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『旅をしても僕はそのまま』のお取り扱い店

好評をいただいている『旅をしても僕はそのまま』(文・写真 鳥羽和久/絵・馬場通友)の8月17日時点の全国のお取り扱い店をご紹介いたします。こちらでご紹介するお店は、その地域の文化の発信地としての役割を担う本屋も多く、そのような場所に置いて頂いていることに感謝しています。全国に旅をするときに訪れる書店の参考にもどうぞ。



■東京(荻窪)・Title

旅は、旅する人の心のうちを開放する。これまで思考したこと、読んだ本が、目のまえの風景と出会った人により喚起され、忘れがたい景色となって結実する。スリランカ、バリ島、アッシジなど、各地のインスぺレーションを得た告白。
鳥羽和久・著 馬場通友・絵『旅をしても僕はそのまま』(啄木鳥社)


■葉山・Bookshop Kaspar



■名古屋・ON READING

福岡市で現代の寺子屋のような開けた学習塾を運営する著者・鳥羽和久によるエッセイZINE。

レヴィ=ストロースの言葉を引用し、現代のSNS時代における、旅と自己の変容について綴ったテキストから始まり、ジェフリー=バワの建築をきっかけに訪れたスリランカで思索した、ジェントリフィケーションによって失うもの。バリ島の小さなゲストハウスで交わされたオランダ人、韓国人、オーストラリア人たちとの会話。イタリアの町アッシジの教会で聴いた自己の存在証明の話。

『旅とは「見られる」という不気味なものを通して自らが開かれる経験である。』(本文より)

薄い本ではあるが、何度もページをめくり、ゆっくりと咀嚼して考えたいテーマが詰まった1冊。





■大阪(豊中)・blackbird books

旅に出ると思い出すレヴィ=ストロースの言葉。
スリランカ、インドネシア、イタリア、旅先で出会った異国の多様な人々。
交錯する日本の社会と自身の記憶。

鳥羽さんという一個人の旅の記録だが、それは私に旅が記憶から抜け落ちていたもの、つまり世界から消えようとしていたものに直に触れることが出来るということを教えてくれる。
旅に出て何かが変わるわけではない。世界の不完全さ、つまり自身の不完全さに気づき、自らの孤独と向き合うほかない。
タイトルが深く、潔い。

もくじ
残照
バワの残響
レインボーカラー
罪について

鳥羽和久
1976年 福岡県生まれ
唐人町寺子屋+航空高校唐人町+とらきつね 運営


■福岡(糸島)・nodocafe

旅をしてもぼくはそのまま

@torakitsune_books さんから
出来たてホヤホヤのZINE届きました
読んでみてほしいです(k)




『旅をしても僕はそのまま』感想も届き始め、嬉しく思っています。


わからないものの答えを求めるのではなくて、手繰り寄せるその態度というか、そっと触れようとするその行動そのものが、私を真っ当に生きさせてくれているのかもしれない。本当にそうなんだよね。
(ブログ『未来志向でいこう。』より)




『親子の手帖』とともに、よろしくお願いいたします。
いまは時間がありませんが、なんとか今年中に完成させるべく新刊の手直しに勤しんでいるところです。



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by terakoyanet | 2019-08-18 00:17 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

とらきつね一般書ランキング (7/1-8/10)と入荷の本

とらきつね一般書ランキング (7/1-8/10)

(初)1 旅をしても僕はそのまま 鳥羽和久 啄木鳥社
(初)2 たぷの里 藤岡拓太郎 ナナロク社
(4)3 親子の手帖 鳥羽和久 鳥影社
(初)4 夜の木[第8版] タムラ堂/タラブックス
(初)5 文藝2019秋季号 韓国・フェミニズム・日本 河出書房新社
(初)6 居るのはつらいよ 東畑開人 医学書院
(1)7 台風一過 植本一子 河出書房新社
(初)8 往復書簡 無目的な思索の応答 武田砂鉄・又吉直樹
(8)9 アメリカ紀行 千葉雅也 文藝春秋
(初)10 ホホホ座の反省文 山下賢二、松本伸哉 ミシマ社

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今月は、7月に発売した新作zine『旅をしても僕はそのまま』(←そのうちナナロク社から出る予定の新刊とは別のものです)が50冊以上の売り上げで1位に登場。2位には当店の絵本売上新記録を達成する勢いの話題沸騰、藤岡拓太郎『たぷの里』。店内ではタラブックスフェア開催中で、『夜の木』の第8版も初登場。以下、話題作が並んでいます。




