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万里の長城とテーマパーク

北京郊外の万里の長城(慕田峪長城)に行きました。
市の中心部からタクシーで1時間強。(バスもあります。)
北京の喧騒から離れてこの辺りまで来ると、気持ちいい風がふいています。
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万里の長城が辺境の地にあるという印象がある人にとっては、このアクセスのよさは驚くべきことかもしれません。
万里の長城自体も、他の世界遺産同様に良くも悪くもテーマパーク化が進んでいますから、何の不自由もありません。
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長城まではロープウェイやリフトで行くことができます。下りはスライダーで下ることもできます。
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登って辿りついた長城からは、想像以上の素晴らしい景観が広がっています。
万里の長城と聞くと荒涼とした風景を思い起こすものですが、ここは豊かな緑に覆われています。
尾根を這うようにずっと東西に延びるその姿を追っていると、その先への好奇心がふつふつと沸き起こります。
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とは言っても、万里の長城は、ずっと1本の壁が続いているわけではない。
かつてフランツ・カフカが言ったとおり、それは「各所に空隙」がある建造物です。
空隙を埋めようと後からいくら継ぎ足していっても、いつまでも完成しない建造物、それが万里の長城。
いかにもカフカ的な恐ろしさを感じる話です。

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今度行くことがあれば、周辺をトレッキングしたら面白そうだなと考えています。



テーマパーク化といえば、東浩紀さんの新刊『テーマパーク化する地球』が面白いです。
最初は「テーマパークと慰霊」という文章で、中国の大連が出てきます。
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大連という都市自体が、はじめからテーマパークだった、という話。すごく面白いです。

大連をテーマパーク化した国として、ソ連と日本が出てくるのですが、ロシアの極東地方にある都市はそもそもほとんどテーマパーク的だなという実感があります。いまも「模倣の模倣」(東浩紀) という異物を持ち込んだ余所余所しさが甚だしい。ですから、ソ連は極東地方の開発で身につけたテーマパークのノウハウを大連に持ち込んだ感もあります。
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ハバロフスク

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『テーマパーク化する地球』については、数日前に別のところで以下のように紹介しています。文学論としても面白い本です。


東浩紀さんの新刊『テーマパーク化する地球』。タイトルからは想像しにくいかもしれないが、この本の大きなテーマのひとつは「文学」である (と思う)。

石牟礼道子の『苦海浄土』に「本人でさえいいたいことに気づいていない」当事者性を超える「心の中でいっていること」の語りを見出し、高橋源一郎の小説に「評論が拡張した結果としての小説」つまり「この小説こそが批評である」ことを見出す。

ほんとうの批評は、時代の変化の現実に向かい合い、新たな批評の文体を発明すべく悪戦苦闘しなければならない。東さんはこの問題意識から、文学であるからこそ批評でありえた作品に注目する。

そしてその意識は当然、彼自身の文体さえも揺さぶる。それはかつて二葉亭四迷が『浮雲』で見せた、文体の変化がそのまま哲学と概念の闘いの軌跡を示したあの現場を思い起こさせるものである。

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by terakoyanet | 2019-06-25 10:18 | 好きな場所 | Trackback | Comments(0)

麗江の風景

たった20分前に5日ぶりの自宅に戻ってきました。
この5日の間に、日本は平成から令和になり、福岡の日中の気温は9度上昇するなど変化はありましたが、私は帰って来るやいなやパソコンの前に座って仕事を始め、妻は中国の塵がついた洗濯物を洗い始めました。日常のリスタートです。

旅先で見たSNS上は、令和という新時代への祝賀と、GWを楽しんでいる人たちに手向けられた呪いの言葉で溢れていました。

私は部活の休みが2日しかないと嘆いていたあの子や、GWは逆に平日より疲れてしまって誰のための休みかわからないと嘆いていたあのお母さんの顔を思い浮かべながらも、とにかく自分は自分だ、1年の土日の9割以上働き続け、いっこうに休んでいない私は今こそ休むのだと自分に言い聞かせながら、束の間のホリデーを満喫してきました。


日本の心無い人たちは「中国」という広大な国を一括りにして語りがちですが、中国は広大で、実にさまざまな表情を持っています。気候も食べ物も人々の顔の表情も時間の流れ方も、土地によって全く異なっています。

「中国汚い。」そんなことを平気で言う子どもがいます。
私はこれを大人が子どもにかけた呪いだと思っていて、中国に行ったことがない子どもにそんな見識を持たせる大人たちは間違っていると思います。5年ぶりに行った中国はさまざまな面が様変わりしていました。子どもたちには優越感や偏見に居直ることなく、隣国のいまを自分の目で見てほしいと切に願います。


