とらきつね一般書ベストセラー(1/8-2/18)
(初) 1モヤモヤの正体 迷惑とワガママの呪いを解く 尹雄大 ミシマ社
(9) 2 ありのままがあるところ 福森伸 晶文社
(初) 3 なんで僕に聞くんだろう。幡野広志 幻冬舎
(初) 4 校正者の日記 牟田都子 栞社
(再) 5 悲しみの秘儀 若松英輔 ナナロク社/文春文庫
(初) 6 ブードゥーラウンジ 鹿子裕文 ナナロク社
(4) 7 親子の手帖 鳥羽和久 鳥影社
(初) 8 なんだろう なんだろう ヨシタケシンスケ 光村図書出版
(2) 9 まとまらない人 坂口恭平 リトルモア
(8) 10 橙書店にて 田尻久子 晶文社


今年最初のランキングは、尹雄大さんの新刊『モヤモヤの正体』が首位。3位は幡野広志さんの話題作、4位は1日(というか数分)で完売してしまった牟田都子さんの日記が初登場。5位は超ロングセラー『悲しみの秘儀』となりました。鹿子さんの『ブードゥーラウンジ』も登場で当店らしいリストに。

このリストに登場する作家の方々のうち、複数の方が近日中にとらきつねにいらっしゃいますので、ぜひお楽しみに。


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by terakoyanet | 2020-02-20 10:28 | とらきつね | Trackback | Comments(0)

現在、全国の書店で話題の1月末にミシマ社から刊行されたばかりの本、『モヤモヤの正体 迷惑とワガママの呪いを解く』の作者、尹雄大(ゆん・うんで)さんを来たる2月11日(火祝)にお呼びしてお話を伺います。

☆速報 2月7日に、わずか発売1週間で『モヤモヤの正体 迷惑とワガママの呪いを解く』の増刷が決定しました!おめでとうございます!


「人に迷惑だけはかけなさんなよ」そう大人に言われ続けて育った私たち。
そんな私たちは、他人をすぐに「迷惑」だとラベリングするし、自分が人に迷惑をかける行為をそれを「ワガママ」だからだと自制します。
尹さんは、私たちが迷惑やワガママを許せない心理の背後にある「怒り」の感情について、葛藤と克服の物語について迫っていきます。
尹さんは、私たちがほとんど無意識のうちに手中にしている判断基準や価値観について鋭くメスを入れるので、そういう価値基準の中で生きてきた私たちの心の中には抵抗や煩悶、憤りが生じることもあるかもしれません。自分の大切なものにケチをつけられたような感情が生まれる人もいるかもしれません。
でも、そういう日ごろは見ないようにしている自分の弱さがあぶり出されることでようやく腑に落ちることもあると思います。約2年ぶりの尹さんとの時間が良いものになりますように。


〇尹雄大トーク『モヤモヤの正体 迷惑とワガママの呪いを解く』刊行記念トーク福岡 出演:尹雄大 進行:鳥羽和久

◇日時 2月11日(火祝)15:00~17:00
◇チケット販売:とらきつねBASE https://torakitsune8.thebase.in/:またはとらきつね店頭にて
◇会費 2,700円(学生1,000円)
※高校生以下無料、お子様連れ可能ですが託児施設等はございません
※学生さんのみ電話・メールでの予約が可能です。(学生さんのみ当日の支払い可。一般の方々は事前にチケットをご購入下さい。)
※チケットレス制です。ご予約の方に予約番号をメールでお知らせしますので、当日受付にて予約番号をお申し付けください。(チケットはございません)
※質疑応答あり
※トーク終了後に尹雄大さんの書籍販売、サイン会あり※キャンセル不可(払い戻しはできません)

◇プロフィール尹雄大(ゆん・うんで)
1970年神戸市生まれ。物書き。政財界人やアスリート、アーティストなど約1000人に取材し、その経験と様々な武術を稽古した体験をもとに身体論を展開している。主な著書に『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)、『増補新版 FLOW 韓氏意拳の哲学』(晶文社)、『脇道にそれる』(春秋社)など。



・・・・・・・

尹雄大『モヤモヤの正体 迷惑とワガママの呪いを解く』(ミシマ社)、たくさん気になるフレーズがあります。少し書き出してみたいと思います。


どこかに正解があるはずだと、手にしたものをすぐさま放り投げるのではなく、摑んだ失敗や間違いを余すことなく体験し、それを徹底して味わってみる。それがこの世界のわけのわからなさを「わけのわからないもの」としてまるごと理解するたったひとつの道なのではないでしょうか。

言葉を覚えたての幼子が飽きもせず「なぜ?」を連発するのはどうしてでしょうか。それはおそらく答えを欲するのではなく、ただ問うているからでしょう。

「正しくあらなければならない」という考えは葛藤の存在を示しています。「そうでなければいけない」と言えば言うほど明らかになるのは、当人が決して現状に満足していない様子です。

