旅がほんとうに好きな人たちは、こんな状況の中でもそれぞれに旅をしている。というより、旅と共に生きていて、そこから逃れることができない。

この本は石川直樹さんが2012年から2019年までに「新潮」に連載した旅の話を1冊にまとめたものだ。私も旅に若干狂っている人間なので、おのずといっしょに旅に出るような気持ちで、ページをめくると同時に、登場する地名を探してはグーグルマップ上に次々とピンを立ててしまうし、石川さんがたどったと思われるルートをオンラインでなぞってみたりして、文字通り彼の旅の追体験をすることになる。もう、ワクワクが止まらなくなる。

石川さんの紀行文の面白いところは、8000m峰を何度も登るような一般の人にはなかなかできない旅をしている人なのに、武勇伝らしいものを感じさせないところだ。プロフェッショナルな感じはそこそこに、お腹は痛くなるし、咳は止まらなくなるし、そういう人間の弱さをそのまま抱えてヒマラヤの高峰に挑んでゆく。(実際には石川さんは途轍もなく体力と技術がある人だそうだ。今日話した東京の編集者Tさんも言っていた。)

この本の魅力は、文字通り緊張感のある命懸けの場面にこそ不意に浮かび上がる人間らしさだ。標高8400m地点での日の出待ちという極限状態のときに「タバコ吸っていい?」と断りを入れてきたシェルパのパサン君のエピソードはその最たるもののひとつで、その人間らしい優しさとたくましさが同時に感じられて思わず胸が熱くなる。

ヒマラヤへの遠征を多く描いているこの本が、異世界すぎて日本国内でくすぶっているライトな旅好き(と自分で思っている)の人たちの心を捉えないかといえばそうではない。石川さんの旅というのは、そのほとんどが完成していない。真冬に能登の超有名な観光地のなんでもない砂浜をプチ冒険して危うくカヤックで死にそうになるし、カナダではまるで海外に初めて来た観光客のような慣れない失敗をするし、ベトナムには肝心のフィルムカメラを忘れて出かけてしまう。ズッコケ三人組をひとりでやっているようなところがあるのだ。そして、あるときはネパールの最奥の国境まで行って国境の向こうのチベットを夢想する。初めから越えられないと分かっている国境まで行ってその奥を見ようとする石川さんは、旅をはじめから完成したものとしてとらえてないし、むしろ自分の頭の想像力でいくらでも旅ができることを知っている人なのだと思う。

私は先日『バウルを探して〈完全版〉』(川内有緒・中川彰/三輪舎)のことを書いたときに、東浩紀さんの『ゲンロン0 観光客の哲学』のことに触れながら次のように話した。

哲学者の東浩紀は著書『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017)において、「観光」(もしくは「観光客」)という言葉を新たな哲学的概念として立ち上げた。「他者」という使い古された左翼的で政治的、かつ文学的ロマンティズムを携えた言葉の代わりに、東は「観光」という即物的で世俗的な軽さを持つ言葉を敢えて使うことを提唱した。そこに描かれていたのは、人間や社会を改良するというような必然性に基づいて「他者」と出会う「まじめ」な旅ではなく、むしろ無意味な不必要性(=偶然性)が図らずも照射するものに感応して、結果的に「現実の二次創作」を生み出してしまう「まじめ」でも「ふまじめ」でもない「観光客」の姿であった。私は、この「観光客」という概念を、「旅(トラベル)は本物に触れるからいいが、観光(ツーリズム)は本物に触れないからだめだ」という既存の固定観念をひっくり返すものとして受け止めたが、『バウルを探して』の同行者3人は、どちらかと言うと「観光客」を地で行くような旅人たちなのだ。

これに準ずれば、石川さんはまさに旅人(トラベラー)を地で行く人でありながら、「観光客」的視点を持った人だと言えると思う。石川さんの写真は偶然の結果生み出された「現実の二次創作」であり、だからこそいまのリアルがあり、どうしようもなく魅力的なのだ。


とは言いつつも、ヒマラヤの名だたる高峰の登攀にチャレンジする石川さんには「観光客」にはない「死の香り」が漂う。

人智を超えたヒマラヤも含めて、もはやぼくの驚き=興味がそこ(=振り切れた架空の世界、または強烈な現実)にしかないとしたら、完全に中毒症状である。中毒は、その先に死の香りが漂うために「中毒」と名付けられる。ちょっとやばいな、と思う。でも、やめられない。帰国から2週間が経った今も、ぼくは次の旅のことを考え続けている。(『地上に星座をつくる』より)


いきいきとした生の現実への渇望は、結果的に死を呼び寄せる。K2に登る直前の春に桜を見る石川さんの目の中には、死に対する覚悟というか諦観のようなものが感じられて、読む私の方はどうしようもなく落ち着かなくなってしまう。