話は逸れますが、大人は子どもに簡単に呪いをかけてしまうということをもっともっと意識したほうがいいと思います。
自分が好きなことがある。それを仕事にしたい。
そう目の前で言う子どもに対して、そんなに現実は甘くないわよ、と親が言うとき、
親は子の将来を心配して言ってるつもりかもしれませんが、これも一種の呪いです。
この呪いによってこれまでどれだけ多くの子どもたちが「自分が好きなこと」を仕事にすることを諦めて、「親と同じようになる」ことを選択してきたか。
これからは「好きなことを仕事にするのが当たり前」。そんな時代になっていきます。
これは間違いない流れです。だから、呪いで子どもの足をひっぱらないでください。



自分の人生の「うまくゆかなさ」を子どもや他人に呪いとして転嫁する。これはさまざまな神話や寓話の主題になっているくらいですから、人の最も根源的な欲求のひとつと言えるかもしれません。

でもその呪いを正当化して当てこするから、子どもは自分の方が間違っているという不幸な認識を抱くことになるし、それが他人の場合には差別やヘイトやいじめやハラスメントなどを「やむをえないこと」なんて言いながらむしろ増長するような空気を生み出してしまう。

だから私たちは呪いを生み出してしまう私たちと社会について、もっともっと考えていく必要があると思います。



雲南省はこれまで昆明しか行ったことがありませんでしたが、麗江は美しい山と水と空気。
本当に素晴らしいところでした。

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麗江旧市街(世界遺産)を見下ろす


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滞在したのはまるで映画のセットのようなアマンダヤンホテル


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麗江の朝の美しさ

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朝は静かな町

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昼を過ぎると賑わう

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中国も5月の初めは連休で、町は多くの人たちで賑わう

昔の麗江は静かな情緒があってよかった
かつての麗江を知っている人たちはそう言います
確かにいまの麗江が失ってしまったかけがえのない美しいものがあったのだろうと思います

でも、私たちにはいまの麗江を楽しむことしかできないし
いまの麗江もやっぱり楽しくて魅力的な町です
その土地のいまを楽しむ

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中国があれだけ多くの人口を抱えることができているのは
第一に水資源の豊富さがその理由に挙げられる
そんな当たり前のことも見ずに国の一面だけ切り取って
「中国は環境が悪い」と言う浅はかさを思い知る


水に恵まれる雲南の農業について
深く学んでみたいと思いました

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幸い天候に恵まれ、玉龍雪山を借景にして
印象麗江と呼ばれる大スペクタルな演劇を鑑賞することができました


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by terakoyanet | 2019-05-05 16:46 | 好きな場所 | Trackback | Comments(0)

スリランカの聖堂に花束を。

カトリックの人たちにとって、復活祭(イースター)はクリスマスと同等に、もしくはそれ以上に大切な祝日です。その日を狙った同時多発テロが、この10年間治安が安定していたスリランカで起こりました。

私は昨年の9月、今回 テロの標的になった、コロンボの聖堂 St. Anthony Shrine を訪問し、今年の1月に「コロンボにて」という記事を書きました。この記事では、この聖堂での出来事、頂いたカレーの味わい、そしてスリランカという多民族国家の「苛烈な現実」について書きました。まさに今回の事件は、スリランカの「苛烈な現実」を改めて思い知らされる出来事となってしまいました。心が強く揺さぶられて、何も手に付かないほどです。

私は、標的になった聖堂を最近訪問した数少ない日本人として、そして自身もカトリックの家に生まれ教会に育てられた人間として、何かを書いておかねばならないという義侠心のようなものに駆られ、いまパソコンの前に座っています。



今回テロのターゲットとなったコロンボの St. Anthony Shrine は、スリランカのカトリック教会を代表する建物です。そして同じくターゲットとなったコロンボの近郊の町ネゴンボは、最も古くからカトリック教徒が多く住みついた、信者たちにとって特別な意味を持つ町です。今回のテロは、スリランカのカトリック教徒にとって最も大切な日に、最も大切な場所で起こったのです。ですから、スリランカのカトリック教徒たちはいま、想像もつかないほどの動揺と恐怖にふるえているでしょう。そして信仰と生命を同時に攻撃されたことに対する強い悲しみと憤りを感じているに違いありません。