正義を問うことが対立を生むのだとしても、それのいったい何が問題なのでしょうか。

自信が持てないのは何かが欠如しているからではなく、「自信がない」という設定を自らに許しているからではないか、ということでした。

「迷惑かもしれない」という配慮は、他者への気遣いでも繊細さでもなく、客観性の名の下に相手をコントロールしたいという欲望の表れだとは言えないでしょうか。

意識は過去に囚われ、これまでのことを後悔しても決して取り戻せない。一歩も前に進まない。焦りは募り、変わりたいという思いは空転する。絶望感でいっぱいになります。ですが、身体はそうなっていません。毎日を新たに生きたがっています。いや増す絶望感をよそに、身体は生に向けて歩みを続けています。

自分が無視してきた体感にフォーカスしていくと、長年かけて育てた感性が実は社会に合わせていたことや、わかって欲しかったけど理解されなかった経験があったのだと気づきます。

いろんな方の話を聞いて思うのは、弱さやダメなところがあるから問題なのではなく、それらを認められない、認めるわけにはいかないというその人の切実さがつまずきになっている、ということです。

わからなさを知ろうとすることがわかるということであり、共感に投資することが自己の理解の道のりではないはずです。


少しだけ抜き出そうとしたら、たくさんに。。。

著者は1章において「複雑な世の中であるからこそ白黒つけられないところに留まる足腰の強さはあったほうがいい」と言います。この本は、そういった足腰の粘り強さを頭で理解する以上に体得していくこと、「覚束ない足取りでも」(「おわりに」より) それを留まることなく続けていくことを呼びかけるために書かれたものだと感じました。


「人に迷惑だけはかけなさんなよ」そう大人に言われ続けて育った私たち。そんな私たちは、他人をすぐに「迷惑」だとラベリングするし、自分が人に迷惑をかける行為をそれを「ワガママ」だからだと自制します。そのような迷惑やワガママを許せない心理の背後にある「怒り」の感情、そして葛藤と克服の物語を通して、私たちが何を切実に手に入れようとしてきたのか、この本は詳らかにしていきます。


かつて作家の吉本ばななさんが尹さんの文章のことを次のように言いました。


この人の描く言葉は

他のだれとも違う彼だけの速度。

だから信用できるしほっとする。


そのころ(5年前)以上に今回のこの本の尹さんの文章は、余分なものが削ぎ落されていると感じます。理屈だけで読もうとすると、うまく読めなんじゃないかという気もします。読む方も試されているなと感じるのです。


尹さんの2018年の著書『脇道にそれる』(春秋社)の中にあった「私は現実ではなく、現実らしさを望んでいたのだった」という一節を思い出します。共感という道筋で他者の価値観に依存し、私を見つけようとしたところで、その私には根が全くなく、決して安心できない。それでも、私たちは「わかるよ」と頷きあって慰め合う。尹さんはそのことを「現実らしさ」と呼び、私たちが「現実らしさ」から抜け出すために、自分自身に立ち返ることを呼びかけます。


さて、いよいよ尹雄大さんのとらきつねでのトークイベントの開催が4日後となりました。

尹さんといっしょに本の内容について(上にあげたフレーズについても)いろいろと話してみたいと思います。参加者の皆さまには、お話しを聞きながら自分が何を感じるか、その内観を味わっていただきたいと思います。

ご意見や感想、質問などを伺う時間やサイン会もありますのでぜひお楽しみください。


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by terakoyanet | 2020-02-07 02:41 | とらきつね | Trackback | Comments(0)

昨日、哲学者(今年は小説家として芥川賞の候補にノミネートした)の千葉雅也さんが、勉強についての核心をつくツイートを連発しました。(千葉さんは『勉強の哲学』という読むと脳天がクラクラするような刺激的な本も出しているので、この記事が気になった方はそちらもチェックすることをお勧めします。)








勉強にのめり込み、勉強によって自分を作り替えた経験がある人なら、千葉さんのこのツイート、深く肯かれるのではないでしょうか。

権威主義と言うといかにもいま評判が悪い言葉です。でも、勉強というのは、目の前の絶対的知に対して、己の身を投げうつようなそんな場面があって初めて何かを把捉し次のステップに進めるのだと思います。

その権威はできるだけ薄っぺらくて張りぼてではないものであることが望ましいのですが、とにかく、「お前は何もわかっていないのだ」と囁く目の前の他者に徹底的に追従して、私もあなたのようにわかるようになりたい、と希求する、それを続けることが勉強をするということであり、何かを勉強し尽くした人たちというのは、その感覚をきっと大切にしていると思います。

修猷館高校に進学した生徒たちが、進学説明会の際に後輩たちに向けて「鳥羽先生を信じてついていってください」という言葉を伝えてくれることが度々あるのですが、彼らは合格に向けて何が大切かということをやはりつかんでいるなと思います。
私自身、信じてもらう存在としては、あまりに未熟な指導者ですが、特に修猷館など上位校を目指す生徒たちにとって、指導者の頭の中をコピーするくらいに徹底的に覚えること、解析度を高め理解し尽くすこと、思考回路さえも真似すること、そういったことがとても大切なのです。その点、親や友人、他の塾の情報などに振り回されて、ああでもない、こうでもないとじたばたしてしまうタイプの子はほんとうに伸びません。勉強をするというのは信じる行為に近い。信じ続けて突き抜けた向こう側に、自分独自の思考の自由があります。

