天草の祇園橋
2014年 10月 27日




石柱を組み合わせた床板と、たくさんの橋脚がこの橋を非常に個性的なものにしています。
パーツは直線でできているものの、全体を見るとアーチを描いており、素朴ながらその造りは実に見事なものでした。
この場所は、島原・天草一揆で多くの血が流された場所として古くから知られ、この橋も「切支丹殉教戦二百年祭」までの完成を目指して1832年に造られたものと伝えられています。
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石橋と実用の美 -通潤橋と霊台橋-
2014年 10月 01日
現在の私たちが、過去の民衆たちが建てた建造物、彼らの生活を助けた日用品や、そこに施されている繊細な工作や装飾を見たときに感慨を受けるのは、そこに宿る美しさが、過去の民衆たちの生活の頼もしさそれ自体の証となっているからである。それを見たとき、すごいことやってやがると、思わず懐が熱くなるのを感じざるをえないのだ。
私が肥後の(特に緑川流域に点在する)石橋群に魅了されるのは、まさにこの頼もしさを求めるがためである。


橋から少し離れて棚田と合わせて俯瞰すると、谷をまたいで造られたこの水道橋の地形的必然が見えてくる。



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竹田市の美しいダム、白水溜池堰堤
2014年 05月 03日

通称「白水ダム」として知られるこの堰堤は、1934年(昭和9年)から4年半の歳月をかけて建造されました。「日本一美しいダム」と形容される類い稀なる造形の秀逸さから、現在では国の重要文化財に指定されています。
まず特筆すべきが、琉球のグスクを想起させるような石垣の曲線の美しさ。

そして淡雪のような、シルクのクロスのような、流下する水の美しさ。

ダムの斜面をなす石材には細かな凹凸があります。この凹凸が無数の小さなさざ波をつくることで、純白のレースが石材を覆うのです。
このダムには、卓越した手仕事の職人さんのたわやかな仕事を見るときと同じような穏やかな感動があります。それは思わず手を合わせたくなるような、有り難い、他に代えがたい類いのものです。

そして左岸は曲線状の石壁です。

これらは増水時に、右・左岸に流れる水が正面から流れ落ちる水の力を弱める工夫とのこと。
美のために存在する美に比べ、実用の中から必然性を纏って現れる美がいかに頼もしいものかということを、このダムは私たちに教えてくれます。


このダムの難点は、アクセスが難しいこと。
ダム前まではやや細い道が続きますので、明るいうちに訪れましょう。
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曽木発電所遺構
2014年 05月 02日
こちらもそのひとつ。

普段はダム湖(鶴田ダム)の底に沈んでいますが、5月から9月の間だけ、その姿を私たちに見せてくれます。[写真は昨年6月]
鹿児島県内では唯一の明治時代に建てられたレンガ造り建造物はこんなところに。
経済産業省指定の近代化産業遺産です。
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アムステルダムの運河
2014年 02月 24日
夏でも天気が悪いと肌寒さを感じますが、天気が良いときは、この上なく気持ちのよい気候です。

アムステルダムは運河の町。
17世紀に整備された環状の運河に抱かれるように中心街が発達しています。







運河と建物がおりなす調和的景観がある一方で、多くの民族が暮らし、日本であれば違法になる風俗・文化が根付く、多様性と寛容性を感じさせるアムステルダムという風土は、ややもすればすぐに単一的幻想に絡み取られがちな日本という国から来た私にとって、魅力的な都市です。
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クロアチア、プーラの円形闘技場
2014年 02月 14日
町の発展の歴史は古代ローマ時代までさかのぼり、いまでも市内には多くの古代遺跡が残っています。
今日はプーラ市街にある円形闘技場"Pula Arena"について書きます。

私たちはポレチュ(Poreč)に滞在していたので、リムフィヨルドを経由してタクシーでプーラまで行きました。
行程はわずか1時間弱です。

保存状態は非常によいのですが、一部明らかに周囲と色が異なるところがあるので、修復されているものと思われます。
1954年からは毎年夏にプーラ映画祭が開かれており、多くの人が訪れます。(90年代前半には内戦のため中断した時期がありましたが。)