「食べていきなさい。」
St. Anthony Shrine の2階の階段の前で、何の迷いもなく私にカレーを食べて帰るよう呼びかけたあの女性のことを思い出します。(『コロンボにて』を参照のこと。)
「カトリックの方たちがカレーを食べに来るのですか?」私は彼女に尋ねました。
「いいえ、違うわ。カトリックでも仏教徒でもヒンドゥーでも、ここでは誰もが無料でカレーを食べていいの。神は信仰によって差別すると思う? 神は信仰が違うからと言ってカレーを食べるなとは決して言いません。だから、信仰がわからないあなたに、私はカレーを食べていくように言ったでしょう。ここはそういう場所なの。」
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スリランカのカトリック信者は国の人口比の6%にすぎない勢力ですが、カトリック信者の中には、シンハラ人もタミル人も区別なくおり、どちらも含むことなどから、カトリック教会は民族間融和の役割を担うものと期待されてきました。そして実際に、教会や修道会は実際に慈善活動等を通してその役割を果たしてきました。この意味で、カトリックが狙われた今回のテロは、一体何をターゲットとしたのか、という点において、決して単純ではありません。シンハラ(仏教徒)vsタミル(ヒンドゥ)とか、キリスト教vsイスラム教といった、既存の図式だけでは捉えることはできません。今回のテロの標的が「民族間融和」の象徴であるカトリック教会であったのはなぜなのでしょうか。

スリランカ政府は、事件のあと、同国からFacebookやInstagramなど一部SNSへのアクセスを遮断しました。現在、スリランカ多数派(国民の7割)であるシンハラ人たちの一部による、他の少数派に対するヘイトが問題になっています。特に同国では少数派にあたるムスリム(人口比の1割)たちがその標的になっています。そして、そのヘイトの現場は多くがネット上、つまりはSNS上です。

自身が見下している集団が権益を得ることを快く思わない人がいるのは万国共通なのでしょうか。
ムスリムたちが、産油国の潤沢な資金の恩恵を受けて、成り上がっている。
見下しているやつらが、既得権益を得ている。
ふざけるな。調子に乗るな。少数派は少数派らしく、弱者は弱者らしくしていろ。
このような図式は、残念ながら、今も昔も日本でも散見される現象です。

リンク先の記事にもあるとおり、シンハラのナショナリストたちは、ムスリムの居住地区とモスクが襲撃する事件も起こしています。ムスリムたちがそういうヘイト的な空気に日常的に晒されていることと、今回の事件は決して無関係ではないでしょう。しかし、今回のような事件が起きると、ムスリム排斥の動きが勢いを増すことは疑いようがありません。ムスリムの人たちが、ますます肩身が狭い思いをすることになるかもしれません。

しかし今回の標的はカトリックであり、ホテルにいる外国人でした。これまでのイスラム過激派の動きからすれば、既定路線かもしれませんが、しかし、スリランカのカトリックは「民族間融和」の象徴であり、その点はヨーロッパのテロとは事情が違うのです。

2015年1月に教皇フランシスコが同国を訪れ、コロンボの St. Anthony Shrine 近くの海岸では、100万人に上る市民が熱狂的に教皇を迎えました。(ちなみに同国のカトリック信徒は120万人。)教皇が同国を訪れたのは、スリランカ初の聖人である聖ジョセフ・ワーズ(St. Joseph Vaz)の列聖式のためでした。ジョセフ・ワーズには、困窮した人であればその信仰にかかわらず救済の手を差し伸べた逸話があり、教皇フランシスコは、100万人の人々の前で「和平のため宗教的な分断を超えることの重要さ」について語ったとされます。

スリランカのカトリックが「民族間融和」の象徴であるのは、単に教義的な部分に留まりません。
スリランカのカトリックの人たちは、聖典と祈りを英語に依拠しています。
シンハラ語は仏教徒たちの言語であり、タミル語はヒンドゥー教徒たちの言語です。
結果として、カトリックの人たちの宗教言語は英語になります。(そのため、カトリック信者たちによって、子どもが通う学校の試験を英語で受けられるように政府に訴える運動も起こっています。)英語は、他の多民族国家と同様に、スリランカにおいても、別の言語を持つ人と人の間の共通語として機能しており、その英語を母語として操るのがカトリックの人たちなのです。ですからスリランカのカトリックは、教義にとどまらず、言語・文化的にも民族間融和を象徴していると言える存在です。