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by terakoyanet | 2020-01-21 03:34 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

とらきつね一般書ランキング(11/22-12/29)


とらきつねより、昨年最後の書籍ランキングです。


(初)1うれしい生活 植本一子 河出書房新社
(1)2まとまらない人 坂口恭平 リトルモア
(初)3「いいんだよ」は魔法の言葉 立花高等学校 梓書院
(9)4 親子の手帖 鳥羽和久 鳥影社
(再)5 自殺会議 末井昭 朝日出版社
(初)6 不登校になって伸びた7つの能力 吉田晃子 星山海琳 廣済堂出版
(再)7 自殺 末井昭 朝日出版社
(初)8 橙書店にて 田尻久子 晶文社
(初)9 ありのままがあるところ 福森伸 晶文社
(初)10 小さな天才の育て方・育ち方 吉田晃子 星山海琳 セルバ出版



満席のイベントが3つも行われ、たくさんの方々で賑わったとらきつね。これまでで最も多くの本が皆さまのもとに届いた月となりました。

そんな中、トップを飾ったのは植本一子さんの初の写真集『うれしい生活』。ほんとうにすばらしいので一人でも多くの方に届きますように。


田尻久子さんは当店ですごく売れるのですが、今回は売れるペースが過去でいちばん早いです。しょうぶ学園福森さんの『ありのままがあるところ』も初登場。話題作目白押しです。


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1位の植本一子さん写真集『うれしい生活』については、別のところでレビューを書きましたので以下に転載します。

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植本一子 うれしい生活(河出書房新社)

写真を撮ることを「世界との一定の関係に自分を置くこと」と言ったのはスーザン・ソンタグ(『写真論』1987年)だが、『うれしい生活』はまさに、植本一子という一人の人間がどのように世界と関係を結んできたかを記録した写真集である。

被写体に対しての愛を感じる写真というのは美しい。でも、愛に耽溺する余り、愛に対しての驕りを感じさせる写真は、とたんに醜悪になる。

植本一子が撮る人たちの多くは笑っていない。
彼女の撮る写真は、どこか被写体と一定の距離感が保たれていて、愛があるのに醒めている。彼女は愛に耽溺しないし驕らない。私はそこに彼女の作家性を強烈に感じる。

自然光のみで撮影するスタジオ「天然スタジオ」を運営する彼女の写真は、やはり光が美しい。(彼女のことを"光の魔術師・下北のフェルメール"と呼んでいる人がいたな。)この光は彼女の潔い覚悟の現れである。光の前では何もごまかせない。光は全てを衆目に晒す。

この写真集を何度も繰り返し見てしまうのは、彼女の世界への希求がそのままに映し出されているからだ。「たとえ一緒にいられなくても、遠くでもいいから、どうか、わたしを好きなまんまでいて。」そんな声が聞こえてくるようで、胸がどうしようもなく締めつけられる。

しかし、夫である石田さん(ECD)の視線は、そういった彼女の作家性を食い破ってしまう。ECDはこの写真集における異物である。彼の透徹した個(孤)の眼差しは、私たちの奇妙な生という営みを睨み返す。ECDはこの写真の途中から痩せていき、ついには死に至る。彼の死は、この写真集に永遠性を備えた命を与えた。なんてことだろうと思う。

たとえ一緒にいられなくても、あなたに会えたことがうれしい。私たちは最も身近な家族とでさえ、いつまでもいっしょにはいられない。子どもは瞬く間に離れていってしまうし、私もあなたも、もしかしたら明日死んでしまうかもしれない。

それでも、たったいまあなたといるという現実がうれしいのだ。私たちには「いま」しかなく、できることは、いまといまとを大切に繋いでいくことだけだ。この写真集は、うれしい「いま」の光で溢れている。




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by terakoyanet | 2020-01-08 20:38 | とらきつね | Trackback | Comments(0)

今年もせまい空間にたくさんのディープなゲストが来てくださり、皆さまとめくるめく時間を過ごすことができました。
ご参加いただいたすべての皆さま、ありがとうございました。

今年もありがとうございました。_d0116009_01362321.jpg

1枚目左上から
宇野常寛さん Planets vol.10 刊行記念 宇野常寛ゼミ 遅いインターネット計画(福岡開催)
若松英輔さん 若松英輔トーク 悲しみが言葉をつむぐとき(福岡開催)
鳥羽和久 & 高校生たち(仁藤匠・永戸基就・竹内鈴) 平成のこどもたち(おはなし:鳥羽和久)
石川直樹さん  石川直樹 20年の旅 ~新刊3冊刊行記念トーク 福岡~
冬にわかれて & 坂口恭平 冬にわかれて 福岡公演 ゲスト 坂口恭平
冬にわかれて(寺尾紗穂、伊賀航、あだち麗三郎 ) 冬にわかれて 福岡公演 ゲスト 坂口恭平
植本一子さん・武田砂鉄さん 武田砂鉄トーク「令和日本の気配と、違和感の居場所」/ 植本一子トーク「『台風一過』と、新しい家族のかたち」
坂口恭平さん・石川直樹さん 石川直樹 フィールドワーク2019 / 坂口恭平 死ぬまで作り続けたい