イストリア半島産の石灰岩で建てられた古代劇場。
白いアーチが青空に映える日には、二千年前にこの場所に立っていた人たちとその暮らしについて、思いを馳せずにはいられません。
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九州随一のクラシックホテル、雲仙観光ホテルへ。
2014年 01月 23日

昭和10年創業の「雲仙観光ホテル」は、雲仙地域が日本最初の国立公園に指定されてまもない時期に、日本の山岳リゾートの先駆けとして建てられた歴史のあるホテルです。(国の登録有形文化財、近代産業遺産等に指定されています。)
長崎はいまでこそ九州の端っこにある、交通の便が悪い田舎というイメージがありますが、大正・昭和の作家たちの文章を瞥見すれば、いかに昔の長崎はエスプリに富んだ土地だったかということが滔々と語られていて驚かされます。
このホテルが日本で初めて「観光」という名を冠して開業した昭和初期には、上海-長崎航路を通してたくさんの外国人が長崎に上陸していました。スイスのシャレーのような外観をもったこのホテルは、そのような外国人が温泉保養のために訪れる宿泊施設としての役割を果たしました。
このホテルのまず素晴らしいところは、施設自体にとってつけた不自然さがないこと。
雲仙の自然と共存する佇まいがあること。
そして「雰囲気」「イメージ」といった曖昧なもので誤魔化すことのない、「本当によいもの」がこのホテルには宿っているということ。床や壁の設えも調度品も質が高く、客室はウィリアム・モリスの壁紙が空間を穏やかに彩ります。
日本のレトロな宿は、建物が古いせいで夜の寒さ、隣の客室や廊下からの物音などが気になることが多いけれども、このホテルは近年に大改装を経たためか、「古いから仕方がないよ」というような雰囲気を対価に我慢しなければならないようなことが何もありません。



「食べものの味を味える人はその他のことも味えるのであって、私はエピキュリアンが長崎には多いような気がしてならぬ」(『切支丹の里』)と遠藤周作は言ったけれども、長崎の食の素晴らしさはいまでも健在。
雲仙観光ホテルのダイニングの食事も例に洩れず素晴らしく、長崎近海の海の幸、雲仙半島の山の幸が贅沢に使われ、繊細なアレンジを楽しめます。


箱根や軽井沢にも同等のホテルがあるけれど、雲仙という土地柄か、それらのホテルよりも格安に宿泊することができることも良いです。
ということで、エピキュリアンになりきって楽しめる雲仙観光ホテルはとてもオススメです。

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ボンのベートーヴェン・ハウスへ
2013年 11月 08日
1949年のドイツ憲法であくまで暫定的な首都と位置づけられていたボンは、ドイツ統一後にはその座を再びベルリンに譲り渡し、ラインラントの一地方都市に戻ります。(政府の省庁の多くはいまだにボンに残っていますが。)
貧しい大都市のベルリンと豊かな小都市のボン。
経済的にボンの裕福さはベルリンと比べるまでもありませんが、一方で、貧しいながらも強烈な魅力を放つベルリンに対し、ボンという町の個性は貧弱と言わざるをえません。
そんなわけで、ラインラントに降り立ったとき、産業遺産好きな私は、よしっ!エッセンに行ってルール工業地域を支えた炭鉱でも見ようか!ゾーリンゲンの刃物も見よう!と思っていたのですが、同行者から、いや、炭鉱より刃物よりベートーヴェンでしょ、と言われ、個性が貧弱な町、ボンに行くことになりました。
ということで、行ってきました。ベートーヴェン・ハウスです。



ボンの町はせまい範囲に見どころが集まっているので楽に歩けます。
中央駅から5分以内でマルクト広場と大聖堂に到着。
そしてさらに数分歩けばベートーヴェン・ハウス"Beethoven-Haus Bonn"に到着です。
そろそろ着くかなと思ったころに、やや俗物っぽいベートーヴェンの肖像が描かれた建物が現れたので、ここかな?と一瞬思いましたが、違いました。フェイクでした。