カトリックの教義からすれば、ムスリムの人たちはもちろん、イスラム過激派の人たちでさえ、慈しむべき存在でしょう。しかし、現在、グローバル化という名の下に、あらゆる差異を、慈しみをもって包括し、その結果、それら個別性を無化してしまうような運動(=新しい全体主義)が進んでいるとすれば、そして、それにカトリックが加担しているとすれば、そしてその象徴が「英語」であり「資本主義」であり「文化産業」であるとすれば、カトリックが「民族間融和」を善として打ち出している限り、「融和」は一種の同化政策と受け取られかねず、抵抗は解消しないでしょう。

安易に民族間融和なんてことはできないからこそ、私たちは考え続けなければなりません。
融和という解決策にすがるのではなく、むしろ解決しなくても生き延びることができる知恵を考える方が大切なのではないでしょうか。その意味で、私たちに不足しているのは具体的な解決策よりも、祈りそのものなのではないでしょうか。

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St. Anthony Shrine でカレーを食べたあの日のことを何度も思い出します。
あの日も日曜日で、私はひと際熱心に祈る彼らの一員となって、お祈りをしました。
この国にはまだ祈りが息づいている。そのことに感激しながら、お祈りをしました。

私がお祈りをしていると、2列前にお母さんと座っている5歳くらいの小さな女の子が、ふと後ろを振り向きました。
私が彼女に気づいたような反応をしたのものだから、彼女はにこっと笑って、そして前を向いては何度も後を振り向いてにこっと笑顔を見せました。そのたびに私は何とも言えないマヌケな表情で、金魚のように口をパクパクさせたり、少し目を大きく開いたりして、彼女の笑顔に応えました。そうしているうちに、彼女はお母さんからパコっと頭を叩かれ、それからは後ろを振り向かなくなりました。これは彼女とのわずか3分ほどの思い出です。

国を代表する聖堂とはいえ、ヨーロッパのバジリカやカテドラルとは全く規模が違います。
さほど大きい場所ではありません。
近くには別の教会もありますから、毎週この聖堂に集まるコミュニティは、全員が顔見知りという程度の人数しかいないはずです。

その小さなコミュニティの中で、無残にも一瞬にして50名以上の人たちが殺されたのです。
彼女はちゃんと生き延びたかな。生きていてほしいと思います。

今回の殺戮はそのまま、このコミュニティの破壊を意味します。
人の命が失われたと同時に、それまで引き継がれてきた大切な祈りと知恵が失われました。
これは、仮に時間が経って元通りになったように見えるときが来ても、決して回復しません。
失われたものは、ずっと失われたままです。
それは、損なわれてしまったあとには、そこに何があったのかもわからないようなものです。
人の命が失われるというのは、そういうことです。

明日へのささやかな意思を突然断ち切られた人がいる。
もうあなたに会えない。受け入れ難い現実に、もだえ苦しみながら夜を過ごしている人がいる。
そのことに、強い悲しみを覚えています。
今回の事件、とうてい他人ごととは思えません。
スリランカの聖堂に花束を。



言(ことば)に絶えたる日は始まる。
見せつけらるるおのが弱さよ、
見失いたる神のさびしさ
。 藤井武「羔の婚姻」



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by terakoyanet | 2019-04-22 03:49 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

コロンボにて

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昨年行った、スリランカのコロンボ。
とても深い思い出が残る場所になりました。
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スリランカといえば仏教国であると日本の中高生は学ぶわけで、高校の地理や世界史では、仏教徒のシンハラ人と南インド系のタミル人とが対立した歴史なども学ぶわけですが、実際にスリランカに来てみると、シンハラ人とタミル人といっても、例えばタミルにはヒンドゥー以外にイスラム教のタミル人もたくさんいることや、北部と中部のタミル人はそもそもスリランカに渡ってきた時期や動機が異なること、さらに、海岸近くにはキリスト教(カトリック)の人たちが(主に漁民として)多数住んでいて、厚い信仰が守られていることなどが次々と分かり、その民族と宗教の多様性にとても驚かされました。