今年もありがとうございました。_d0116009_01363107.jpg


2枚目左上から
坂口恭平さん 冬にわかれて 福岡公演 ゲスト 坂口恭平
吉田晃子さん・星山海琳さん 親と子会議『不登校になって伸びた7つの能力』出版記念トーク福岡
遊びに来てくださった 田尻久子さん、鹿子裕文さん
齋藤眞人さん・鳥羽和久 齋藤眞人×鳥羽和久クロストーク「いいんだよ」は魔法の言葉ー君は君のままでいいー刊行記念
坂口恭平さん、末井昭さん 自殺会議・福岡 坂口恭平×末井昭トーク
寺尾紗穂さん、坂口恭平さん 寺尾紗穂+鳥羽和久トーク 「今、誰が悲哀を抱えながらかっこ悪くも勇猛に吶喊しうるのだろう」
島崎智子さん 悲しみは誰のもの 話し手 島崎智子 聞き手 鳥羽和久
中岡祐介さん 本をつくり、届けること ~タラブックスと三輪舎の本づくり



来年もマイペースでのイベント開催になりますが、どうぞ宜しくお願いいたします!

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by terakoyanet | 2019-12-29 01:52 | とらきつね | Trackback | Comments(0)

昨日、SNS等で発表させていただいた「とらきつね ブック大賞2019」。

こちらのブログでその結果を発表させていただきます。


大賞
『かたちは思考する: 芸術制作の分析』 平倉圭 東京大学出版会


筆者は伊藤亜紗さんとの対談の中で「僕は言葉に対する信頼が低いんです」と発言しているが、『かたちは思考する』は、言葉に対する信頼が低いが故に、出来合いの言葉ではなく、形象を見ることを通し て内的に捻り出された言葉だけを駆使して書かれた芸術論。 凄絶な強度を持つ具体的な分析の数々に圧倒され、平伏するより他にないような苦しい感動が押し寄せる。緻密な分析は、私たちに還元主義的な解釈の正解を用意するのではない。私たちの身体は、この本を通して形象に巻き込まれ震動する。その魅惑を追体験できるだけでもこの本は圧倒的に読む意味がある。


とらきつねはとても小さな本屋ですが、この本を書いた平倉圭さんの勇気ある仕事が、一人でも多くの方に知られますように。

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著者の平倉圭さんからコメントをいただきました。こちらこそコメントいただき光栄に思いました。

言葉にするのが難しいことを徹底的に言葉にしてくださった熱さに読後しばらく放心しました。本当にありがとうございました。





そして、とらきつねブック大賞2019のセールス部門とセレクション部門。

セールス部門は過去1年の当店販売高上位10冊、セレクション部門は過去1年に出た本の中で特におすすめしたい本を10冊選んだもの(ただしセールス部門との作品の重複を避けています)です。

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こちらも4名の著者や編集者の方々からコメントやメッセージをいただきました。ありがとうございます。

今年もたくさんのいい本が世に出ました。こうしてご紹介することで、一人でも多くの方々に手に取っていただけることを念願しています。年末年始の本選びの参考にぜひしていただければ。


先日、中1の三者面談の際に、中学生が読むのにおすすめの本を紹介してもらえませんか? と2組の親御さんにご依頼いただいたのに、まだ紹介できておらずすみません。時間があるときに記事にさせていただきます。たくさん候補があるんです。。




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by terakoyanet | 2019-12-19 15:29 | とらきつね | Trackback | Comments(0)

坂口恭平とオノラリア

今日はいよいよ坂口恭平さん、末井昭さんのトークイベント当日です。

以下は、坂口恭平さんの「いのっちの電話」は、神から「召命」を受けた中世の人たちと同じ働き方なんです、という話。

・・・

一昨日に高校生たちと読んだ村上陽一郎さんの『科学者とは何か』は、医師や法曹家(弁護士)がお金をもらって仕事をする意味について、その根っこを再考することができる面白い文章だった。


西洋中世における医師や法曹家の仕事は、木こりやパン焼き、肉屋などの一般的な職業とは、本質的に異なるものだったそうだ。それは、医師や法曹家の仕事が単に「知的」な職業だからというからではなく、彼らだけが神の「召命」によってその仕事をしていたからである。


何故なら、そうした仕事は、この世で「苦しんでいる人々」に、救いの手、助けの手を差し伸べるものだからである。身体の病いに苦しみ、精神の不安に苦しみ、そして社会的な正義を犯されて苦しんでいる人々に対して、神は、特別に才能を与え、自分の意図を実現する手先になってくれるべき人々を用意し、それらの人々の手を借りて、助けと慰め、正しさと補いとを、与えようとした。したがって、神は、彼らに常に呼びかけているのである。「苦しんでいる人々のために、(私があなたに与えた)その才能を使いませんか?」と。
『科学者とは何か』村上陽一郎