お盆休み中のとらきつねですが、次のオープンは18日(日)となります。


<最近の新入荷・再入荷>
(再)居るのはつらいよ 東畑開人
(再)子は親を救うために「心の病」になる 高橋和巳
(新)詩と出会う 詩と生きる 若松英輔
(新)庭とエスキース 奥山淳志
(再)不道徳お母さん講座: 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか 堀越英美
(新)山の神々 坂本大三郎
(新)新潮2019年9月号 千葉雅也『デッドライン』収録
他入荷


子育てやケア、さまざまな生き方について考える本を中心に入荷しています。


拙著『親子の手帖』は現在3刷ですが、おかげさまで4刷をお届けできることになりそうです。

新しい原稿とか索引とかを追加して、新装版に仕上げたいなという気持ちがあるのですが、まだ担当の編集者に何も言っていないのでどうなるかわかりません。


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by terakoyanet | 2019-08-12 00:57 | とらきつね | Trackback | Comments(0)

とらきつね一般書ランキング (5/27-6/30)と、これから入荷の本

とらきつね一般書ランキング (5/27-6/30)


(1)1 台風一過 植本一子 河出書房新社
(再)2 音楽のまわり 寺尾紗穂編
(再)3 cook 坂口恭平 晶文社
(5)4 親子の手帖 鳥羽和久 鳥影社
(初)5 テーマパーク化する地球 東浩紀 ゲンロン
(再)6 彗星の孤独 寺尾紗穂 スタンド・ブックス
(再)7 夏がとまらない 藤岡拓太郎 ナナロク社
(初)8 アメリカ紀行 千葉雅也 文藝春秋
(初)9 野良犬たちはみな踊る あだち麗三郎 Magical Doughnut Records
(再)10 愛し、日々 寺尾紗穂 天然文庫

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今月は2か月連続で植本一子さんの『台風一過』が首位。こちらの本、とらきつねでお買い上げの方にはオリジナル特典「植本一子かなわない年表」(鳥羽和久編)をお付けしています。植本一子さんの本は、寺子屋の本好きなお母さんたちにもかなり広がっているみたいです。


今月レソラホールでとらきつね主催のライブが開催された「冬にわかれて+坂口恭平」関連の本(寺尾紗穂・坂口恭平・あだち麗三郎)が2位・3位・6位・9位・10位に入りました。ライブにご来場いただいた皆さま、改めてありがとうございました!


このほか、絵本「たぷの里」が発売間近の藤岡拓太郎さんが夏本番を前に再登場! 

そして、新刊が出るたびにランクインする東浩紀さん、千葉雅也さんが初登場。


とらきつねはとてもせまいので、日々大切に本選びをしています。
好みが合う方にとっては間違いない本が並んでいますので、ぜひ本棚を覗きに来て下さい。



【とらきつね 今週、これからの入荷】

入荷日が確定していないものもありますが、この1週間以内を目処に入荷予定の本をご紹介します。


居るのはつらいよ:ケアとセラピーについての覚書 東畑開人 医学書院 (再入荷)

インドのけもの カンチャナー・アルニー, ギータ・ウォルフ エクスナレッジ/タラ・ブックス (新入荷)

おばけのばあ せなけいこ KADOKAWA (新入荷)

キツネと星 コラリー・ビックフォード=スミス アノニマ・スタジオ (新入荷)

<性>なる家族 信田さよ子 春秋社 (新入荷)

タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる 野瀬奈津子・矢萩多聞他 玄光社 (再入荷)

図書室 岸政彦 新潮社 (新入荷)

ナマケモノのいる森で ソフィー・ストラディ アノニマ・スタジオ (新入荷)

猫が好き アヌシュカ・ラヴィシャンカ グラフィック社/タラ・ブックス (再入荷)

ぱたぱた絵本、くまさんどこかな? 高橋 香緒理 河出書房新社 (再入荷)

などなど


とらきつねで販売している本は、全てではありませんが、子育て中のお母さま、お父さまに読んでいただくことをかなり念頭に置いた本選びをしています。良い本にきっと出会えると思いますので、ぜひ見に来てみてください。

