそう、という言葉があてはまり、自分もあんな風に人生を生きてみたいとあこがれることができる大人でした。それは、二人の大人が、自分の考えややりたいことをすぐに説明でき、その理由も答えられるほど、自分の考えがまとまっていると感じたからです。

子どもの僕は、様々なことから影響を受けやすく、自分の考えがあやふやです。日々「なりたい自分」が変化することに対し、こんなんで将来生きていけるのかな、という漠然とした不安や焦燥感がありました。

しかし、剣道の先生に出会って「自分だって変化しながらなりたい自分を探した」と聞いて、僕はこのままでもいいんだと思い始め、そこからは自然と将来への不安が軽くなりました。

どうせ5年もすれば大人になる。問題は「なりたい自分」は何かを再確認しながら、そのためのプランを立て続けることだと考えつきました。

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歯医者になりたいです。予約制のとこが多そうだから定時に帰れるだろうし、三大欲求のひとつに関わっている仕事なのでそうそう職を失わなそうだからです。

というのは後付けで、○○高校に行くか××高校に行くか迷ったときに、1対1の英会話授業を魅力として売り出してる○○高校に行きたくなかったので、医進コースがある××高校に行きたいという建前用に作りました。

でも、歯医者になりたいのは本当で、というか自分の時間が確保できて、休日に仕事のことを考えなくていい、かつ安定した職なら大概どれでもいいです。今まで会ったもののなかで、歯医者が一番ちょっとがんばればまぁなれるくらいのちょうどいいものだっただけで。

私は副業とか趣味として絵を描きたいから、その環境が整えられればそれがいいです。でも、イラストレーターには絶対になりたくないです。不安定だし、義務になると好きが嫌いに変わるかもしれないし、自分の描きたいものを描きたいだけ描きたいからです。人の需要に沿って描くとなると、ほんとにおもんなさそう。私が将来のために覚えたいのは、副業の確定申告の方法です。

仕事に人生ついやすのは楽しくないので嫌です。仕事は自分のやりたいことを支えるためにあるものだと私は思うので、教師とか自営業とかにはなりません。最低限のお金(少なすぎるのは困る)と、最大限の自由時間を得られればそれがいいです。



言葉を失うほど読み応えがあって、こういう子供たちといっしょに勉強するという経験はとんでもないことだなと改めて思いました。また他の子たちの言葉は後日載せます。



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# by terakoyanet | 2022-04-08 09:48 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

教室改装後最初の授業

春期休業期間中に、2Fと7Fの一部改装を行いました。
昨日は春期講習後半戦開始で、改装後最初の授業が行われました。

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改装後、最初の授業で新中1のみんなで記念写真。いまから楽しみながらがんばっていこうね。



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# by terakoyanet | 2022-04-05 13:48 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

千葉雅也さんの『現代思想入門』、第三章ではフーコーが取り扱われている。

この章の前半では権力論を通してフーコーの思想の概略が示され、その中の「権力の三つのありかた」のうちのひとつとして、規律訓練を通して自分で自分のことを監視する(「個人」の心がけ/アイデンティティ)が発生することが説明されている。

潜伏キリシタンの村(大刀洗町今村)で生まれた私は、幼少時代に強烈なキリスト教的内面教育を受けた。保育園で私たちを毎日指導していたシスター(名前を一生忘れることはない、糸永ゆりこ先生。厳格な天使のような人だった)は、内面に宿る嘘や嫌悪は罪だと教えたし、西洋の地獄絵図を見せながら、その罪はあなたを地獄に落とすと警告した。地獄に落ちないためにはその罪の数を数えて、告解で赦しを求めなさいと教えられた。私は四六時中、自分が罪を犯してしまうという反省性に冒されていたし、そのことがその後の人生の選択をこじらせる原因のひとつになっていたことに気づいたのはごく最近のことだ。