西洋中世における医師や法曹家の仕事は、聖職者たちと同様に、神の「召命」に従って人を救うことであり、神に対する責任を負って働くことを是としていた。一方で、現在の医師や法曹家(弁護士など)は単なる世俗的なエリートの職業となった。だが、苦しんでいる人間を助けようとする点は今も昔も変わらないので、現在の医師や法曹家たちは、神ではなく、患者や依頼人に対して直接に信義的、道義的責任を負うようになる。


現在、私たちは医師や弁護士に規定の金額を支払うことで契約関係を結び、その対価として彼らから治療やサービスを受ける。(だからこそ現在の医師や弁護士には規定の金を払ってくれた契約者に対して責任が生じるのだ。)しかしこの方法は、神の召命に基づいて仕事をしていた時代の医師や法曹家には馴染まない。だから、翻って西洋中世のころの医師らの報酬について見てみると、そこには「オノラリア」という習慣があった。


医師が患家を訪れる。医師は背中に口の開いた袋を背負っている。診療・治療が終わって、「ではお大事に」と患者もしくはその家族に背を向ける。袋もそちらを向く。患家の人は、そこへいくばくかのお金を入れる。次々と患家を周っている間に、医師には、誰が幾ら入れてくれたか判らなくなってしまう。
『科学者とは何か』村上陽一郎


「オノラリア」は医師に対する「報酬」として、神との誓約に基づいてなされる仕事への尊敬と名誉の承認という意味合いを帯びていた。だから、その金額は払う側の医師に任せられるという特殊な性格を持っており、だから例えば「袋に手を入れて、払うふりをして払わない」という今では倫理的に正しくないと思われる行為さえも、それが尊敬と名誉の承認という振る舞いでさえあれば、それは何の問題もないのである。


この話を読んで真っ先に思い出したのが、今日とらきつねにゲストでやってくる坂口恭平さんの「いのっちの電話」である。彼は8年もの間、希死念慮のある人たちからの電話を無償で受け続けている。彼は自分の仕事が、お金という対価に対するサービスを履行するという形になじまないことを知っていて(それどころか彼は「金を使うと不幸になる」とか「基本的に金稼ぎしてるやつは全員怪しむようにねw」とか発言している)自分がどれだけの仕事をしたかということを、実際にいくらもらったかということと関係なく自分の帳簿につけている。これはまさに西洋中世の「オノラリア」の精神と同じであり、きっと当時の医師たちは、袋に思ったほどお金が入っていなかったとしても、それを不服と思うことはなかったのではないか。


坂口さんへの長年の謎として「死にたい人たちと話していて自分が擦り減ってしまわないのか、そしてそれは割に合う仕事なのか」というものがあったのだが、この問いは「オノラリア」によって説明が可能である。

彼が希死念慮のある何千人もの人たちと関わって擦り減らないのは、彼が自分は特別な仕事をしているという自覚を持っていて、だから戦略的に相談者と直接の契約を結ばないという形を選び取っているからだ。(直感的な感覚をそのまま戦略に変えることができるのが彼の確かな賢さだと思う。)じゃあ、彼が誰と契約を結んでいるかと言えば、それは「神」ではないだろうが「今はフリードリヒ・ニーチェにむかっているんだ」(『まとまらない人』)と言っているくらいだから、神とは全く異なる、それでいて神の似姿をした何かなのだろう。

「割に合う仕事なのか」という問いについては、彼にとってお金は報酬にならず、自らの召命を果たしているという自覚がある限りは、周囲の僅かな「仕事への尊敬と名誉の承認」があればそれが報酬なのだから、割に合わないということはない、という回答になると思う。(だから、私たちは「オノラリア」としての賛辞と承認を彼にもっともっと与えたほうがいいと思う。報酬が足りないとき、坂口さんは自分で自分をほめているので、それで事足りている可能性もあるが。)


ということで、「坂口恭平とオノラリア」のお話は以上です。今日のトークが楽しみです。



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by terakoyanet | 2019-12-11 15:12 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

とらきつね一般書ランキング(10/4-11/21)

(初)1 まとまらない人 坂口恭平 リトルモア
(再)2 台風一過 植本一子 河出書房新社
(初)3 GasherbrumⅡ 石川直樹 SLANT
(再)4 日本の気配 武田砂鉄 晶文社
(初)5 夏物語 川上未映子 文藝春秋
(再)6 往復書簡 無目的な思索の応答 又吉直樹・武田砂鉄 朝日出版社
(初)7 増補新版 いま生きているという冒険 石川直樹 新曜社
(初)8 家族最初の日 植本一子 ちくま文庫
(3)9 親子の手帖 鳥羽和久 鳥影社
(初)10 在野研究ビギナーズ―勝手にはじめる研究生活 荒木優太他 明石書店

今月は一昨日発売になったばかりのいま話題の書、坂口恭平さん『まとまらない人』が初登場1位を獲得! 坂口さんをはじめ、とらきつねのイベントに登場した植本一子さん、石川直樹さん、武田砂鉄さんが上位を独占。その中で5位に毎日出版文化賞を獲得したばかりの川上未映子さんの『夏物語』がランクイン!会う人会う人におすすめしている甲斐がありました。




