子育てを通して、私たちは幾度も、自分自身への問い直しを迫られます。自分というのは、なんて不可解でわがままで、弱くて脆いんだ、そういうことに気づかされて、そんな自分を認めたくないという気持ちにもなります。子が煩わしいと思って自己嫌悪に陥ったり、子が愛せない自分を憂えたり、子の気持ちより自分の感情を優先していることに気づいて愕然としたり。そんな、子どもをいつも傷つけてしまうような、泥にまみれた子育てをしているのに、それでもなお、親は子を愛おしく思う気持ちから、決して逃れることができません。だから親は尊いのです。

日々のさまざまな心の動きを通して、自分を知る、自分になる。そういう人生そのものともいうべき歩みを、子どもといっしょに濃密に積み重ねることができるから、子育てというのは、本当に深い味わいがあるものなのでしょう。

ー『親子の手帖』よりー



いまインスタグラムを見ていたら、茨城県の「器と暮らしの道具ハコニワ」さんのページに、21歳の息子の誕生日を迎えた母の心情に『親子の手帖』のこの部分の文章が添えられた記事があり、心を揺さぶられました。自分では何をどこに書いたかいまや定かではないのですが、こうやって必要なときに必要なページが開かれることに、本という媒体の不思議な力強さを感じます。
https://www.instagram.com/p/B5DPugWlSXh/



☆『親子の手帖』に次ぐ新刊が、来年の春までにナナロクより刊行されます。自分がいちばんというくらい好きな出版社から本を出すことができる僥倖。今回は親よりも子どもを主人公に据えた本になります。本の編集は谷川俊太郎さんの数々の詩集や、和田誠さん、鹿子裕文さんの本を手掛ける川口恵子さん、そして本の校閲はテレビセブンルールへの出演でも知られる牟田都子さんという、ちょっと私にはもったいなすぎる布陣による新作になります。全てが『親子の手帖』を読んでくださった皆様のおかげです。ありがとうございます。(鳥羽)



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# by terakoyanet | 2019-11-22 05:00 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

前記事の「勉強のしかたがわからない」のお話し。これだけではわかりにくいと思いますので、昨年の10月に書いた「うちの子はがんばっているのに成績が伸びない」は大抵間違っているという記事から文章を一部引用します。(全文読みたい方はリンク先を見てください。)


うちの子どもは「がんばっているのに、成績が伸びない」というのは、大抵、親の勝手な解釈なんです。
実際は、「がんばっているからこそ、いまの成績が維持できている」のかもしれないのに、ただ、学校や模試において点数が伸びてないという表層的な理由に基づき、子どもに対し「成績が伸びない」という烙印を押す。がんばっているのなら、それが現状の子どもにとってはベストに近い状態かもしれないのに、その斜め上を見て、「成績が伸びない」と断定してしまう。それは親の願望でしかありません。そして、このことによって傷つく子どもは多いです。

「がんばっているのに、成績が伸びない」
親がそう他人に主張しているとき、大抵の子どもは親が「私のことを一生懸命考えてくれてる」「私はなぜ伸びないんだろう」と考えますから、子どもが親のことを嫌いになることはありません。目の前の親が高望みをすることで、自分自身を傷つけているのに、子どもは決してそう解釈することはありません。子どもというのは、大切な親を救うためには、自分自身を損ねることを厭いません。親は子どもを救っているつもりで、何度子どもに救われればそのことに気づくのでしょうか。

