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いま物流の関係でAmazonの書籍がことごとく品切れになっていますが、個人書店のHPをたどっていけばいい買い物ができますので利用してみてください。


私は里山社さんがまとめたこのページからいろんな書店さんを見つけました。出かけられないぶんいろんな書店さんのページを巡るのはめちゃ面白いです。
https://note.com/satoyamasha77/n/n351c10016b7e…



ちなみに拙著「親子の手帖」は

blackbird booksさん(大阪)
https://blackbirdbooks.jp

minoubooks& cafeさん(福岡・うきは)
https://minoubooksandcafe.stores.jp

水曜文庫さん(静岡)
https://kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=198573942

らくだ舎さん(和歌山)
https://rakudasha-shop.com/items/27135764

とらきつね(福岡)
https://torakitsune8.thebase.in

で見つけました。(品切れのお店は除く)

※追記15:20 上記書店、次々に売り切れ表示に変わりました。お買い上げいただいた皆さまありがとうございます。

他で見つけられなかった方はとらきつねBASEでもご購入いただけます。



拙zine「旅をしても僕はそのまま」は


本屋Titleさん(東京)
https://title-books.stores.jp/

blackbird booksさん(大阪)
https://blackbirdbooks.jp

で見つけました。(品切れのお店は除く)


どの個人書店さんも、すべての本をネットに上げるのは困難ですから、これぞという本を選んでアップしているわけで、それぞれの個人書店の個性がわかって面白いです。東浩紀さんのゲンロンもいまオンラインでセールをしていて、こちらもぜひという感じです。

https://genron.co.jp/shop/



また、こちらのオンライン書店e-honでは、オンラインを通して自分が登録したMy書店で買い物ができるしくみになっていて、私は福岡のブックスキューブリックをMy書店に登録して買い物をしています。


こんな機会ですから、全国の書店探訪を楽しまれてください!



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by terakoyanet | 2020-05-04 14:36 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

休校1日目のこと。

中3の授業中に号外で3月2日からの全国の学校に対する休校要請が出て、いきなりこのクラスの授業が最後になるかもしれなくなり、とても悲しくなって涙をこらえるので必死だった先週の木曜日。

もし最後になっても、みんなは十分やってきたから受験は大丈夫だよ、そう伝えるのが精いっぱいで、何も考えられなくなりました。最後の授業なら、最後の授業らしくちゃんと伝えたいことがあったし、準備もあったのに。何事にも手順があるでしょうと、為政者たちに叫びたい気持ちになったものでした。

休校1日目のこと。_d0116009_01432264.jpg
最後になるかもしれないから、写真とろっかーと言ってカメラを向けたら中3この笑顔。

学校を休校にした理由と目的を考えれば、塾の授業だけいままで通りにやるわけにはいかないと思い、翌日からYouTube配信などいままでやったことのないことにチャレンジしつつ、息をつく暇もないまま4日間が経ちました。

いつも目の前で子どもたちが生き生きと反応してくれる中で授業をしているので、一人でしゃべりながら撮影をするというのがもうどうしようもなく慣れなくて、特に最初の中2の授業の撮影ではとてもぎこちない姿を晒してしまい、もうその動画を思い出すたびに、もっといい授業ができたんじゃないかとため息ばかりついていました。いかに日ごろ子どもたちに助けられていたか痛感しました。それでも子どもたちが目の前でいることを一生懸命想像しながら動画を撮ったので、何か伝わればと思っています。

一昨日、昨日と、少人数授業にすることで、できるだけ感染リスクを下げるために、もともとひとつの中3クラスを4つのクラスに、中1特進クラスを3つのクラスに分けて授業をしました。一つひとつのクラスの時間は短くなったのに、それでも授業時間は大幅に増え、日ごろ行われるテストの時間を大幅に削って授業(説明・解説)ばかりをやったせいもあり、1日の授業が終わった際にはへなへなと倒れ込んだり、その場で少し寝てしまったりという状況で、でも私が体を壊してはどうしようもないし、何よりいまは公立直前の中3生のために元気でいなければならない使命がありますので、これからしっかり体調を整えていきたいと思います。

