最近のメディア情報(フェア情報も)
2020年 11月 02日
本日11月1日(日)より店頭にて『おやときどきこども』(ナナロク社) 選書フェアが始まります。フェアでは『おやときどきこども』の関連本10冊が店頭に並びます。(選書は鳥羽和久『おやときどきこども』の著者)その1冊1冊には、選者による本の解説が添えられており、ご来店の方には本の解説が載った pic.twitter.com/oLLWvlBVgF
— とらきつね (@BksTorakitsune) October 31, 2020
一昨日の東京新聞の山崎ナオコーラさんの3冊の本棚に川内倫子さん『そんなふう』が!現在写真展も開催中です。また鳥羽和久さんの『親子の手帖』も!現在ナナロク社『おやときどきこども』刊行記念選書フェアも開催中です。あわせてぜひ! pic.twitter.com/IKHUsceGvI
— くまざわ書店 武蔵小金井北口店 (@kbc_koganei) November 2, 2020
9月17日の雑感
2020年 09月 17日
文系は役に立たないとか大嘘。思考と欲望に関する抽象的分析的な思考を鍛えると同時に、色々遊んで自分を危険にさらすのもいとわず人間関係を実験して、それと文系的考察を絡めていくと、決定的に人に介入する技術が醸成される。
— 千葉雅也『デッドライン』発売 (@masayachiba) September 15, 2020
一般化は避けたいところだが、いまの多くの子どもたちに共通する弱点をひとつ挙げるなら「共感力が高すぎる」ことだと思う。共感力が高いから、やさしい子が多いし、あからさまな差別をする子も減った。
全国各紙に『おやときどきこども』書評掲載
2020年 09月 13日
最近のメディア情報
2020年 08月 20日
●7/7 毎日新聞SUNDAY LIBRARY に鳥羽和久『おやときどきこども』書評(武田砂鉄さん)が掲載されました。
先日、7月11日の西日本新聞「カリスマ書店員の激オシ本」担当しています。
— ひとやすみ書店 (@hitotter16) July 16, 2020
第26回目は、鳥羽和久著『おやときどきこども』 (ナナロク社) について書きました。
毎週土曜にブックスキューブリック大井さん、丸善博多店徳永さん、橙書店田尻さんと週替りで本を紹介しています。よろしくお願いします。 pic.twitter.com/YDThL983kT
『おやときどきこども』全国の書店で販売が始まりました。
2020年 06月 21日
【新入荷】おやときどきこども
— と ほ ん (@tohontohon) June 17, 2020
鳥羽和人/ナナロク社
塾講師として子どもたち、親たちが抱える問題を共に悩んできた著者。ひとりひとり自分の世界を持ち、懸命に生きる子どもたちの姿がここにあります。
人が生きていく全てに通じる、大切な想いが込められた1冊です。https://t.co/bjEXCmt8Av pic.twitter.com/5J8zYegiPA
ナナロク社さんの本を並べていたところ、下の色画用紙の色を変えただけで、新刊のイメージに合わせられたかな。
— おひさまゆうびん舎 (@0hisamayuubinsy) June 17, 2020
『おやときどきこども』鳥羽和久
ナナロク社
ぜひ、手に取り本と向き合って読んで頂きたい1冊です。 pic.twitter.com/53YaqSaykT
【今日の仕入れ】
— 本のあるところ ajiro (@ajirobooks) June 17, 2020
『おやときどきこども』(鳥羽和久)が届きました。どんと展開いたします!