でも、いま私たちは「自粛を強く要請する」なんてヘンテコな日本語が堂々とまかりとおるクソみたいな世の中に生きている。だから、気づかないうちにいつのまにか死んだように生きている、そうならないためにも、周りの空気を読むのでもGPSで示されたとおりに動いてみるのでもなく、「自分の身体で世界を知ろうともがき続けていく」そのことを忘れたくないと切に思う。石川さんのような「特別な人」が「地上に星座をつくる」のではなくて、私たち一人ひとりが「地上に星座をつくる」ことができることを教えてくれる本だ。

石川直樹『地上に星座をつくる』のこと_d0116009_17163162.jpg
  • 著者: 石川直樹
  • 出版社 : 新潮社 (2020/11/26)
  • 発売日 : 2020/11/26


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by terakoyanet | 2021-01-13 17:19 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)

著者が家族で大切に育ててきた鶏を長男とふたりで絞める場面がある。
「……この作業、ふたりだから気持ちが救われるんだね」
そんな気持ちを中学生の息子と共有する時間というのは、毎日中学生と絡む生活を送っている私でも、ちょっと想像がつかない類いのものだ。

スーパーの食肉コーナーでトレーに並べられた食肉たちには死臭がない。防腐剤は「動物の命のことなど忘れてしまいなさい」というマジナイのように、絶命した動物の肉体を商品としての肉塊に変えてしまう。
こうして私たちは死という「穢れ」を見ずに済ませることで、日々を平穏に生きるという術を身に着けている。

「穢れ」は日常と相いれない。私たちは「穢れ」を見ないふりをして日々過ごしているので、息子と鶏を絞め殺す母親というのはちょっと猟奇的に見えるかもしれないし、実際に彼女は平均的な人たちよりちょっと猟奇的なのだと思う。
というより、「ケ=日常」の反対が「ハレ=非日常」ではなくて「ケガレ=偶然性に侵される日常」なのだとどこかで気づいてしまった人間が目指すものは、ハレではなくて「穢れ」という猟奇的なものにならざるをえないのではないか。それが現時点での私のひとつの結論である。

死んで「かわいそう」な動物が「おいしそう」な肉に変わる境界はどこにあるの? 動物の皮はどこから革になるの? 彼女が抱くこれらの疑問は、彼女の息子が切った爪を見ながら発した疑問「ぼくはどこまでがぼくなの?」と相通じている。
そう、彼女はすっかり子供の目で命の不思議を改めて捉えようとしている。(これが、彼女がいま子供を産み育てていることと関係しているのかどうかについては、直接彼女に尋ねてみたいと思っている。)
動物が殺され、解体され、料理され、鞣される(なめされる)過程を見つめながら、著者は自分をセンサーにして「穢れ」の領分に分け入ってゆく。敢えて「穢れ」を問わないのはきっと「大人」の振る舞いなのだ。彼女はそれをかなぐり捨てて「穢れ」の謎にどんどん深入りしていく。それが痛快でたまらない。

この本を通して考えられることの射程は広い。猟師のおじさんと山や獣との密なる対話は、言葉の意味にばかりに捉われがちな私たちが、非言語コミュニケーションの豊かさに触れることで自らの言葉を捉え直す契機になるかもしれない。
食べる・食べられることを通してあらゆるいのちが循環しているという事実は、すなわち私たちが生きていく以上、他のいのちに対する「責任」を追わざるを得ないということを教えてくれる。(その「実例」として、この本には水俣病の話が出てくる。)

自分自身をセンサーにした、いのちの不思議をめぐる旅。
なんて刺激的で面白いんだと(この本を読むことで)いっときでも彼女の旅の同伴者になれた幸せを噛みしめながらこの文章を書きました。

『山と獣と肉と皮』(繁延あづさ著)を読む_d0116009_03312246.jpg

繁延あづさ『山と獣と肉と皮』×鳥羽和久『おやときどきこども』 刊行記念トークはいよいよ12月23日(水)に開催です。残り数席のみあります。ご著書『山と獣と肉と皮』のこと、長崎での生活のことなど、根掘り葉掘り聞きたいと思います。繁延さんは中3の長男、中1の次男、6歳の娘の母でもあり、『おやときどきこども』の話の際には、おのずと親と子の話、家族の話にもなると思います。楽しみです。
by terakoyanet | 2020-12-19 03:36 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)

『バウルを探して〈完全版〉』 川内有緒・文 中川彰・写真 三輪舎 刊 (2020年)