千葉さんは「アイデンティティなるものが成立するそのときに、良いアイデンティティと悪いアイデンティティという二項対立が同時に成立した」(p103)とまとめているが、私はまさにこの二項対立に苦しめられ、いかに自分が悪いアイデンティティから抜け出すかということに捉われてきた人生だった。私の中では「悪いアイデンティティ」と罪とは繋がっていて、「自分は異常「者」なのではないかというアイデンティティの不安」(p103)が常に人生につきまとっていた。私がこの本に限らず千葉さんのこれまでの著作(やツイート)から学んだのは、このような二項対立から抜け出してもっと明るく生きていいんだという脱構築であり、真剣な意味でそれは私にとっての福音だった。

(ちなみに、キリスト教の内心の問題と規律訓練の成立のつながりについては『性の歴史Ⅳ肉の告白』に叙述されているとのことで、速攻で注文を入れた。それにしても千葉さんのこの本、取り上げられている本が売れるという二次的な波及効果も凄まじいものがあるだろう。私はデリダ、ドゥルーズ、フーコーの主著はだいたい持っているのに、すでに追加で5冊本を買った。まさに読者に「勉強」を促す本である。)


この章の白眉は「ここからは上級編の話」と宣告された後に始まる最後部(「新たなる古代人」になること)だ。千葉さんは、フーコーの『性の歴史』の第2・3巻について「つねに反省し続けなければならない主体」よりも前の段階に戻る」という狙いを導き出していて、私にはその意図がよくわかる。(千葉さんは昨日ツイートの中で自身の小説の要素を「脱葛藤化する」ことにすべてがあると言っていて、このふたつは表現は異なるけれど、おそらくは同じことだ。)

それにしても、世の中は反省や葛藤に覆われている。私の最初に書いた本『親子の手帖』(鳥影社)を読むと、書いている私自身が世の中の「反省」モードに巻き込まれていて、そこから逸脱しようとしながらもどうしようもなく巻き込まれていることが自分でわかる。この本は、どうしても「内面」にこだわりすぎる著者と読者による反省と葛藤の記録である。

千葉さんは極めて慎重な筆致で、そのような捉われに対する「逃走線」へのヒントとして、後期フーコーが見ていた古代的あり方、古代人の「自己への配慮」を紹介する。古代の世界は「もっと有限的」「自己との終わりなき闘いをするというよりは、その都度注意をし、適宜自分の人生をコントロールしていく」ものであり、古代の「自己への配慮」とは、「あくまで自己本位で罪責性には至らないような自己管理をする」ことであったと。これはまさに「脱葛藤化」の話だ。

そこから千葉さんはさらに「千葉流」のフーコー読解として(※フーコーの著作に書かれているものと「千葉流」を明確に区別する手業に千葉さんの倫理が見える/これは倫理「観」だけではなくちゃんと勉強しないとできない)「「新たなる古代人」になるやり方として、内面にあまりこだわりすぎず自分自身に対してマテリアルに関わりながら、しかしそれを大規模な生政治への抵抗としてそうする、というやり方がありうる」(p106)と言っている。「マテリアルに関わりながら」という独特の表現が見事だが、これはつまり規範性と世俗的自由の間で揺れ動きながら、(いや、揺れ動くなんて言うとまた「内面」が出てくる……)十分に気を遣うけど反省しない、これが自分の人生なんだとじっと手をみる、そういった行為と符合する(いやアホか、じっと手をみるなんて言うとまた「内面」が出てくるじゃないか……)

とにかく、こうやって「内面」に捉われがちなくせに、いつも規範から逸脱したい私にとっては、この章で紹介された「脱葛藤化」を促す「自己への配慮」とともに、過度に構わないことや自分に固執しすぎないことが、それだけで生政治への抵抗になりうるという千葉さんの視点は明るい光のようで、それでいて実践的で有効なものです。この本は読み進めるたびに、多方向に逃走線を描きながら変化していく自分を感じられるような気がして、それがこれ以上ない歓びなのです。

(2022年3月29日/『現代思想入門』を第3章まで読み終える)




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# by terakoyanet | 2022-03-29 12:27 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)