たのしみにしていました😌 pic.twitter.com/pOy0YcKs8u
【本日入荷】
— ジュンク堂書店 上本町店 (@JunkuUehonmachi) June 17, 2020
『おやときどきこども』(鳥羽和久著 ナナロク社)
いつの間にか子どもの心を忘れてしまった大人の私たち。
福岡市で塾を経営している著者が親子の抱えるリアルな問題を子どもたちと向き合って奮闘しています。
もう一度、大人と子どもが出会い直すための本です。 pic.twitter.com/KJY914LLm2
6/18(木)
— Go Go Round This World!Books&Cafe (@GoGoBooksCafe) June 18, 2020
おはようございます。
ナナロク社さんより届いたばかりの
鳥羽和久さんの新刊『おやときどきこども』を店頭に。『親子の手帖』もあります。
※本の購入のみのご来店ももちろんOKです🙆
本をゆっくりご覧になりたい方はランチ時間が過ぎて、ちょっと落ち着いた15時以降がおすすめです。 pic.twitter.com/AlRdisA03P
子どもといっしょに「おや」も生まれる。正解を求めるあまり自分をなくす親に対し、鳥羽さんはその家族の〈個〉をみつめ、そこから一緒にはじめようとする。その粘り腰はたたかいで、それぞれの家族のことばは、そのもつれた時間から生まれるものだろう。鳥羽和久『おやときどきこども』(ナナロク社) pic.twitter.com/YieSn63V4t
— Title(タイトル) (@Title_books) June 18, 2020
【書籍】鳥羽和久『おやときどきこども』(ナナロク社)が入荷。「自分独特の生き方を発見した興奮」というほんとうの感覚。それを目前にしたときの感動。学びの現場で子どもたちと向き合ってきた著者の思考から、子どもを持つ親として、社会に生きる大人として、確かな手触りをもって生きるヒントを。 pic.twitter.com/ge0Oi8r7pu
— 神楽坂 かもめブックス (@kamome_books) June 18, 2020
『おやときどきこども』
— うさぎや (@USAGIYATSUTAYA) June 21, 2020
親になった途端に「正しい」存在になれるはずもなく、日々葛藤を抱え、子どもに向き合う。
子どもへの寄り添い方、その考え方が綴られています。
約20年間学習塾でたくさんの親子に相対してきた著者の言葉は強く、温かい。#おやときどきこども #鳥羽和久 #ナナロク社 pic.twitter.com/r1lgmL26QE
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塾は勉強をする場所でありさえすればよい。 pt.2
2018年 10月 03日
Twitterでちょっとキツめの言葉を吐いたのは私のある知人。
昨今、「道徳」や「行儀」を教えることを「売り」にする塾が存在する。
中には「行儀のよさ」や「親孝行」をポイント化して、ポイントに応じて商品をあげるという、かなり悪趣味な塾も存在する。
私は「道徳」や「行儀」を塾で教えることも、それを「売り」にすることも嫌だ。
ましてや教室での「行儀」や家庭での「親孝行」に対して塾がポイントを付与するなんて、狂っているとしか思えない。そんなことは許されないとさえ感じる。
私は「道徳」や「行儀」自体を否定するつもりはないが、「道徳」や「行儀」といった社会の「常識」、または「社会」そのものに対して疑問を持った子どもたちに対し、その疑問を頭ごなしに否定するような、知性のかけらもない対応をしたくない。「頭ごなしに常識を押しつける人間も必要」という考えもあるかもしれないが、私は私自身の性質上、その考えに与することはできない。
私はかつて日本の村落に存在した寺子屋的学び舎に「道徳」や「行儀」を学ぶ場としての意義があったことを否定しない。最近読んだ宮本常一の本には、村落にとって寺子屋的学び舎がどれだけ生き生きとした意義をもったものであったかということが活写されていて、非常に興味深い。
しかし現在「道徳」や「行儀」を教えると謳う塾にとって、それらを教えることは、単に教室の「付加価値」を高めるための戦略でしかない。そこで教えられる「道徳」や「行儀」は、教える講師にとっても、教えられる子どもにとっても、決して必然性という纏いを帯びることのない空疎なものである。
このことに関連して、私がずっと心にひっかかっていることがある。
2007年に本校がN新聞に取り上げられた記事の本校の紹介のなかに、次のような一文があった。
「塾を勉強するだけの場所とは考えず、精神面の指導にも力を入れているのが大きな特徴。」
私は、こんなこと言ってないし!!精神面の指導とかしてないし!!と思ったけれど、声を大にして言うまでもないかと考え直し、当時、新聞社に抗議するようなアクションはとらなかった。
しかし、6年以上経った今になってもやはりこの文言は気になる。
私は、塾は勉強をする場所でありさえすればよい、と考える。
しかし、勉強を教えている過程で、不意に生徒と心が行き交う機会が訪れることがあるのだ。
そして、結果的に、生徒に精神的な影響を与えることがある。しかしこれは「結果的に」なのである。
はじめから「精神面の指導をするぜ!」とか絶対に考えていない。
夏合宿などの行事も、生徒たちの精神面の指導をするという大義のもと行っているわけではない。
第一に学習力向上のためであり、第二に教室環境(生徒―生徒間、生徒―講師間)を整えるためであり、そして子どもたちの屈託のないあの笑顔!が最高だから行っている。
本校がずっと生徒を集め続けることができるのは、精神面の指導といった「付加価値」のためではなく、単に「勉強をする場所」として優れた部分があるということを、生徒と保護者が認めてくださった結果だと思っている。