中1・中2は特進クラス以外の授業が配信になり、直接質問をすることができない生徒が多いため、今日からLINEで質問受付を始めました。さっそく4人の生徒から質問が届きました。数学や英語の質問が画像つきできたので、こちらも赤ペン先生みたいに書き込んで画像で返しました。楽しいです。コロナの心配がなくなった来年度の春以降も、週に1回だけでも時間を決めてLINE質問受付時間をつくったら、子どもたちが活用してくれるんじゃないか、そんなことも考えています。
今回の困難も、むしろこれからにつなげていけたらと思います。


昨日は休校第1日目でした。
中高生たちに休校1日目の過ごし方を聞きました。

Aくん 10時まで寝てて、そのあとテニスして遊んだ!(8時には起きたほうがいいよ。)
Bくん 俺もテニスして遊んだ!
Cくん テニスして遊んだけど途中で帰った!(結局休校だけどみんなで会ってテニスしたのね。)
Dくん 俺はコロナには感染しない、なぜなら俺がコロナだから。(何言ってんだか。)
Eさん 昼の2時まで寝てた。(赤ん坊か。)
Fくん 友達とLINEのビデオ通話繋いでずっとしゃべってた。(会わなくてもそうやって遊ぶのね。)

Gさん 先生の授業動画を家族みんなでテレビで見た。(やめて。)
Hくん 友達とLINEの電話を朝からずっと8時間くらいつなぎっぱなしにして、しゃべりたいときだけしゃべってた。(すごい。お互いに友達をそうやって「環境」として使うのね。でもつなぎすぎだよ。)
Iくん 友達の家で5人でゲームした。(休校でも皆で集まるのね。)
Jさん 布団の中に入ったままゲームし続けた。(貝みたいだね。)
Kさん めちゃ出た学校の宿題をとにかくがんばった。(Kさんもえらいけど、宿題を急ピッチで用意した学校の先生もえらいね。)


休校1日目の子どもたち、どのように過ごしていたでしょうか。
他にも焼肉、カラオケ、ボーリングに行った(または行く)という話もちらちらと聞きますが、どんどん休校の意味が…。

この時期、本を読んだらいいよと本気で思うので、近いうち本の紹介をしたいと本気で思っています。
(時間が取れますように。)




休校ですったもんだのご家庭も多々あるようで、お母さんお父さんたちからの愛すべき愚痴が届くこのごろ。
親子の関係がちょっと最近しんどいなあという方に『親子の手帖』をどうぞ。
ナナロク社から出る新刊のお知らせはもう少しお待ちください。

…と昨日の昼につぶやいたら、Amazonの「親子関係」部門ランキングでTOP10に返り咲き。
ありがとうございます。

センターで8割5分をゲットし、僅か1年の実技演習で第一志望の美大に合格した竹内さん。
卒業式の後に会いに来てくれました。一瞬疲れが吹き飛びました。(少々やつれていますが。)
2017年、2018年の当校の高校進学説明会に参加した方なら、彼女がいかにすごいかご存知でしょう。
休校1日目のこと。_d0116009_02280257.jpg



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by terakoyanet | 2020-03-03 02:29 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

皆さまへお願い

皆さまへお知らせとお願いです。

本日、福岡市内でコロナウイルス感染の患者さんが出たというニュースが発表されました。昨日までと今日からで大幅にウイルス感染の脅威が高まるわけではないので冷静な対応が必要ですが、本格的な流行にならないかどうか心配なさっている方も多いことと思います。

保護者の皆さまにお願いしたいことは、手洗い、うがいといった基本的なことはもちろんですが、もし生徒さんに発熱や風邪の症状がある場合には、無理をしないで休んでいただきたいということです。また、咳をしているのにマスクをしていないお子さんがいらっしゃいますが、マスクをするのはもちろんのこと、ひどい場合は休ませてください。(ちなみに、症状のない全ての生徒さんにマスクをしてくださいとお願いしているのではありません。)また、特に男の子の中で鼻を触る癖がある子が多くいますが、感染を広げるリスクが高まる行動ですのでご家庭でも注意するようお声かけをお願いいたします。