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昨日のとらきつね


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by terakoyanet | 2019-07-03 01:55 | とらきつね | Trackback | Comments(0)

残照


幾度も旅に出ては、旅先で出会ったことを忘れたくなくて、記録する。こうして旅のことについて何か記そうと思うたびに、いつも思い出すのが「私は旅や探検家が嫌いだ。」というレヴィ=ストロースの言葉だ。

これは『悲しき熱帯』の冒頭に置かれた作者の独白である。旅とそれを書く行為を「羞恥と嫌悪」に塗(まみ)れた感情で綴りながら、自らが「無為なもの」と言い切る冒険を途轍もない熱量で書ききったあの有名な書物は、この言葉で始まる。

現代の私たちは、かつてレヴィ=ストロースが世に問うた内容を知っている。
近代の知に拠って、西洋の特権的な視座だけで世界を見ると本質を見誤るということを、ある程度は理解している。
しかし、『悲しき熱帯』に表出する、旅先の何かに触発された語りは、構造主義的な意義を超えて私たちに直截に訴えかける魅力を放っている。
精緻な描写のひとつひとつは、あまりに生き生きとしている。旅という行為から剰余として溢れ出す、隠喩に彩られた濃密な思索は、読む人を捻じ伏せるように圧倒し、そして時にひどく悲しくさせる。そのときの感情は、うまく説明のつかないものだ。


去年、イベントで写真家の石川直樹さんをお呼びして話を聞く機会を得た。「僕が富士山に行って写真を撮るとしても、それは、富士山を撮るんじゃなくて、富士山で撮るにすぎない。そこで自分が何を考えるかということでしかない。」「そこでは自らボールを投げるのではなく、飛んでくるボールをただ受け取るだけ。」彼は写真についての最も基礎的な話のなかで、それをいつものように淡々としゃべった。

石川さんもエッセイ『最後の冒険家』の中に書いているとおり、地理的に未知の領域が残されていない現在では、近代的な意味での冒険家というのは存在自体がありえないものとなった。『私は、「本当の」旅の時代に生まれ合わせていればよかった』とレヴィ=ストロースによって語られた時代よりもっと、新世界との邂逅の魅惑から遠く離れてしまった私たちは、それらの残滓を見つけることさえ難しい。

しかし、それでいながら、私たちは相変わらず旅を楽しむことができる。
なぜなら、いまも変わらず、私たちの一寸先の未来は誰も手中にすることができず、そこは未知の至福で溢れているから。

『悲しき熱帯』は旅の記録というよりは、未知に出会った私の変容の記録である。そこで飛んできたボールを受け取った私が、時に無邪気な子どもに戻ったように、時に物思いに耽る青年のようにそこにいて、ただ湧き出た心をそのままに感じている。だからこそ、言葉が生起した瞬間の瑞々しさがそのまま文体の中に溢れ出していて、そのこと自体が、とてもくるおしくて、どうしようもなく悲しいのだ。




平成という時代は、自分の世界をコントロールして最適化できる時代の幕開けであった。
SNSでは、フォローしたり、フォローを外したりすることで、写真をトリミングするように、自分が見たい情報だけを見る、見たくない情報は見ないようにすることが可能である。
そうやって、いつも最適化できる安心な世界の心地よさを知っている現代の子どもたちは、自分の手でうまく制御できないことからは即座に退却しようとする傾向がある。
彼らは驚くほどに平坦を求めている。
「僕が一番求めているのは安定です。それだけあればいい。」この前のディスカッションで、高校1年生のAくんがそう言い切った。
彼は、学校の先生の理不尽さをたびたび批判するような、反骨精神に溢れる子なので、私はなおさら驚いた。

若者が変化を求めて転がり回る時代はすでに終わったのかもしれない。
彼らはいつも心地よい共感の中にいて、ぬくぬくとした関係を築くことができる友人関係を求めている。そして、思い通りにならない恋愛関係はちょっとめんどくさいと敬遠する。
でも実は、コントロールできないことと、恋愛対象への渇望というのはセットなので、これが意味することは、性的なもの全般に対する退却でもある。これが「草食化の時代」と言われた平成という時代の中身なのかもしれない。