「付加価値」で勝負しようとするなんて、塾の指導力の弱小さを披歴するだけ。あくまで勉強をする場所としての完成度を高めなければ。
塾は勉強する場所でありさえすればよく、心や精神は結果的にあとからついてくる(ことがある)。
私はこのスタンスで塾を続けていくことが肝要だと考えています。
AIが普及すればするほど今の仕事が変わるっていうのはワクワクしますよね。たとえば弁護士さんは、法律の知識があってすぐに答えられる、ということより、弁護する相手の気持ちに寄り添えるほうがはるかに価値が出る、とかが起こりうるわけです。
— けんすう👀🚀 (@kensuu) 2018年10月1日
高校の朝課外のこと。(西日本新聞より)
2017年 12月 30日
とらきつね、各誌に掲載。
2015年 06月 11日
皆さんのお越しをお待ちしています。
まもなく父の日。何かないかな?と探しに来てください。
リビング福岡(西日本リビング)

フクオカ・ビーキ(西日本新聞)

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入塾希望の方、お問い合わせの方はこちらの「お問い合わせフォーム」を通してご連絡ください。
リビング福岡にとらきつね掲載、そして明日は母の日
2015年 05月 09日
とても素敵な記事です。
とても素敵な記事のなかで、唯一素敵ではないのが私(鳥羽)の顔です。
ぜひ楽しみにご覧ください。
さあ、明日はいよいよ母の日です。
お母様とご家族にとってよい1日になりますように。
寺子屋の子どもたちへ
今日、明日、とらきつねで買い物をするときに「10%でお願いします。」
という魔法の言葉を言うと、母の日のプレゼントに限り、10%引きで買い物ができるよ。
ぜひ試してみてね。
その他の皆様へ
魔法の言葉はありませんが、ぜひとらきつねで母の日のプレゼントを探してみてください。


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塾は勉強をする場所でありさえすればよい。
2013年 10月 03日
道徳とか行儀とか、そういう付加価値(にすらならないが)を売りにする塾は詐欺以外の何者でもない。
Twitterでちょっとキツめの言葉を吐いたのは私のある知人。
昨今、「道徳」や「行儀」を教えることを「売り」にする塾が存在する。
中には「行儀のよさ」や「親孝行」をポイント化して、ポイントに応じて商品をあげるという、かなり悪趣味な塾も存在する。
私は「道徳」や「行儀」を塾で教えることも、それを「売り」にすることも嫌だ。
ましてや教室での「行儀」や家庭での「親孝行」に対して塾がポイントを付与するなんて、狂っているとしか思えない。そんなことは許されないとさえ感じる。
私は「道徳」や「行儀」自体を否定するつもりはないが、「道徳」や「行儀」といった社会の「常識」、または「社会」そのものに対して疑問を持った子どもたちに対し、その疑問を頭ごなしに否定するような、知性のかけらもない対応をしたくない。「頭ごなしに常識を押しつける人間も必要」という考えもあるかもしれないが、私は私自身の性質上、その考えに与することはできない。
私はかつて日本の村落に存在した寺子屋的学び舎に「道徳」や「行儀」を学ぶ場としての意義があったことを否定しない。最近読んだ宮本常一の本には、村落にとって寺子屋的学び舎がどれだけ生き生きとした意義をもったものであったかということが活写されていて、非常に興味深い。
しかし現在「道徳」や「行儀」を教えると謳う塾にとって、それらを教えることは、単に教室の「付加価値」を高めるための戦略でしかない。そこで教えられる「道徳」や「行儀」は、教える講師にとっても、教えられる子どもにとっても、決して必然性という纏いを帯びることのない空疎なものである。
このことに関連して、私がずっと心にひっかかっていることがある。
2007年に本校がN新聞に取り上げられた記事の本校の紹介のなかに、次のような一文があった。
「塾を勉強するだけの場所とは考えず、精神面の指導にも力を入れているのが大きな特徴。」
私は、こんなこと言ってないし!!精神面の指導とかしてないし!!と思ったけれど、声を大にして言うまでもないかと考え直し、当時、新聞社に抗議するようなアクションはとらなかった。
しかし、6年以上経った今になってもやはりこの文言は気になる。
私は、塾は勉強をする場所でありさえすればよい、と考える。
しかし、勉強を教えている過程で、不意に生徒と心が行き交う機会が訪れることがあるのだ。
そして、結果的に、生徒に精神的な影響を与えることがある。しかしこれは「結果的に」なのである。
はじめから「精神面の指導をするぜ!」とか絶対に考えていない。
夏合宿などの行事も、生徒たちの精神面の指導をするという大義のもと行っているわけではない。
第一に学習力向上のためであり、第二に教室環境(生徒―生徒間、生徒―講師間)を整えるためであり、そして子どもたちの屈託のないあの笑顔!が最高だから行っている。
本校がずっと生徒を集め続けることができるのは、精神面の指導といった「付加価値」のためではなく、単に「勉強をする場所」として優れた部分があるということを、生徒と保護者が認めてくださった結果だと思っている。
「付加価値」で勝負しようとするなんて、塾の指導力の弱小さを披歴するだけ。あくまで勉強をする場所としての完成度を高めなければ。
塾は勉強する場所でありさえすればよく、心や精神は結果的にあとからついてくる(ことがある)。
私はこのスタンスで塾を続けていくことが肝要だと考えています。
唐人町寺子屋オフィシャルホームページはこちらです。