高3、中3は国立、公立入試の直前になります。
皆で生徒さんだけでなくそのご家族の健康も守ってゆけるよう、ご協力のほどお願いいたします。


by terakoyanet | 2020-02-20 12:03 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

今週日曜日、12月2日に次のようなニュースが全国で流れました。

丸刈りなど強制でうつ状態、済々黌高退学の元生徒が熊本県を「1円」提訴

中学校に上がる前、初めて坊主になったとき、お風呂に入ったときに自分の頭と間抜けな顔が鏡に映って見えて、思わず目が離せなくなって泣いたことを思い出します。

私は、自分が中学生だった当時から、丸刈りに強い違和感を感じていたので(いま坊主みたいな頭ですが、それとこれとは話が別です)このことについて、自分の問題として強く反応せざるをえないところがあります。

いまから4年半ほど前に、先輩から強要されて坊主になって泣いていた子がいた日の憤りを記した文章があります。
その文章が、一昨日からTwitter上で多くの人たちに共有され(社会学者の岸政彦さん、マンガ家の瀧波ユカリさん、翻訳者の村井理子さんらが拡散したことが大きい)1日で1か月分くらいのアクセスをいただいています。

問題は、こういった経験が子どもたちに理不尽さを許容する心根を作ってしまうことです。
こうして理不尽さが連鎖する社会が作られるとすれば、それに甘んじることなく闘うべきではないかと思います。
その意味で、今回の裁判には意義があると私は感じています。

以下にそのときの記事を転載いたします。

・・・・・

いつになったら悪習が終わるのか。 2015年7月8日

今日書くことは、意見が異なる方もいらっしゃるかもしれないと思いながらも敢えて書きますが、
中学の男子たちを見ていると、ある部活動の生徒たちが皆坊主になることがあり、驚かされることがあります。

坊主の定番の野球部だけでなく、坊主とは無縁と思えるサッカー部の生徒まで坊主になることも。

部員全員が坊主になるときというのは、顧問やコーチ、先輩のうちのいずれかの力が働いています。
「気合を示せ」「反省しているところを見せろ」・・・
理由は何であれ、坊主になることを強制するのです。

それの受け取り方は子どもたちによって異なります。
本当に気合を示したいと、ちょっと照れながらも何の抵抗もなく坊主にする子もいれば
傷つかないために「あくまで自分の意思で坊主にするんだ。」と自分に言い聞かせながら坊主にする子もいれば、到底受け入れることができないのに泣く泣く坊主にする子もいます。

私は幼いころから同調圧力に敏感で、それをとても怖がってきた人間です。
だから、皆で坊主になれ、という有無を言わせない宣告は、昔も今もとても恐ろしく感じます。

もし先輩に坊主になれと言われて坊主になった子(後輩)がいるときには、それを言った先輩に対し、「お前は自分が何を言ったかわかっているのか」と厳しく問いただす人間が必要だと私は思います。
しかし、多くの部活動の現場ではそうではない。むしろ大人が同じことをしてきたから、それを真似した子どもたちが先輩となったときに、そのような強要を行う、そしてそのことがわかっているから大人たちはそれを黙認する、それどころか奨励さえする。そういう場面が多いと感じます。

しかし私は、坊主になりたくない子、坊主になろうとは思っていない子に対し、坊主を強要することに強く反対します。そんなつまらない悪習はすぐにでも葬り去られるべきだと思います。(※坊主自体を悪習と呼んでいるのではありません。)

このような同調を強要することがどれだけ暴力的で危険なことであるかということを、私たちは歴史で学んでいるはずです。いやいやそんなに大きな話ではない、たかがスポーツの話だ、いやむしろスポーツってそんなものだなんていう声も聞こえてきそうですが、私はそういった同調を強要するようなスポーツなんていうクソつまらないものは、すぐにやめてしまえ、という気持ちを抑えることができません。そんなものに頼らなくても、もっとうまくやる方法があるはずです。