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by terakoyanet | 2019-11-21 23:58 | とらきつね | Trackback | Comments(0)

データ奴隷の時代に

AIが人類を超えるとされるシンギュラリティが、西暦2045年問題としてまことしやかに語られています。
でも、私は「超える」という言葉自体に恣意的で限定的な意味合いを感じています。シンギュラリティが起きるということを文字通りには信じていません。

しかし一方で、データを蓄積したAIが世界のありようを変えること自体は、間違いなく近未来に次々に起こってくるでしょう。
例えば、現在実用化が進められている乗用車の自動運転化が実現すると、ほとんどの道路渋滞が解消されることが予見されています。まず、交通事故が著しく減少します。そして、渋滞の原因の多くが、上り坂やトンネルで必要以上に減速するといった人間の認知行動の誤りに起因しているため、データを蓄積した乗用車の自動運転によって適切なスピード管理がなされれば、渋滞は極端に少なくなると考えられています。

このように、データを用いれば、人々の行動や意志決定、その誤りをある程度正確に予想できるため、それに従って人々の行動を適正化することが可能です。そして、このことを応用させれば、健康や貧困、環境などの人類全体の問題さえも解決できるようになるかもしれないと考えるのは、いまや決して極論ではありません。
こうして、データに基づいて人々の行動を変え、人類を導いていくことができることを前提にした具体的な動きが次々と出てくるのが、これからのAI社会の展望です。

しかしこの動きが進んでくると、「それらのデータ利用は果たして人類にとって幸せなことなのだろうか?」といった、倫理に関わる議論と検証が活発に行われるようになるでしょう。人が選択するより、データに基づく選択のほうが正しいという趨勢が強まれば、人は決断し、選択する必要がなくなっていきます。

この事態は、人々に「我々の生きる目的を奪うのか?」という抵抗をもたらすでしょう。だって、決断しなくてよい、選択しなくてよい、というのは、目的を達成するというミッションを自らの生きがいにしてきた人たちからすれば、耐えがたいことなのではないでしょうか。

イェール大の経済学者、成田悠輔さんは、フォーブス・ジャパンのインタビュー https://forbesjapan.com/articles/detail/26062 で、「目的を機械的に生み出すことができれば、決断し選択するための労力や時間を節約し、過去の選択に後悔して苦しむこともない。自分探しと自己責任の終わりなきアリ地獄を脱却できる。」と話します。これまでの世界は、人々が設定した「目的」を達成するためにデータ活用をしてきた。しかしこれからは、「目的」自体をデータ(AI)が発見してゆく未来が訪れると成田さんは語ります。彼はこの状態を「幸福なデータ奴隷」状態と呼び、目的さえも機械がデータから判断し選択すれば、人々は日常の小さな判断から解放され、真の幸福が訪れると言います。
「目的を機械的に生み出すことができれば、決断し選択するための労力や時間を節約し、過去の選択に後悔して苦しむこともない。自分探しと自己責任の終わりなきアリ地獄を脱却できる」と彼が言う「幸福な」未来は、何か不気味なものにも感じられます。でも私は、普段からゲーム的世界ですでに自足している子どもたちを見ながら、この未来は、あながち間違っていないのではないか、と考えるようになってきました。ビッグデータに支えられるような未来はおぞましい、人としての歴史が終わる、そう考える人は、もしかしたら単に自分自身が育った世界観以外を認めることができないだけなのかもしれません。

いまやデータが世の中を席捲しています。私たち自身はすでにデータの奴隷になっています。ネットでAmazonを開けば「あなたへのおすすめ」商品が表示され、コンビニに行けば「顧客の購買行動」として私的な買い物の情報がビッグデータに組み込まれる。インスタグラム(instagram)では#(ハッシュタグ)をつけることで、自ら進んでデータの素材になり、データを通して欲望される主体になることを願う。こうして私たちは、いまや自らがデータの素材であり、そしてデータの素材と化した他者を欲望して生きています。でも、大人たちは何を守ろうとしているのかそのことに自覚的であろうとしません。

もし私たち大人が、自分が育ってきた価値観に縛られて盲目になり、結果として無自覚な「不幸なデータ奴隷状態」に陥っているとすれば、初めからデータという便利な乗り物を乗りこなしてしまう新しい子どもたちは、「データ奴隷」というよりは「データの申し子」であり、データ世界の中でマインクラフトなど一からの創造を手掛けてゆく彼らは、眩しい存在にさえ感じられるのです。

私がいまこんな話をする気になったのは、世の中の現実がゲーム化、AI化してゆく流れをことさらに悲観的に語る言論が多く存在するからです。しかし、これらの流れは、倫理性を高次のものにしていくという人間の間断のない営みには決して逆行しないと私は考えています。時代が悪くなった、人はすぐにそう言いますが、良くなったところもたくさんあります。私たちの目の前には相も変わらず無限の可能性が広がっています。これは簡単には動かしようのないことです。

家族がよかっただの悪かっただの、いったい何を言っているのか。家族は永遠に変わらないし、変えればいいというものでもない。かといって、それが運命だなんておおげさに考える必要もない。ただ、その目の前の現象を確認することからしか私にはできないのだ。 坂口恭平『家族の哲学』毎日新聞出版