『悲しき熱帯』に刻印された過剰な語りは、旅先で自らが「見られている」経験をすることから生じる。

旅よ、お前がわれわれに真っ先に見せてくれるものは、人類の顔に投げつけたれたわれわれの汚物なのだ。

このような言葉は、不気味なもの、得体のしれぬものに眼差されているという経験なしには生まれ得ない。
しかし、いつもスマホの画面と向き合っている私たちは、その画面から眼差しを返されることはない。そこにあるのは、すでに私のために選別された情報であり、私の分身であり、つまりは私のための安心できる世界であり、そこに「見られている」という経験は含まれない。

ツイッターのタイムラインを見ながら多くの人がやっているのは、自分自身の傷探しである。ある時は、自分と同じ傷を負っている人に甚(いた)く共感し、ある時は自分と同じ傷を誰かに負わせた人を責め立てる。また別のある時は、感情の自動機械のようにその両方をする。

タイムラインの流れに身を任せ、それに転移することで自分を傷つけたものへの復讐を成就させる私たち。ツイッターはいまや傷探しのツールで、傷を見つけてはそれを埋める快楽を半ば反射的に繰り返す。こうやって、画面の中で自分の欲望が即時的に達成されてゆく世界には、「見られている」がない。

SNS上の「いいね」は、あなたが「いまのままでいい」ということを肯定するシステムである。
「いまのままでいい」は、自らが変容することに怖気づく主体をやわらかく包み、肯定する。
「いいね」は存在の甘やかしに他ならず、相互に「いいね」を繰り返すことで、その存在はめくれることをやめ、地滑り的にお互いをどんどん劣化させてゆく。

旅とは「見られる」という不気味なものを通して自らが開かれる経験である。しかし、インスタ映えを狙ったナイススポット巡りは、「見られる」経験を抑圧した上で「見る」ことができる私を肯定し、全能のものとして特権化するプロジェクトである。それは、即時的な「いいね」の快楽と相通じるものがある。

現在、SNSから離れてネットからは見えないコミュニティを作る動きや、本質的な体験を志向した新たな旅の提案など、現状に対する違和感を抱えた人たちによる新たな試行錯誤が続いている。これらの活動は「見られる」ことさえも目的化しかねない危うさを孕む。
しかし、最適化の時代に生きる私たちは、こうやって自身が変容していくことを半ば意識的に選択する必要があるのかもしれない。でなければ、スマホが与える情報と現実が身体化し、気づいたときには身動きが取れなくなっているかもしれない。




子どもとは不気味なもののことである。新生児の顔は実際に不気味である。

子どもは、自分にとって、もっとも親密でありながら、拡散し、増殖し、いつのまにか見知らぬ場所にたどりついてぼくたちの人生を内部から切り崩しにかかってくる、そのような存在である。
東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』

子どもが不気味な存在であるがために、神に近い神聖な存在とみなされていたのは、それほど昔のことではない。
石牟礼道子さんが幼いころの記憶を描いた『椿の海の記』という本がある。これを読むと、幼年時代の彼女が、まさに不気味な存在として、世界をありのままに受け取って生きるさまが描かれている。

見えている世界より、見えない世界の方がよりこわい。目をつぶって、掌でそろりと撫でればモノというものがわかり、猫の鼻の不思議のような嗅覚をわたしは持っていた。その掌をかざせば指の間から天井が見える。天井の模様が見える。天井の模様はまだ見ぬ他界への入口だった。幻怪な形の鬼たちの太ももや、片耳や、穴の深い壺が、のびちぢみしている。仏さま仏さま、指の間からお仏壇を見る。
石牟礼道子『椿の海の記』

子どもの世界というのは残酷なほどあからさまである。そして、石牟礼さんのこの本には、その奇妙な残酷さがそのままに描かれている。
私はこれを読んだときの「この世界を知らなかったら、本当に危なかった」という感覚が忘れられない。自分が見失ってしまった世界があることに驚き、憑き物が落ちたような気持ちになった。

それは、子どもという得体の知れぬ妖精によって書かれた本であった。そこにあるのは大人から見た子どもではなく、子どもの目から見た子どもの世界そのものであり、すでに世間に取り憑かれている大人からすれば、驚愕すべき「異文化」の世界であった。





私は、人間という種がその世界に対してまだ節度を保っており、自由を行使することと自由を表す標とのあいだに適切な関係が存在していた一時代の残照、インディオのアメリカにおいてすら果敢ない残照を、慈しむのである。
『悲しき熱帯Ⅰ』レヴィ=ストロース