日本には、大人だったら決して許されないのに、子ども相手なら許されてしまうことが多すぎます。
子どものことをバカにしすぎています。


お花畑の小学校と違って、中学・高校は、世間の厳しさや理不尽さを反面教師的に学ぶ場となっています。
しかし、世間の厳しさや理不尽さなんていうものは、教育の場で大人がわざわざ拵えてあげなくても、子どもたちは近い将来、それにぶつかって藻掻くはずです。それに対する耐性だけ身につけさせて、将来それらにぶつかったときに、藻掻くこともせずにただ順応する人間を育むことこそが教育の本当の目的だとすれば、それは皮肉にもある程度成功していると言えましょう。

子どもたちには、自分が感じた違和感を大切にしてほしいと思います。
無理に周りにあわせる必要なんてないし、周りに合わせられない自分に対して自信を失う必要もないんです。

苦しみをひとりで噛み締めている子も、苦しみを紛らわしてやりすごしている子も
皆が考えることを諦めずに、前に進む意思を持ち続けることができるよう、願っています。





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by terakoyanet | 2019-12-06 02:28 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

5月10日の雑感。

中学コースの各学年では、計100名が参加しているGW明けの最初の授業が終了しました。


宿題の達成度では中3が圧勝。今年の受験生はちゃんと引き締まってると感じます。

中2が非常に芳しくない状況でしたので、これから引き締めていかなければならないと強く感じています。
ごまかす子がいるのも問題だと感じています。

中1は数名問題ありでしたが、全体には良くできていました。
しかし中1はこれから2・3か月が最も差のつく時期ですから、毎日少しずつコツコツと学習を積み重ねるという「学習の習慣」をこの時期につけてほしいと切に願います。


・・・


胸が苦しくなる、あまりにいたましい事故がまた起こりました。

加害者を責めたくなるところですが、加害者の現状は決して人ごとではありません。
私たちにできることは、自分自身の運転について考えること、そして、事故が起こりやすい道路の設計を見直すよう行政にはたらきかけることだと思います。(日本の道路は人と車との間隔が狭すぎます。交差点における人身事故が欧米諸国に比べて多い日本においては、ラウンドアバウトを積極的に導入していくことが必要だと思います。)



もっと 車がとおれなくなるくらいに もっと 
もっと あの子にもっと
空への道 つくってやろうよ

幹線道路の脇にはいつも 赤い花束咲いている
空はこんなに明るいから 頭を垂れて花を投げよう  寺尾紗穂『花をもっと』



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by terakoyanet | 2019-05-10 02:09 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

カトリックの人たちにとって、復活祭(イースター)はクリスマスと同等に、もしくはそれ以上に大切な祝日です。その日を狙った同時多発テロが、この10年間治安が安定していたスリランカで起こりました。

私は昨年の9月、今回 テロの標的になった、コロンボの聖堂 St. Anthony Shrine を訪問し、今年の1月に「コロンボにて」という記事を書きました。この記事では、この聖堂での出来事、頂いたカレーの味わい、そしてスリランカという多民族国家の「苛烈な現実」について書きました。まさに今回の事件は、スリランカの「苛烈な現実」を改めて思い知らされる出来事となってしまいました。心が強く揺さぶられて、何も手に付かないほどです。

私は、標的になった聖堂を最近訪問した数少ない日本人として、そして自身もカトリックの家に生まれ教会に育てられた人間として、何かを書いておかねばならないという義侠心のようなものに駆られ、いまパソコンの前に座っています。



今回テロのターゲットとなったコロンボの St. Anthony Shrine は、スリランカのカトリック教会を代表する建物です。そして同じくターゲットとなったコロンボの近郊の町ネゴンボは、最も古くからカトリック教徒が多く住みついた、信者たちにとって特別な意味を持つ町です。今回のテロは、スリランカのカトリック教徒にとって最も大切な日に、最も大切な場所で起こったのです。ですから、スリランカのカトリック教徒たちはいま、想像もつかないほどの動揺と恐怖にふるえているでしょう。そして信仰と生命を同時に攻撃されたことに対する強い悲しみと憤りを感じているに違いありません。