この文章での「家族」は、「時代」と置き換えても「人間」と置き換えてもよいでしょう。シンギュラリティによって世界が変わるわけではなく、人間が変わるわけでもないのに、私たちはいったい何を言っているのでしょうか。私には彼がそう言っているようにも聞こえます。

では、これからの私たちがもし次に向かうべき主体があるとするならば、それはどのような姿をしているのでしょうか。これについても坂口恭平さんは面白いことを書いています。

私は機械のように生きたい。機械のように誰とも共感などせず、喜びを分かちあったりせず、ただ観察し、検査を続けたい。可能性だけを見たい。可能性以外には目を向けたくない。そして、この行動自体に理路整然としたものを求められてもこちらは返す言葉がない。論理的に動こうとすると、社会が重く見える。勝手にやらせてもらうのが一番だ。
私の目をただ利用してくれ。
それ以外に私は何も求めていない。
はっきりと言おう。
この世界は可能性で満ちている。そこに意味など求めないかぎりは。
私は私の仕事だけを徹底して実践していく。それだけが喜びなのだ。それができればもう死んでもいいのである。統合された人間というようなものを想像することこそが罪なのだ。そんなものが存在していると理解したところで、誰が幸福になりえるのか。
幸福とは、あなたが動いているということだ。機能を持っていることだ。
機能さえあればいいではないか。統合した人間らしさというものを私は認めない。
人間はそういうものではない。植物を見ればそれがすぐにわかる。
人間を、何かの役に立たせる、などという妄想が作り出した社会という名の監獄からの目で見たくないのだ。それでいい、とすべてをよしとするような母性の視線で私は見守っていたい。  坂口恭平『家族の哲学』毎日新聞出版

宮沢賢治はかつて「私の幻燈はこれでおしまいであります。」(『やまなし』)と、自身をひとつの機械になぞらえました。その機械は、世界を写し出す機能を持っています。そしてその機械は、ひとつひとつの現象に、意味や答えを見出すことを退けます。それを象徴する言葉が「クラムボン」です。それは意味や答えによって統合を目指すのではなく、統合によって何かの役に立たせることを企図するのではなく、ただそうなっている、そのことをただ観察するための機械です。
機能しかない機械は、はじめからゲームに参入しません。ゲームのような仕掛けがなくても、それだけで植物のように自足しているのです。

はたしてこのような主体が実際に存在しているのでしょうか。私たちは仕掛けがなくては、企図がなくては、到底生きてはいけないのに。

でも私たちは、誰もが現象を写す「幻燈」を持っています。たとえいま「社会という名の監獄」に囚われていようと、私たちには身体があり、歌があります。そのことを忘れてしまわない限り、それらが幻燈となり、世界を写します。
耳を澄まして風の声を聞くだけで、世界はいつも偶然性にさらされていていることを知ります。世界は私が知っているものだけでできているのではない。そのことを実感し、謙虚になることができます。

・・・

坂口恭平さん、いよいよ明後日、写真家の石川直樹さんとともに、とらきつねにやってきます。(チケットはSOLD OUT)

新刊『まとまらない人』は副題「坂口恭平が語る坂口恭平」が示す通り、坂口恭平による坂口恭平の解説書であり、取り扱い説明書です。彼に耐性のない人はもしかしたら、何、自分語りしてるの?と思うかもしれません。でも、それは、そう思う人が自分自身に臭みを感じて言っているだけで、坂口恭平というフィクションを理解していないだけです。

『まとまらない人』の中の坂口恭平は、現象を写し出す「幻燈」として、ときに異界の入り口を窺う「子ども」になり、ときにあらゆる人を引き寄せてしまう「酋長」になります。彼の声が湧き水のように読む人たちを潤したとき、彼はいつの間にか私たちにとっての「環境」になります。これが彼の企図するところなんじゃないかと私は考えています。






by terakoyanet | 2019-11-18 06:08 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

現代思想11月号
反出生主義を考える「生まれてこないほうが良かった」という思想(青土社)


私が知る家庭にいわゆるひきこもりの男の子がいるのですが、その子は家庭内で逆上するとすぐに「生まれてこないほうが良かったんだー」「お前、生んだ責任を取れよー」とお母さんに絶叫するんです。その彼から話を聞いていると、ベネターの言うポリアンナ原理(悪に満ちた人生という真実を覆い隠すヴェール)によるまやかしによって、私たちはかりそめの善きものとして生きていけるのかなという気持ちになります。彼が原理的にしかものを見ることができないことから悩みを深めているように見えるからなおさらです。でも、彼と「まやかし」について話した時にいくら二人で盛り上がったところで、彼はまた逆上するとお母さんに同じことを叫ぶわけです。こっちのほうが現実的な実存としては圧倒的に強い。そういう彼の母親への恨みはポリアンナ原理では説明がつかないんです。そして、お母さんに彼が何を考えているかを説明するときに、私はやはりそのこと(彼はまやかしの世界の住人ではなく、もっと原理的にそのままに世界を見ているんですということ)を普遍化して話すことはできなくて、「世界を見る目というのはひとつではなくて、彼とお母さんとではもしかしたら別のしかたで世界を見ているのかもしれません」としか言えません。私の実感としてもそうとしか言えない。