かつてレヴィ=ストロースがインディオのラテンアメリカで見たものは「異文化」が持つ不気味な力であり、それは「人間という種が、その世界に対してまだ節度を保っていた」ころの「残照」であった。

彼がここで言う「残照」とは、時代に取り残され、人の記憶から消えようとしている世界に手を伸ばし、自分のもとへ必死に手繰り寄せようとすることである。そして、それが私たちとどこか似ていることをおぼろげに触知することであり、その手触りを大切に抱くことである。

このことを通して、私たちはどうにか真っ当に生きていくことができるのではないか。


陽はすでに落ち 暗い部屋にひとりこぼれゆく時を 足元にみつめ問えど答えなく 風が鳴るだけ
寺尾紗穂『残照』



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一昨日、機上から捉えた富士山
夏が近いことを感じさせる山容



寺尾紗穂さん、いよいよ来週、福岡へ。

寺尾紗穂・伊賀航・あだち麗三郎のバンド「冬にわかれて」初の福岡公演は6月7日(金)。
ゲストは坂口恭平さん、そしてカフェはくらすことさん。
素晴らしいイベントになること間違いありません。






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by terakoyanet | 2019-06-01 01:27 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

とらきつね一般書ランキング(4/15-5/26)

とらきつね一般書ランキング(4/15-5/26)


(初)1 台風一過 植本一子 河出書房新社
(再)2 悲しみの秘儀 若松英輔 ナナロク社
(初)3 くらすことの本 はじまりのうた 藤田ゆみ編 エプロン社
(初)4 わたしを空腹にしないほうがいい改訂版 くどうれいん BOOKNERD
(2)5 親子の手帖 鳥羽和久 鳥影社
(再)6 燃える水滴 若松英輔 亜紀書房
(再)7 子どもと一緒にスローに暮らす おかあさんの本 藤田ゆみ アノニマブックス
(初)8 幸福論 若松英輔 亜紀書房
(4)9 へろへろ 鹿子裕文 ナナロク社/ちくま文庫
(初)10 欲望会議「超」ポリコレ宣言 千葉雅也・二村ヒトシ・柴田英里 KADOKAWA

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今月は5月25日発売の植本一子さんの新刊『台風一過』が予約販売のみで1位。(まだ届いてない涙) みなさん待っていたんですね。

『台風一過』をとらきつねでご購入の方には、「植本一子かなわない年表 改訂版」(鳥羽和久編)が付きます。


そして今月イベントが開催された若松英輔さんの本が2位・6位・8位に入りました。


くらすこと・藤田ゆみさん関連も2冊(3位・7位)。


春になり、たくさんの方の元に本が届きました。
ご来店いただいた皆様、ありがとうございました。



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by terakoyanet | 2019-05-27 07:50 | とらきつね | Trackback | Comments(0)

『みぎわに立って』田尻久子著(里山社)のこと

眠たい。明日は朝が早い。
いま起きてこんなことをしていることを見られたら、さっきまでテレビを見ながらうつらうつらしていた私のことを知っている妻から驚かれそうだ。

それでも、何となく、今夜寝る前に書かないと、書けなくなるような気がする。
そう思っていまパソコンの前に座った。
田尻久子さんの『みぎわに立って』について、少し書きたいと思ったのだ。

この本は、失われたものへの哀切に溢れている。
失われてなくなってしまったもの、それでも確かにいま私の一部になっているものへの愛惜で溢れていて、心がいくつあっても足りないほどだ。

別れは、小さくとも大きくとも、どれもないがしろにはできない。またすぐ会える人と握手を交わすような気持ちでいればいいのかもしれない。 ― 本文 p167「握手」より-

久子さんが描く別れは、じめじめとはしていない。果実のように瑞々しくて、水のようにさらさらとしている。
このさらさらはきっと人を助ける。さらさらってほんとうにありがたいんだよ。私はそれを泣きながらじめじめと訴えることならいくらでもできる。

久子さんはさまざまな別れ(分かれ)のみぎわに立っている。それはときには生と死のみぎわであり、異郷と故郷のみぎわであり、過去と現在のみぎわである。今日も久子さんは、橙書店のカウンターに立って、ある人や猫の死を悼み、そして熊本に帰ってきた人におかえりと声をかける。