「食べていきなさい。」
St. Anthony Shrine の2階の階段の前で、何の迷いもなく私にカレーを食べて帰るよう呼びかけたあの女性のことを思い出します。(『コロンボにて』を参照のこと。)
「カトリックの方たちがカレーを食べに来るのですか?」私は彼女に尋ねました。
「いいえ、違うわ。カトリックでも仏教徒でもヒンドゥーでも、ここでは誰もが無料でカレーを食べていいの。神は信仰によって差別すると思う? 神は信仰が違うからと言ってカレーを食べるなとは決して言いません。だから、信仰がわからないあなたに、私はカレーを食べていくように言ったでしょう。ここはそういう場所なの。」
スリランカの聖堂に花束を。_d0116009_01032291.jpg
スリランカのカトリック信者は国の人口比の6%にすぎない勢力ですが、カトリック信者の中には、シンハラ人もタミル人も区別なくおり、どちらも含むことなどから、カトリック教会は民族間融和の役割を担うものと期待されてきました。そして実際に、教会や修道会は実際に慈善活動等を通してその役割を果たしてきました。この意味で、カトリックが狙われた今回のテロは、一体何をターゲットとしたのか、という点において、決して単純ではありません。シンハラ(仏教徒)vsタミル(ヒンドゥ)とか、キリスト教vsイスラム教といった、既存の図式だけでは捉えることはできません。今回のテロの標的が「民族間融和」の象徴であるカトリック教会であったのはなぜなのでしょうか。

スリランカ政府は、事件のあと、同国からFacebookやInstagramなど一部SNSへのアクセスを遮断しました。現在、スリランカ多数派(国民の7割)であるシンハラ人たちの一部による、他の少数派に対するヘイトが問題になっています。特に同国では少数派にあたるムスリム(人口比の1割)たちがその標的になっています。そして、そのヘイトの現場は多くがネット上、つまりはSNS上です。

自身が見下している集団が権益を得ることを快く思わない人がいるのは万国共通なのでしょうか。
ムスリムたちが、産油国の潤沢な資金の恩恵を受けて、成り上がっている。
見下しているやつらが、既得権益を得ている。
ふざけるな。調子に乗るな。少数派は少数派らしく、弱者は弱者らしくしていろ。
このような図式は、残念ながら、今も昔も日本でも散見される現象です。

リンク先の記事にもあるとおり、シンハラのナショナリストたちは、ムスリムの居住地区とモスクが襲撃する事件も起こしています。ムスリムたちがそういうヘイト的な空気に日常的に晒されていることと、今回の事件は決して無関係ではないでしょう。しかし、今回のような事件が起きると、ムスリム排斥の動きが勢いを増すことは疑いようがありません。ムスリムの人たちが、ますます肩身が狭い思いをすることになるかもしれません。

しかし今回の標的はカトリックであり、ホテルにいる外国人でした。これまでのイスラム過激派の動きからすれば、既定路線かもしれませんが、しかし、スリランカのカトリックは「民族間融和」の象徴であり、その点はヨーロッパのテロとは事情が違うのです。

2015年1月に教皇フランシスコが同国を訪れ、コロンボの St. Anthony Shrine 近くの海岸では、100万人に上る市民が熱狂的に教皇を迎えました。(ちなみに同国のカトリック信徒は120万人。)教皇が同国を訪れたのは、スリランカ初の聖人である聖ジョセフ・ワーズ(St. Joseph Vaz)の列聖式のためでした。ジョセフ・ワーズには、困窮した人であればその信仰にかかわらず救済の手を差し伸べた逸話があり、教皇フランシスコは、100万人の人々の前で「和平のため宗教的な分断を超えることの重要さ」について語ったとされます。

スリランカのカトリックが「民族間融和」の象徴であるのは、単に教義的な部分に留まりません。
スリランカのカトリックの人たちは、聖典と祈りを英語に依拠しています。
シンハラ語は仏教徒たちの言語であり、タミル語はヒンドゥー教徒たちの言語です。
結果として、カトリックの人たちの宗教言語は英語になります。(そのため、カトリック信者たちによって、子どもが通う学校の試験を英語で受けられるように政府に訴える運動も起こっています。)英語は、他の多民族国家と同様に、スリランカにおいても、別の言語を持つ人と人の間の共通語として機能しており、その英語を母語として操るのがカトリックの人たちなのです。ですからスリランカのカトリックは、教義にとどまらず、言語・文化的にも民族間融和を象徴していると言える存在です。