生む側と生まれる側には非対称性が横たわっている。確かに生まれる側には選択の余地がなく、I was born.と受け身の形で生まれるしかない、でも生む側は生むか生まないか選択の余地がある。そこで「次の命を暴力的に生み出すことがいかにして正当化されるのか」(森岡正博さん)という<親>の問題が生まれるわけで、彼の「お前、生んだ責任を取れよー」という言葉の前にお母さんは絶句して立ちすくむしかなくなります。でも、彼の問いを一身に受けて何か応えようとする彼女を見て私は、彼女に責任を取れなんて言えないよと思ったわけです。まず、出生を迎えるためには彼女ひとりの意思では不可能で、つまり複数の意思が必要であるということ、さらに彼女が生みたいと思って生んだとしても、その意思も含めて彼女はその都度の不確定な現実の中でそうなっただけとしか言えない部分は決して拭えないわけです。私はお母さんに「生んだ責任というのは、少なくともあなたがひとりで抱えて考える問題ではない」ということを言いました。これもそうとしか言えなかった。出生‐反出生という二元的な捉え方では零れ落ちるものが多々あると思います。私たちが今わからない現実になんとか応答しているだけの脆弱な存在であることが見過ごされている気がするのです。

私ははじめから「出生‐反出生」という問いに抵抗のようなものを感じており、それはこの特集でも複数で触れられているように、それはクイアを寄せ付けないところにあるのだろうと思います。これは出生主義の課題だと考えられがちですが、反出生主義も同じです。<親>の問題というのはクイアを疎外します。これは私がいつも親と子の問題を考え、人の前で話すときのアポリアでもあります。

その点、川上未映子さんの『夏物語』(とらきつねでも販売中/これは読んでいただきたい)の引用が印象的な逆卷しとねさんの文章は、私の些末な経験のいくつかを確実にほぐしてくれるもので(ほぐされたからその文章を追うようにしてこれを書いたのですが)苦しくも有り難く感じられた。耳触りのよい未来を求めることで、結果的に存在が今ここでめくれていくような時めきのある未来を失うことがないよう、この冊子の中で拾ったいくつかの警句を携えていたいと思いました。

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田尻久子『橙書店にて』(晶文社)

熊本・橙書店の店主(ママ)、田尻久子さんが書いたエッセイ3作目。
私は彼女が書く文章が好きです。何を書いても澱みがない。さっぱりしてる。哀しみを愛おしんでいるのに、カラッとしていて、だからかえって余韻が後を引きます。
橙書店の本棚の間を歩いているときのように、たよりない声が、声にならない声が聞こえてくるようで耳を澄まします。それは確かに命の深さを知る、やさしさに溢れる声。
石牟礼道子も村上春樹もあの日カウンターにぎこちなく座ったお客さんも、この本の中では、たまたま橙書店に触れた、なんでもない、そしてかけがえのないひとりの人として描かれています。その田尻さんの目の正直さ、確かさに胸を打たれるのです。

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綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)


今まさに読むべき本。世間に溢れる「正しさ」の臭みを嗅いだ覚えのある人なら正鵠を射たものに出会ったと感じるはず。まえがきの時点で所詮相対主義だと誤読して投げ出す人もいるかもしれないが、この本に書いてあることはそんなことじゃない。

この本に書かれていることは、若い人たちは感覚的に理解しやすいと思う。(20年後の「常識」が書かれている気がする。) アイデンティティとシチズンシップを対比させる考察はこの本の肝で、野党支持者たちや、デモに参加して社会を変えたいと考える人たちにも自分の弱点を知るために読んでみてほしい。

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平倉圭『かたちは思考する』(東京大学出版会)


筆者は対談(伊藤亜紗×平倉圭 記憶を踊ること、私を作り変えること)https://dokushojin.com/article.html?i=6197&p=7 の中で、さらっと「僕は言葉に対する信頼が低いんです」と発言しているが、この本『かたちは思考する』は、言葉に対する信頼が低いが故に、出来合いの言葉ではなく、形象を見ることを通して内的に捻り出された言葉だけを駆使して書かれた芸術論である。凄絶な強度を持つ具体的な分析の数々に圧倒され、曲がりなりにも日ごろ文章を書いている人間として、平伏するより他にないような苦しい感動が押し寄せる。

その緻密な分析は、私たちに還元主義的な解釈の正解を用意するのではない。私たちの身体は、この本を通して形象に巻き込まれ震動する。その魅惑を追体験できるだけでもこの本は圧倒的に読む意味がある。

この本はわかったつもりになることを簡単には許してくれないので、これからも手に取って読むことになるだろう。参照されるあらゆる作品にも興味が芽生えるし、何よりこの本を読んだ後には自分の身体を使って絵を描いてみたいと思う。まさにそれは本を読むことで身体が変容するような経験だ。

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by terakoyanet | 2019-11-16 06:17 | とらきつね | Trackback | Comments(0)