日本と同じ島国ながら、これほどに多様な人たちが隣人として共生していかねばならないという現実は、日本の学校の社会や道徳の授業で標語のように語られる「共生社会」「多文化社会」という空疎な理想郷としての社会とは全く異なるリアルさで、スリランカの人たちの生を逞しくしています。日本の人たちはさかんに「英語が上手にならないー」と嘆いていますが、シンガポールやフィリピン、インドやスリランカといった同じアジアの国々の人たちが日本人の多くより英語を話せるのは、苛烈な共生社会、多文化社会を生き抜いてきたという現実があったからです。そういう社会背景を抜きにして英語の教育問題を語ったところで、言語を考える上での本質的な部分が抜け落ちているし、そんなファッションのための英語なんて、本来私たちの人生に必要はないのです。日本にだって本当は苛烈な現実があることが、たとえば磯部涼さんの『ルポ川崎』(サイゾー)や上間陽子さんの『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』などを読めば分かるわけですが、しかしそれらは圧倒的少数派として黙殺され、見えないことにされていて、そんな単一民族幻想にいまだに浸っている島文化というよりシマ文化の日本では、多民族社会のリアリティというのはなかなか見えてきません。だから、私は若い人たちは一度日本というシマを離れて多民族という現実を目のあたりにすることを熱くお勧めしたいのです。
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コロンボ13に位置する聖アントニオ教会(St. Anthony's Shrine)はかつては海岸沿いに建っていた、コロンボを代表する最も古い歴史を持つカトリック教会のひとつ。教会の入り口にある聖アントニオの像の下には彼の出身地のパドヴァ(イタリア)の大聖堂と同様に、なんと彼の舌の欠片が聖遺物としてガラスの箱の中に大切に保管され、多くの巡礼者を集めています。

インドやスリランカに行くと、「極東」の日本よりもずっと深く、ずっと身近に、ペルシアやアラブ、ヨーロッパと繋がっているという海の道、陸の道を実感することが多々あり、そのたびに心が揺さぶられます。

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1Fの聖堂で少しお祈りをした後に、2Fの聖パトリックの資料館をひと通り見て帰ろうとすると、「食べていきなさい」と資料館の階段の前に座っている女性に声をかけられました。私はそのときお腹がへっているわけではなかったので、「結構です」と丁寧に断るも、「食べていきなさい。無料だから。」と2度、3度言われ、いただくのが正しい作法かもしれない(そういう発想しか浮かばないのが残念)と思い、資料館の隣の部屋で、もらったカレーを頬張りました。
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スプーンなんかないので、現地の人たちと並んで手で食べました。
決して上等なカレーではないのですが、手で食べるカレーは、いま食べているという実感に溢れていて、日ごろいかに食べるという行為をないがしろにしているかということに気づかされました。道具(この場合、箸やスプーン)を介するというのは、おそらく知らず知らずのうちに、ある思考の型をつくるのだ、道具を使うことで、忘却の彼方に追いやられた思考や感覚がきっと他にもたくさんあるのだ、そんなことを考えました。

教会の2Fにカレーを食べに来ている人たちの中に、今日食べるものに困っている人たちが混じっていることは、容易にうかがい知ることができました。日本でも、子ども食堂とか、炊き出しとか、食のためのさまざまな取り組みがあるけれど、かつての日本にはきっとこうやって、宗教や町のコミュニティがもっと自然に困窮者を助けるしくみがあったのかもしれないということを想像しました。きっと個人や小さなグループががんばるよりも、全国各地の寺や教会がその役割を果たしたほうが持続性があるし、宗教には本来的にそういう役割が含まれているはず、そう思いました。

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この日、私はスリランカのある有名な「社長」に会いました。彼の家系はスリランカの政治の大物が大勢いて、東京で10以上の飲食店を経営しています。

彼のかつての遊び仲間には安室奈美恵、フジモン、馬場ちゃん(ロバート)らがいて、現在はネゴンボに美味しい本格日本料理を味わうことができるホテルを建設中です。
「スリランカでは医療も教育も無料、生きるだけなら衣食住にもほとんどお金が必要ないから、働く意欲がない人が多い。仕事で嫌なことをさせたらまず次の日から来ない。クレームをつけたら、謝罪とフォローどころか、二度と連絡がつかなくなり、途中で仕事が投げ出されてしまう。時間、約束、契約の概念がない。僕はいい車に乗りたいけど、周りには、自転車からさえ降りたがっている人がいる。」日本とスリランカの両方で人を雇用する彼は、ため息混じりにそう言いました。

一度日本の契約様式を知ってしまうと、時間も約束も守らず、自転車からさえ降りようとするスリランカの人たちは、ストレスが溜まる存在だそうです。
でも、「道具」と同じように、私たちが時間や契約を守ることを自明としたときに失われたものがあり、きっとそれは振り返られることはないのでしょう。


日本人は始まりの時間は守っても、終わりの時間は守らない。日本の作法や契約様式は、倫理的な装いのままに裏切る。だから、裏切りを洗練化させることに血まなこになっている国から来た私には、スリランカの自転車を降りたがる人たちに対して、深い憧憬を抱かずにはいられなかったのです。


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by terakoyanet | 2019-01-07 14:54 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

2018 旅の記録2(8・9月)