カトリックの教義からすれば、ムスリムの人たちはもちろん、イスラム過激派の人たちでさえ、慈しむべき存在でしょう。しかし、現在、グローバル化という名の下に、あらゆる差異を、慈しみをもって包括し、その結果、それら個別性を無化してしまうような運動(=新しい全体主義)が進んでいるとすれば、そして、それにカトリックが加担しているとすれば、そしてその象徴が「英語」であり「資本主義」であり「文化産業」であるとすれば、カトリックが「民族間融和」を善として打ち出している限り、「融和」は一種の同化政策と受け取られかねず、抵抗は解消しないでしょう。

安易に民族間融和なんてことはできないからこそ、私たちは考え続けなければなりません。
融和という解決策にすがるのではなく、むしろ解決しなくても生き延びることができる知恵を考える方が大切なのではないでしょうか。その意味で、私たちに不足しているのは具体的な解決策よりも、祈りそのものなのではないでしょうか。

スリランカの聖堂に花束を。_d0116009_03261144.jpg


St. Anthony Shrine でカレーを食べたあの日のことを何度も思い出します。
あの日も日曜日で、私はひと際熱心に祈る彼らの一員となって、お祈りをしました。
この国にはまだ祈りが息づいている。そのことに感激しながら、お祈りをしました。

私がお祈りをしていると、2列前にお母さんと座っている5歳くらいの小さな女の子が、ふと後ろを振り向きました。
私が彼女に気づいたような反応をしたのものだから、彼女はにこっと笑って、そして前を向いては何度も後を振り向いてにこっと笑顔を見せました。そのたびに私は何とも言えないマヌケな表情で、金魚のように口をパクパクさせたり、少し目を大きく開いたりして、彼女の笑顔に応えました。そうしているうちに、彼女はお母さんからパコっと頭を叩かれ、それからは後ろを振り向かなくなりました。これは彼女とのわずか3分ほどの思い出です。

国を代表する聖堂とはいえ、ヨーロッパのバジリカやカテドラルとは全く規模が違います。
さほど大きい場所ではありません。
近くには別の教会もありますから、毎週この聖堂に集まるコミュニティは、全員が顔見知りという程度の人数しかいないはずです。

その小さなコミュニティの中で、無残にも一瞬にして50名以上の人たちが殺されたのです。
彼女はちゃんと生き延びたかな。生きていてほしいと思います。

今回の殺戮はそのまま、このコミュニティの破壊を意味します。
人の命が失われたと同時に、それまで引き継がれてきた大切な祈りと知恵が失われました。
これは、仮に時間が経って元通りになったように見えるときが来ても、決して回復しません。
失われたものは、ずっと失われたままです。
それは、損なわれてしまったあとには、そこに何があったのかもわからないようなものです。
人の命が失われるというのは、そういうことです。

明日へのささやかな意思を突然断ち切られた人がいる。
もうあなたに会えない。受け入れ難い現実に、もだえ苦しみながら夜を過ごしている人がいる。
そのことに、強い悲しみを覚えています。
今回の事件、とうてい他人ごととは思えません。
スリランカの聖堂に花束を。



言(ことば)に絶えたる日は始まる。
見せつけらるるおのが弱さよ、
見失いたる神のさびしさ
。 藤井武「羔の婚姻」



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by terakoyanet | 2019-04-22 03:49 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

さくらももこさん

さくらももこさんの訃報を受け、ショックを受けています。

さくらももこさんのことは、多くの人と同じようにちびまるこちゃんで知りました。中学生のころ。

それから、マンガをむさぼるように何度も読んだのは、いまから考えれば、生まれて初めて自分の感性にとても近いと感じるものが描かれていて、それがとてもうれしかったのだと思います。


ちびまるこちゃんはもちろん面白いけれど、『コジコジ』と『神のちから』はとんでもない傑作で、さくらももこの頭の中は決して「ほっこり」なんかじゃない、いびつでキテレツなものに溢れていること、彼女には天賦の才能があることを思い知らされました。