「がんばっているのに、成績が伸びない」
親がそう他人に主張しているとき、「うちの子はがんばっているけど、勉強のやり方がわかっていないから、成績が伸びない」という考えが含まれることが多いです。それはつまり、「そもそもうちの子は勉強のやり方がわかっていないし、それを的確に教えてくれる人がいない」という他者(たとえば学校や塾)に対する不満を含んでいます。
しかし、勉強が「わかる」という真の経験がある人たちは、きっとそんな考えを持つことはありません。なぜかと言えば、その人たちは、勉強のやり方というのは、自らの手によって掴み取ることによってしか、得られることのない類いのものだからということを知っているからです。
「馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない。」このことわざは、最終的には自分の意志でがんばらなければならない、というような単純な意味ではなく、学問でも他の分野でもそうですが、指導者ができることは、ある問題の解決のための具体的な方法を教示するところまでであり、実際にそれが「わかる」ようになるのは、本人の手によってでしかないという、学習というものの本源的な性質を示すものです。指導者として大切な素質は第一に「本人の能力を奪わないこと」であり、それを土台にしつつ「問題解決の糸口を見つけやすくしてあげる」(これは案外難しいことですから、指導者には能力差があるのです)ことに尽きるのですが、「うちの子はがんばっているのに、成績が伸びない」と主張する親たちはたびたび子どもが「わかる」こと自体を他人に依拠しようとします。これは、水辺で馬に無理やり水を飲ませようとしていることと同じであり、うまくいかないどころか、子ども自身にとっては完全にマイナスにしか働かない所為と言わざるをえません。「解決そのものを他人に依存すること」を教えるのは、親が無自覚に「本人の能力を奪う」例として、私がこれまでに幾度も見てきたことのひとつです。


誰かにわかるようにしてもらいたい、というのは勉強じゃないんです。
本人が、ある決意や覚悟をもって勉強に取り組み始めたときに初めて、勉強の世界が本人の前に開けてきます。それを経験もせずに、誰かにわかるようにしてもらいたいと願うことは、死んだように勉強するのと同じです。勉強の出来不出来以前に、生きたように勉強をすることを、子どもたちには知ってほしいと願っています。
そのためにも、できない子どもを責めるのではなく、子どもが生きた勉強をしているか、勉強の世界が本人の前に開けているか、そのことを一番大切に考えながらご家族にも子どもたちを見守っていただきたいと思います。




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# by terakoyanet | 2019-11-22 03:37 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

11月の福岡県模試

今週は学校で中間テストが返却された生徒が多く、やけにテンションが高いです。
結果が出揃うのを待って、お知らせいたします。(かなりいい結果をご報告できそうです。)

昨日、11月の福岡県模試の結果が出ました。
今回は中間直前&英検2次試験との重なりで受験者が7000余名と若干少なめでしたが、本校からは全県総合TOP10に入る快挙を見せたAさん(全県総合7位を始め、たくさんの生徒が好成績をおさめました。ここにきて自己新記録をたたき出した生徒も多数にのぼっています。Aさんは国語で全県2位を獲得。理科では11位、数学で26位に入るなど健闘しました。全県TOP50には3名がランクイン!(AさんとNくん、Mくん)塾内4位のTくんは全県総合で55位でした。

今年の中3生、着実にやっていると思いますが、でもまだまだ努力が足りない子が散見されます。
昨日の中3の授業では、日ごろからあまりに授業プリントを忘れる子が多いので(昨日も8人も英語のプリント忘れがいました)ほんといいかげんにちゃんと持ってきてくれとお願いをしました。こういうところが学年がピリッとしない原因になるのです。(プリントを忘れた子に対応をするせいで時間もロスします。)もっとしっかりしてね、中3生。切実に。

昨日の中3の授業でも生徒たちに言ったのですが、たまに面談で「この子は勉強のしかたがわかっていないみたいで。」「しかたを教えていただけますか。」と親御さんに言われてズッコけそうになることがあります。もう悲しくなります。なぜかといえば、授業というのは、言ってみれば勉強のやり方を教える時間なんです。勉強のしかたについて、宿題のやり方について、これ以上無理というくらい具体的な指導をしているんです。それをやれば基本的にそれが全てなんです。だから、「勉強のしかたがわからない」と言われると、いつもの授業と宿題っていったい何なのと思わざるをえなくなります。(子どもたちは親がそういうことを言い出すときまって慌てて否定します。それは、勉強のしかたがわからないというよりは、していないだけということを自覚しているからです。)ですから「勉強のしかたがわからない」ではなくて、「この子は〇〇の単元の〇〇の部分を覚えるのが(理解するのが/解くのが)難しいみたいで」というふうに具体的に解析度を上げた形で考えていただきたいし、質問してほしいのです。「勉強のしかたがわからない」と言っている子は、単にやってみていないだけなので、答えようがないということを理解していただきたいと思います。


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# by terakoyanet | 2019-11-22 03:18 | 生徒のがんばり(テスト結果等) | Trackback | Comments(0)