想像力のなさは、知らぬうちに人に刃を向けることがある。だから、わが身に置き換えて考えてみようとするが、人の気持ちなどそう簡単にわかるものではない。想像力だけではいつでも足りない。 ―本文p67「それぞれの視界」より-

みぎわに立つということは、必ずしも誰かの問題を解決したり、人の世界を調和させたりすることではない。いつも足りないことをかみしめながら、ただ、そこにいるだけである。

それでも、カウンターに立っている久子さんを見て、今日も自らの存在の輪郭を確かめ、平衡を取り戻す人がいる。その手ごたえによって生存していける人がいる。

みぎわに立つということは、そこに意義のようなものを見つけようとすると、大切なものがとたんに雲散霧消してしまうようなはかなさをもっている。

みぎわに立つことは、意味の手前で佇むことであり、風や光が気持ちいいのと同じことであり、それは私たちと世界のあわい(間)を満たす何かなのだろう。それにしても、この本の豊田直子さんの装画は、みぎわ(汀・渚・水際)の美しさがそのまま溢れ出たようで、本当に美しいですね。

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とらきつねで好評取扱中のアルテリの発行人でもある田尻久子さんの『みぎわに立って』は、現在、とらきつねで販売しています。版元の里山社から届いた「みぎわ新聞」(鹿子裕文さんのコメントがいい)、そして、田尻久子さんの既刊『猫はしっぽでしゃべる』(ナナロク社)とともに展開中です。



・・・

田尻久子さんがカウンターに立つ「橙書店」は、村上春樹がエッセイで書いた看板猫のしらたまくんでも知られる熊本の書店。

昨年は高校生たちと橙書店を訪れ、本人たちが選んだ本をその場でプレゼントしました。
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高校生たち、この日に選んだ本、もう読んだでしょうか。まだ読んでない人もいるんじゃないかな。
でも、本はいつでもいつまでもみんなを待っているから、大丈夫だよ。


by terakoyanet | 2019-05-16 02:39 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)

『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』(くどうれいん著)

3月に植本一子と銀座のアートブックフェアに行った。そのときに彼女が『絶対これ好きだよ』と教えてくれたのがこの本『わたしを空腹にしないほうがいい』。その場で買って、福岡に帰ってきて読んで、ふーむ、すごい、なるほどー、うーん、やばいねー、と一晩で読み切った。


くどうれいんは1994年生まれの盛岡の歌人。

『わたしを空腹にしないほうがいい』は、本のあるところajiroさんで紹介されていたからタイトルだけは知っていた。

秀逸なタイトルから類推できるとおり、彼女は言葉択びが抜群にうまい。21才のくどうれいんが書いたこの日記エッセイには、日毎タイトル代わりに俳句が添えられているのだけど、それが抜群にいい。俳句とは言葉択びこそ胆なのだ(←これも俳句ね)と思わず唸らされる言葉というピースの組み合わせの妙。難しい言葉なんてひとつも使わなくても、こんなにおかしみと哀しみを軽妙に言葉に乗せることできるんだね。感心してしまう。

この本には幸せな料理がたくさん出てくる。その度に、ああ、やっぱり真似できないなと思う。だって、彼女みたいに私は食べ物に興味がないから。目の前の作業に没頭して2・3日食べ物を抜くのも厭わない人間だから、私には彼女のような文章は絶対に書けないなと思う。

多用される擬音語、擬態語を含む副詞の使い方に若さを感じてドキっとする。というより、彼女の言葉そのものが、全体に副詞っぽい。この本は副詞で書かれた本なのだと思う。決して形容詞ではなくて。(鳥羽)



さあ、お皿を洗わなければ。明日も明後日も、この先もずっと、わたしがわたしを空腹にしないように。(6月30日の日記より)



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『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』くどうれいん (BOOKNERD)
とらきつねにたくさん入荷しています。


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by terakoyanet | 2019-05-14 02:57 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)

辻山良雄さん『ことばの生まれる景色』お話し会 補遺

3月19日に天神の本のあるところajiroさんにて辻山良雄さんの『ことばの生まれる景色』の出版イベントが開催され、私も聞き手として参加しました。

後で知ったのですが、保護者さまにもご参加いただいていたり、(あるお父さまは駆けつけようとしたけれど間に合わなかったなど)気にかけてくださった方がいたことに感謝しています。