きっと根っこがとてもやさしいんです。

だから、何度励まされ、何度元気づけられたことか。

まだ、いまいち実感がわかないけれど、さびしい気持ちです。





こちらのブログでは、ちょうど10年前に、一度だけさくらさんの漫画を紹介したことがあります。





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by terakoyanet | 2018-08-27 22:36 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)

この時期、冷房のない体育館で全校集会を開くのはやめるべきです。
昨日は体育館で熱中症になったと思われる子が複数名授業を欠席しました。いつも元気印のある子は、なんとか塾の授業に来てみたものの、どうしても辛くなって開始40分で帰りました。
別の学校の子は明日2時間も体育館で全校集会があるんです、と曇った顔をしていました。

熱中症になって動けなくなるくらいなら、学校なんて休ませた方がいい。
数日前に電話で話したお母さんは、3日前に熱中症になったばかりのわが子を慮って、そう言いました。


これだけ全国的に問題になっているのに、熱中症になる環境を強いるなんてバカげています。
灼熱の中の部活動も大問題ですが、冷房のない体育館での全校集会は、この時期ほんとうにやめるべきです。
途中で水が飲めないから、自分で自分の体を守れない。そんな危険な環境を子どもに与えるのは間違っています。


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by terakoyanet | 2018-07-20 01:04 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

本日、KADOKAWAのダ・ヴィンチニュースに、映画監督の神保慶政さんによる私(代表・塾長 鳥羽)のインタビューが掲載されました。

よかったらご覧ください。




神保さん、ありがとうございます。


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by terakoyanet | 2018-05-11 13:56 | おすすめのHP | Trackback | Comments(0)

新年度より、A高校では朝課外が選択制になりました。また、B高校では正課の授業内容を朝課外でもやる(これをすると朝課外に出ないと正課の授業についていくことができなくなる)という悪しき慣習が廃止されました。
声を上げる人が多くなり、マスコミも取りあげたことで、大きな山が動いたという印象です。

選択制になったA高校の朝課外の参加率は8~9割の高率だそうです。
朝課外なんて意味がない、間違いなく大多数の生徒がそう言っていたのに。
朝課外に行かないと不安、という刷り込みは簡単に消えるものではないのでしょう。親に行けと言われる子どもも多いのでしょう。

でも、朝課外に行けという親は、ちゃんと子どものために朝課外が本当に必要なのか、なんとなく行ってくれたほうが安心だから言っているのにすぎないのか、そういうことを自分自身の問題として考えた上で子どもに助言をしてほしいと思います。
朝課外が必要な子がいるのは事実ですが、必要ない子、むしろ朝の負担がマイナスになっている子も本当にたくさんいますから。

高校生たちも、自分たちで考えてほしい。なんとなく流されて行くなんて馬鹿げているよ。
行くならちゃんと意味のあるものにしてください。何も考えずに行くのが一番愚行です。
ちゃんと毎朝頑張っている子たちはそのまま頑張って。その努力はきっと裏切らないから。
行かない決断をした人は、じゃあ自分には何ができる?それをしっかり考えよう。

高校の先生にもお願いしたいです。
朝課外に来ないことを選択した生徒をいじったり、悪意を持ったりしてほしくないし、
その選択を尊重してあげてほしいのです。
選択をした子たちが少数派のいま、その子たちは学校で守られる必要があります。


・・・・・

4月20日

貴重なコメントをいただきましたので、追記させていただきます。
私は上の記事で朝課外が悪いとか行くべきではないと書いたつもりではありません。
私は以前から朝課外は選択制であるべきと主張してきました。
朝課外が実質強制になっていることの弊害を長年感じてきたからです。

今春から選択制の学校が増えたことは子どもたちにとって朗報だと思います。
いままで惰性でなんとなく朝課外に通っていた子どもたちが、自らの選択で参加できるようになったからです。

だから、自ら朝課外に行くことを選んだ子たちは、行くことに決めたからには頑張ってほしいと思います。
ただ行くだけではなくて、何をすれば積極的な活用ができるか考えて、朝課外に臨んでください。



by terakoyanet | 2018-04-19 16:50 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(6)