2018 旅の記録 その2

8月、中1・中2のサマー合宿は、熊本・阿蘇へ。

勉強の合間に、かるべけいこさん・野中元さんのご家族といっしょに配膳をしたのも大切な思い出。
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最終日に訪れた草千里と杵島岳からの景色は、子どもたちの脳裏にも焼き付いたようで
後日子どもたちからもらった写真には、この構図の写真がたくさん写っていました。
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高森名物の田楽も美味しかったね。
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8月、小6の遠足は広島へ。とても空気が澄んで美しい晴れの日でした。
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お盆休みを利用して出張で訪れた東京。
1日だけ那須まで遠出して、現地に住む友人といっしょにカフェ・美術館めぐり。
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8月には、塾の1Fで日本財団(Diversity in the Arts)の取材を受けました。
工房まるの樋口さんと、宅老所よりあいの村瀬さんとの鼎談です。
まさにそれ自体が旅のような、めくるめく楽しい時間でした。
このときの様子は、後日、DIVERSITY IN THE ARTS TODAYに掲載されました。



中3の夏合宿は、16年連続で宮崎県都城市のかかし館へ。
帰りは(こちらも16年連続で)霧島神宮に立ち寄りました。
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4泊5日の夏合宿。今年は天候に恵まれなかったのですが、そんなことを忘れてしまうくらい、子どもたちは全力で楽しんでいました。人生で一番長い時間勉強して、覚醒した子も多数。写真は今年初めて訪れた曽木の滝。
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教室を始めた16年前から毎年9月の初めにお休みをいただいています。
今年はスリランカとインドへ。取材の仕事を兼ねた旅です。
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スリランカの主目的はバワ建築のホテルを巡ること。
スリランカではUberのスリランカ版であるアプリ、Pick Me が活躍。
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インド・チェンナイのタラブックスへの取材はこの旅のハイライト。
写真はタラブックスの代表ギータさんと、タラブックスでいっしょに本を製作している高橋さん、さらにチェンナイ在住のタミルのエキスパート(インド映画翻訳家、研究者でもある)深尾さんといっしょに。
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インドは面白すぎる場所。チェンナイは空気もそれほど悪くないし、土地と人のエネルギーを感じることができる。ここではUberが活躍。
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帰りはシンガポールへ。
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モスクのすぐそばに仏教寺院があり、カトリック教会がある。
シンガポールとスリランカの多民族ぶりを見ながら、多民族の共生は人を逞しくするものが確かにあると感じました。日本の単一民族幻想がいかに日本に住む人たちの「他者」「異者」に対する意識を弱らせているか。
日本人が英語ができないのは、教育の問題というより人々の意識と社会構造の問題だと実感しました。
シンガポールではUberのシンガポール版アプリGrab が活躍。各地とも、5年前に比べて格段に旅の難易度が下がりました。
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激安の航空チケットを買うと、トランジットで街に出る楽しみという特典がついてくることがある。
この数年、各地で出入国が急速にストレスフリーになっていて、シンガポールと香港では出入国とも所要時間が5分を切るという驚きの最短記録を達成。これならトランジットでも迷わず出国できます。
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香港はリアス海岸上にできた世界にも稀に見る大都市。
空港からの眺めははっきりとわかる景観。
地形を見ながらその生成について考える、ひとりブラタモリは、世界のどこに行っても面白い。
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by terakoyanet | 2018-11-20 14:45 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

シギリヤ・ロックに登る

スリランカ中部にある、兵どもが夢の跡、シギリヤロックに登ってきました。
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シーギリヤロックはかつて、火山の火道内のマグマが硬化して出来た岩頸がその部分だけ侵食をのがれてできたものと言われています。スリランカは安定陸塊(20億年くらい前にできた)ですから、露頭に見える地層はかなり古いものということになります。

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敷地に入るとすぐにサルたちが飛び出してきます。


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かつては鏡のように像を映したといわれるミラーウォール。

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シギリヤ・レディ(撮影禁止のためWikipediaの写真をお借りしました)は見る人を惑わす艶めかしさが今も。必見です。

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頂上の王宮跡に到着。
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父殺しのカッサパ1世。
オイディプスの悪夢。
精神を病んだという話も伝えられる彼は、この孤独な岩壁の王宮で何度悪い夢を見たことでしょう。

想像をはるかに超える素晴らしい場所でした。
早朝か夕方にぜひ。(私は夕方に登りました。)




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by terakoyanet | 2018-09-14 14:11 | 好きな場所 | Trackback | Comments(0)