イベントの次の日に、Twitterで

昨日、ajiroで辻山さんが隣で話してくださったことを思い出すと、胸の深いところがじんとする。うまく言えないけれども、人の実存が、これほど心を揺さぶるということに戸惑っている。ことばに替え難いささやかな感覚そのものが人柄であり、つまりは人である、このことを知るたよりなさと確かさ。

とつぶやいていますが、この感覚は、5日経ったいまも変わらず、むしろ深まっています。


当日時間がなくて話せなかったけど、辻山さんともう少しだけ深めてみたかったことを、忘れないうちに書き出しておこうと思います。


<人間と自然について>
石牟礼道子の作品を読むと、うたや詩が、自然と人間との交わりの中にあった時代が、ついこの前まであったことがわかる。
そして、柳田国男や深沢七郎らの作品を読むと、いかに現代は「闇の力をとどめておく物語が決定的に不足」しているかということを痛感させられる。
私たちは、宮沢賢治が描いた、自然と人間の環から切り離された商品経済に毒された人間であり、『モモ』に描かれた、時間を節約しようとして人間らしさを失った「灰色の男たち」なのだろうか。人間が土地から切り離されて失ったものについて、そして私たちがいまもうたや詩を通して感じることができる自然との交わりについて、辻山さんと話してみたかった。


<弱さと明るさについて>
「庄野潤三は自らの世界にある小さなものたちを、その弱さごと愛した」(p208)
『ことばの生まれる景色』の中では、さまざまな人間の弱さが描かれた作品とことばが紹介されている。しかし、それだけではなく、弱さや不器用さから、意図せずこぼれる明るさのようなものを辻山さんは掬い取ろうとしているように思える。(太宰治『津軽』に表出しているのは、まさにそういった類いの明るさではないか。Titleの写真を撮った斎藤陽通さんの写真にも、暗がりが開けたときの明るさのようなものがある。)『ホテル・ニューハンプシャー』の中には「人生をあまり深刻ではなく生きるということは、骨の折れる仕事だし、偉大な芸術なのだよ。」という台詞もあり、辻山さんが選んだ本には、そういう明暗の強度が感じられるものが多い。このことについて、辻山さんのことばを聞きたかった。


<ユーモアについて>
「泣きながら笑う」しかない事態(まさに『へろへろ』[鹿子裕文] 的世界)
=「二つの感情を同時に生きることで私たちは正気を保っている」
こういったユーモアについて、辻山さんといっしょに話を深めてみたかった。
(*この点に関連する内容をajiroの藤枝さんが最後に感想を言われた。)


<迷いについて>
『ことばの生まれる景色』の中で最も印象に残った言葉は、「すぐ近くにありながら距離のある人生に対して、どのようにふるまうべきなのか、いつも迷いながら生きている」(p213) この「迷い」について話を深めてみたかった。


<笑う・笑われるについて>
山之口獏の詩から「人を笑うくらいなら、自分が人から笑われたほうがいい」を読み取った辻山さん。(この本では他にも深沢七郎や尾崎放哉など、思わずヒヤッとするような批評性の鋭い作家が登場する。)「人を笑う」のも「人から笑われる」のも危ういこと。このことについて話を深めてみたかった。

・・・

『ことばの生まれる景色』(辻山良雄さん/ナナロク社)は、生涯の本に出会うために、ぜひ手元に1冊置いておきたい本です。

本のあるところajiroで開催中の『ことばの生まれる景色』nakaban原画展は本日まで。


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(画像は@aoihon76からお借りしました)


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by terakoyanet | 2019-03-24 09:07 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

本日のとらきつね(唐人町寺子屋18周年・とらきつね4周年)

毎年3月21日は周年記念日のため、一部の授業を除き、講義のお休みをいただいています。
本日で唐人町寺子屋は18周年、とらきつねは4周年となります。
教室を開いた大学院生時代から、17も歳を取ったのかと思うととても不思議な気持ちになります。

今年はバタバタとしていて恒例の春うららマーケットを開催することができなかったのですが、それでも今日は特別なオープン日として、とらきつねにて皆さんをお待ちしています。

◎本日のオープン時間 15:00~20:00

◎宗像堂さんの焼き菓子販売新作の酵母ブラウニーと、カトルカール2種を限定販売いたします。
(パンの販売はありません。お買い上げの方には宗像堂さん販売の年間スケジュールをお渡しします。)