そして少し歩くと、ちょっとわかりにくいのですが、ありました。


建物内部の写真はありません。(※撮影禁止)
入口から入るとまず土産屋さんがあり、その奥にベートーヴェンの生家があります。



ベートーヴェン・ハウスに入ると、私の頭の中で突然ベートーヴェン・スイッチが入り、私の最も好きな曲、交響曲第7番2楽章が鳴り始めました。故人に触れるというのはこういうことなのか、と感じる瞬間でした。
ベートーヴェン・ハウスに行く全ての人に是非ともおすすめしたいのは、音声ガイドを借りること。(※日本語もあります。)
有料ですが、その価値はあります。というか、これを借りずにベートーヴェン・ハウスを見てもつまらないと思います。
途中で日本人のツアー団体がこちらにやってきましたが、ツアーガイドの説明より、圧倒的に音声ガイドの解説のほうが素晴らしかったです。
音声ガイドには、目の前にある楽譜や絵画の説明はもちろん、その譜面に基づく演奏、展示されているベートーヴェンゆかりの楽器の音の再生、難聴のベートーヴェンの耳には交響曲第9番の初演がどのように聞こえていたかの再現など、かなり興味深い内容が含まれています。
ベートーヴェン・ハウスは学ぶことの多い興味深い場所でした。
印象に残ったのは、ベートーヴェンが引っ越し魔だったというエピソード。
彼は生涯で少なくとも70回以上は居を移しています。
どこにいても居心地の悪さを感じ続けた彼に、心を寄せずにはいられません。
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サマー合宿では大牟田市の近代産業遺産を巡ります。
2013年 07月 11日
大牟田には世界遺産暫定リスト入りしている三井三池炭鉱跡をはじめとする近代産業遺産が数多く残っています。いまでは全ての炭鉱が閉鎖され、炭住(炭鉱住宅)もほぼ全てが取り壊されました。
福岡は、全国最大規模の炭鉱地帯であったにかかわらず、現在の私たちには、国の繁栄の象徴として「黒いダイヤ」の採掘が行われていた、たった1世代、2世代前の時代に触れる機会はほとんどありません。
本校では、5年前と2年前には、北九州の近代化遺産にふれる機会として、サマー合宿の際に八幡製鉄所の高炉跡をはじめとするいろいろな場所を巡りました。昨年は広島の原爆ドームや被災した小学校を訪れました。そして今年は初めて大牟田市の旧炭鉱を訪れることになりました。
現在も残る炭鉱施設内に一歩足を踏み入れると、いまでも施設内に漂う油のにおい、灰皿に残る煙草の吸殻、じめっとした空気に、ついこの間までこの場所で働いていた人たちの体温を感じます。
子どもたちには、このような経験を通じて、日々学習している歴史や地理や科学の話が、いまの私たちの暮らしにつながっているんだということを、1世代、2世代前の人たちが残した生活のあとを辿る(たどる)ことで知ってほしいと願っています。
私が三井三池炭鉱跡を訪れるきっかけとなったのは、熊本県荒尾市の万田坑跡(国指定史跡・国指定重要文化財・世界遺産候補)です。2009年に記事を書いています。
今回の合宿では宮原(みやのはら)坑(国指定史跡・国指定重要文化財・世界遺産候補)を訪れます。



合宿では三池港(世界遺産候補)のそばにある旧三井港倶楽部(大牟田市指定文化財)を特別にお借りして炭坑に関する学習(座学)を行います。


当日は、大牟田市役所企画総務部世界遺産登録文化財室の職員の方々に、遺産を案内していただきます。
昨日、打ち合わせのために大牟田まで行きましたが、職員の中村さんの豊富な知識とわかりやすく含蓄のある解説に感動さえおぼえました。子どもたちにとって、きっと良い経験になるだろうと強く思いました。
毎年本校では約9割の生徒がサマー合宿に参加し、いろいろな体験をしています。
塾の合宿ですので、体験だけでなく、長時間にわたる講義(国数社理英)が行われます。
帰りには楽しいレクレーション(グリーンランド)もあり。
参加する生徒のみなさん、今年もぜひ楽しみにしていてください。
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肥薩線の嘉例川駅
2013年 05月 23日
駅に着きました。


早朝に行ったので、駅には人っ子ひとりいませんでした。
静かで清涼な空気が流れていました。



土日に特急「はやとの風」に乗って行けば、全国的に有名な美味しい駅弁『百年の旅物語かれい川弁当』を販売しているとのこと。

駅を出て、近くのラムネ温泉に向かいました。
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