花蓮のこと

台湾東部の中心都市、花蓮(ファーリエン)はとても街歩きが楽しい町です。
台北ほどたくさんの店があるわけではありませんが、もっと、ゆっくりとした愛おしい時間が流れているんです。
惹きつけられる台湾アートが並ぶセレクトショップ、フェアトレードっておもしろい取り組みなんだよということが熱烈に伝わる雑貨屋、気骨のあるカッコいい珈琲店、そして台湾スウィーツの名店。
それほど大きくない町とは言っても、数日では周りきれないくらい、素敵なお店がたくさんあります。
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私が訪れたのは、小一點洋行、璞石珈琲館、花蓮日日、orip生活旅人工作室、Giocare義式・手沖珈琲、心地日常など、きっとそこに行けば花蓮のことが好きになるお店ばかり。




花蓮は、日本植民時代のさまざまな遺構がのこされていることでも知られています。
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花蓮を代表する観光地として知られる松園別館は日本軍の一拠点にあった建物が文化財として整備されたものですが、
他にも、将軍府、花蓮創意文化園区、防空壕跡や、調べれば続々と出てくる日本家屋など、知れば知るほど興味が尽きない場所です。
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花蓮郊外の、豊田移民村も訪れました。
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村の大きさと比べるととても規模の大きい碧蓮寺。かつてこの周辺にどれだけ多くの人たちが住んでいたかをうかがい知ることができます。一見、いかにも台湾の風情の寺ですが、、
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日本人の野口さんと小松さんが奉納した狛犬がそのまま残っていたり、燈篭が立ち並んでいたり、
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往時のようすを知ることができるたくさんのものが驚くほど残っていました。

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当時の移民たちを撮ったこの写真が私はとても好きです。みんなかわいいでしょう。

民家の裏の畑に、日本人墓地がかろうじて残っていました。
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台湾に入植して、その場所に葬られた人たち。
これから、もっとずっと忘れられていく、複雑な運命をたどった人たち。

私たちは、個別に見れば誰もが数奇な運命に弄ばれるような存在ですが、でもこうやって、その痕跡をたどっていくと、人の営みの力強さと儚さとが鮮明に見えて、それが持つ引力に強く惹きつけられるのです。



花蓮は魅力に溢れた町です。
一昨日の地震で被災された方々の1日も早い復旧を心から祈っています。

この地震によって失われた遺構、聞くことができなくなった声もあるかもしれません。
でも、史実とは別の場所に、何でもない生活と何でもない笑顔があったことだけは、決して忘れたくないと思います。

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花蓮観光といえば太魯閣峡谷、とても素晴らしい場所ですが、もともと危険なこの峡谷。(岩が頭上にすぐ落ちてくる!)これだけ大地震のあとは、当分近づかない方がいいと思います。本当に危険なので。




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by terakoyanet | 2018-02-08 02:12 | 好きな場所 | Trackback | Comments(0)

2017 BEST TRACK 1 (KOREA/JAPAN)

2017年のおすすめトラック、日本/韓国編。10曲を選びました。それにしても、今年も豊作でした。(毎年豊作ですが。)


● Maison book girl / faithlessness
ハマる変拍子が今年もまた。



●柴田聡子 / ゆべし先輩
今年読んだ植本一子さんの本の中にもでてきてたけど、この人、本当に天才だな!



●Qiezi Mabo loves PUNPEE - Qiezi Mabo Forever  
ふざけてるけど、一周まわって衝撃的にかっこいい。



●PAELLAS - P House Feat. ENNE
今年いちばんハマった曲。かっこいいけどヤボいからちゃんと温度がある。


●BTS (방탄소년단) / Go Go (고민보다 Go)   
今年はBTSの年でしたね。来年はさらに加速しそう。




●HYUKOH (혁오) / Leather Jacket  
ヒョゴはまずボーカルがすばらしい。音もおもしろい。動画はネバヤンとの対談。




● IU(아이유) / Palette(팔레트) (Feat. G-DRAGON)  
まさに今年を代表する曲。




●寺尾紗穂 / 私の怪物
胸をえぐる曲。寺尾さんの音の世界がまた一段深化した。
●Shinichi Atobe - Regret  
Susumu Yokota 氏の不在を嘆いていた時に、すっと胸に入ってきたのが彼の音でした。



●電気グルーヴ / トロピカル・ラヴ  
ひさびさにすごいトラックきましたね。



他にメジャーどころでは、以前も書いた、オザケン、コーネリアスの復活。そしてスピッツ30周年に伴う「振り返り」のためのエモい新曲”1987”。さらに、くるりにしか聞こえなかったネバヤンの夏の名曲Surely、そして今年この曲が出たことに必然しか感じなかった(だって今年は「家族」がテーマですもん)星野源の"Family Song"など、たくさんいいものがありましたね。来年も楽しみです。