◎うらきつね プレオープン
こちらでは初めてお伝えしますが、4月13日(土)より、土日限定でとらきつねの奥を古書を中心に取り扱う「うらきつね」としてオープンさせます。(土日の自習室利用はこれまでどおり2Fまたは7Fで可能です。)うらきつねって悪そうな名前ですね。
机に座ってゆっくりくつろいでもらいながら、本を読むことが可能になります。
本日は1日限定のプレオープン。値札さえまったくついていない古書たち。たぶん1,000冊以上はあると思います。
その場でお客さんが棚から持ってきてくださった古書に鳥羽が値をつけるという斬新なスタイルで皆さまをお待ちしています。
参考書・教育書なども少しあります。マンガは名作揃いです。気軽にお立ち寄りください。

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by terakoyanet | 2019-03-21 12:01 | とらきつね | Trackback | Comments(0)

そのときあなたは、どう感じたのか。

今夜、イベントに出るため『ことばの生まれる景色』(辻山良雄/nakaban)を読み返しています。この本については少し前に文章を書きました

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本というのは、2回、3回と読むと、明らかに読みが変化してくるので面白いですね。すでにリンクの文章を書いたときとは随分読みが変化したことを感じます。本との相互理解のようなものが深まっていく体験というのは、他に替え難いものです。

この本の中で、永井宏さんの『夏の仕事』が紹介されているのですが、永井さんにまつわるエピソードとして辻山さんは次のように書いています。

美術作家であった永井は、自分の周りに集まってくる人に対し「とにかく気持ちに正直になって、何か作ってみろ」と、いつもけしかけていたという。その態度は、多少美術の心得がある人だけに限らず、何も作ったことのない人に対しても常に同じであった。「そのときあなたは、どう感じたのか。」そうした個人の実感を、永井は何より大切にしたのだろう。
-『ことばの生まれる景色』辻山良雄/nakaban (ナナロク社)

これは、毎日でも自分自身に言い聞かせていきたいと思う言葉です。
何かを作らなければ生きていくことさえできなかった時代から私たちは遠く離れて、すっかり忘れてしまっているけれど、本来、誰でもやり続けさえすれば、何かを作ることができるし、そこに必要なものは正直さというシンプルなものくらいしかないのだろうと思います。「そのときあなたは、どう感じたのか。」これに集中することが、良い仕事をすることなのだと、私は信じています。

私が中学生を指導する際の授業(国・数・社・理・英 全てを教えています)では、明確な時間割というものを設けずに、生徒たちのその日の表情・様子・理解度を見て、その都度何をやるかということを変化させます。今日の数学はいまがピークでこれ以上進むと理解度が下がるなと思えば、躊躇なく他の科目の指導にその場の判断で切り替えるのです。子どもたちの反応が想定と違えば、せっかく必死に作成したプリントをそのまま捨ててしまうことも厭いません。授業というのはライブです。子どもたちを見て、自分がどう感じたのかということに信頼を置いた上で、その都度に判断を続けていくのです。ですから、その授業には「時間合わせのための時間」というものが存在しません。1科目1限あたり50分というような時間の区切りがはじめから決まっていると、どうしても「時間合わせ」のために無味な時間が生じてしまうのです。時間割を設けずとも、全体として辻褄があえばよいわけで、そういう授業を最初の年から17年間続けてきました。だから、常に「いま」に反応しながら「あなたは、どう感じたのか」を頼りに仕事をしていくことが、仕事から裏切られない唯一の方法だと私は思っています。

本の話から随分逸れてしまった気がします。
明日は辻山さんと「正直になって」話がしたいです。どこか自分自身に深い不安・自身のなさのようなものを抱えている私にとって、それはとても難しいことなのですが。辻山さんという正直な人を裏切りたくないです。

今晩のトークは こちらで30秒ほどで予約できますので、話を聞いてみたいなあという方はぜひ(僅かな勇気を持って)気軽にお越しください。会場(場所は天神)の「本のあるところajiro」で展示中のnakabanさんの原画は、いかにもajiroさんらしいセレクトで、見応えありです。また、全国の本屋と、本物の読書家たち、作家たちから注目され、愛される「本屋Title」を運営する辻山さんは、経営者としても、読書家としても、そして作家としても、語るべきものを持っている方です。ぜひご参加ください。



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by terakoyanet | 2019-03-19 01:52 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)