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by terakoyanet | 2017-12-30 11:28 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)

魅惑のK-POP

日本と韓国の間の関係が冷え切っている。
報道やテレビの中の人たちを見ていると、そんな印象を受けることもありますが、
それはあくまで一部の政治とそれに付随する感情的なものであって、
いまの中高生、大学生の(特に)女の子たちを見ていると、ファッションや音楽の受容において、これほど熱く若い子たちに韓国発のものが支持された時代があっただろうかと思うのです。

少し前に、私がTWICEを知らなかったことから、「先生、何も知らんっちゃん」と、中2の女の子たちからいまバカにされているところなのですが、TWICEを知らなかったからといってはげしいツッコミを受ける40代男性も世の中には少ないだろうと、いまの境遇を楽しんでいます。

J-POPにくらべても圧倒的に世界的な浸透度を誇るK-POP。いまの大学生たちは、Frank OceanやKendrick Lamarを聴きながらBIGBANGやBTSも聴いちゃうところがすごくいいと思います。

TWICEを知らなかった疎い私でも、オススメがたくさんありますので、私がふだん聴いているK-POP、以下にいくつか紹介します。


















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by terakoyanet | 2017-10-30 10:37 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)

一人ひとりが大切な思いをのせて高校に通っている。

教師暴行動画がネットやテレビニュースに取り上げられたことで、各SNSからGoogle Mapのコメント欄に至るまで、どこもかしこも加害生徒や当該高校に対する誹謗中傷で溢れています。

生徒たちに対する影響が最も大きいと思われるTwitter上もひどい状況で、その行為自体に対する批判ならともかく、そこにあるのは、単なる他人を貶める快楽に溺れる狂乱ばかりで、子どもたちへの影響を懸念しています。

高校の名前を聞いて私はすぐに、中3の後半でようやく成績を伸ばし、大学に進学する熱い希望をもって当該高校の普通科の門をくぐっていった彼のことを思い出しました。そして、私もお母さんも他にも道はあるんだよ、大学からでも目指せるよ、と話したのに、母と同じ看護師になりたい、早く看護の勉強をしたいと、同高校の看護科に進学した彼女の顔を思い浮かべました。

本人も家族も大切な思いを持って、それぞれの高校に通っているんです。
その思いはいつだって不変で屈強なものではなく、すぐにたなびいてしまう脆弱なものかもしれないけれど、
でも、日々いろんなことを考えながら、迷いながらも、現在の自分と将来の自分を少しでも頼もしいものにするために、本人は高校に通っているし、家族はそんな本人を大切に見守っているんです。高校の先生だって、誇りを持って毎日の仕事に取り組んでいるんです。

それなのに、ネット上は、あまりに無配慮で傲慢なおぞましい言葉で溢れています。

「笑ってるクラスの奴らも同罪」 「暴行されてる先生をヘラヘラ笑って雑魚扱いしている周りの生徒達も同罪」というコメントにたくさんの同意がなされていますが、このコメントは正論のように見えて、その実は生徒達を貶めたいだけの乱暴な言葉です。こういう現場でクラスのみんな(と言ってもきっと全員ではない)が「笑って」しまう問題というのは、そんなに簡単なことじゃないし、少なくとも「同罪」ではないんです。こういうときに、正論を装って貶めることを言う方がよっぽど悪質です。

Twitterなどのコメントを見ている生徒たちには、決してそのような差別と中傷に加担しないでほしいし、そこで書かれていることを真に受けないでほしいのです。
どの学校だっていろんな生徒といろんな先生がいる、それは当たり前のことですが、でも決して忘れてはならない大切な事実です。

最後に、当該高校の生徒たち、悔しい思いをしている人もたくさんいるかもしれませんが、周囲が漏らしている不安をあまり真に受けすぎないで。
社会に出たら、学校というよりは、あなた自身が見られるんだから、そのことを頭と心に携えて、いまを大切に日々の生活を送ってください。


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先週金曜日の地理B高3補講で、問題の中に、かつて世界4位の湖沼面積を誇った中央アジアのアラル海が出てきたときに、飛行機から撮った、干上がりつつあるアラル海の写真があるよ、と生徒たちに言ったのに関わらず、その場では見せてあげられなかったので、よく撮れたものではありませんが、こちらに載せておきます。
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by terakoyanet | 2017-10-02 14:34 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)