『バウルを探して〈完全版〉』(川内有緒・中川彰/三輪舎)のこと_d0116009_04355212.jpg
*写真はすべて三輪舎HPより

『バウルを探して〈完全版〉』この本を読んだのはもう3週間ほど前になるが、いまも本を読み終わったときに心に沸き上がった熱情がそのまま胸に残ったままだ。


 この本を最初にお勧めしたいのは、旅が好きな人たち。旅が好きな人は「偶然」を愛する人たちだ。その瞬間に生起した現実に、笑い、怒り、戸惑い、絶句する旅人たち。この本を読む人たちは皆、右も左も分からない旅人たちと共にバウルを探す同行者になる。(私はいま、ほんとうに、すっかり、彼らといっしょにバングラデシュを旅した気になっている。)


著者は決して感情を読む人に押しつけない。(こんなに押し付けがましい文章を書かない人も珍しい。これだけ感情を出さないということは、もしかして著者は、思いっきりのいい性格と裏腹にとてもシャイな人なのかもしれない。)でもそれなのに、出会う人の細やかな描写を通して、著者の熱い思いが垣間見える。いまこれを読みながら涙を溜めている私といっしょに、これを書いた著者も涙を浮かべているに違いないと信じることができる。


ベンガル地方で「バウル」と呼ばれるのは、数百年にわたって口承され、無形文化遺産にも登録されるような芸能の担い手でありながら、その居場所さえわからないという謎の多い人たち。そして、彼らを探し求める著者(川内さん)と同行者である写真家(中川さん)、通訳(アラムさん)の3人の旅人たちの姿は、決して崇高な巡礼者でも求道者ではない。「おもしろそう」という動機で身軽にあちこちを動いてみるその姿は、むしろ野次馬の観光客のなものさえ感じさせる。

哲学者の東浩紀は著書『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017)において、「観光」(もしくは「観光客」)という言葉を新たな哲学的概念として立ち上げた。「他者」という使い古された左翼的で政治的、かつ文学的ロマンティズムを携えた言葉の代わりに、東は「観光」という即物的で世俗的な軽さを持つ言葉を敢えて使うことを提唱した。そこに描かれていたのは、人間や社会を改良するというような必然性に基づいて「他者」と出会う「まじめ」な旅ではなく、むしろ無意味な不必要性(=偶然性)が図らずも照射するものに感応して、結果的に「現実の二次創作」を生み出してしまう「まじめ」でも「ふまじめ」でもない「観光客」の姿であった。私は、この「観光客」という概念を、「旅(トラベル)は本物に触れるからいいが、観光(ツーリズム)は本物に触れないからだめだ」という既存の固定観念をひっくり返すものとして受け止めたが、『バウルを探して』の同行者3人は、どちらかと言うと「観光客」を地で行くような旅人たちなのだ。著者はもちろんこんな小難しいことを考えて、新しい「観光」の姿をここに書こうとしたわけではない。でもそれなのに、著者は観光客らしい素直な現実の受け取り方を透徹することで、目の前の現実をそのままに受け取るという新しい倫理を軽やかに示してくれた。これは誰にでもできることではないし(どうしても旅の「意味」について切々と語ってしまいがちだ)、このひとりの作家の天性的な勘の良さを示していると思う。そして、この著者の他の作品を読んだことがある人ならとっくに分かっていることだと思うが、彼女は「人の話を聞く」ことに関して特別な才能を持つ人であり、私はもっとその秘密を知りたいから、これからも彼女が書く本を読むことになると思う。



『バウルを探して〈完全版〉』(川内有緒・中川彰/三輪舎)のこと_d0116009_04380569.jpg



本の後半に出てくる或る演奏家がこう語る。「無形文化遺産に指定されてからというもの、急に政府や国連はバウルの歌を楽譜にして残そうとか、後継者を学校でトレーニングしようとか言い出しているけど、僕から見たらバカバカしい。だって、バウルは自由なものだから、そういうやり方では守れない」

真剣にそう語る彼の言葉は2010年のものだが、それから10年が経ち、バウルの歌はYouTubeで検索すればいつでもたくさん見聞きできるようになった。だからと言ってこの10年でバウルの歌が息を吹き返し、本来の生命を取り戻したかといえばきっとそうではなく、むしろ演奏家の彼が危惧した通りに、文化の形骸化がますます進行していると思われる。(今年、国立民族博物館ができた日本のアイヌの現状を考えると、これは私たちにとって他人事ではない。)

その意味では、この本「バウルを探して」は、一つの口承芸能が、近代化の波の中で翻弄されながらも生命力あふれるものとして受け継がれていく姿が活写された、或る時代の「記録」としても歴史的価値のあるものである。しかも図らずもそれが独断に陥らない正直な目を持った「観光客」的な著者によって書かれたことが、この本と記録の幸運だと思う。



『バウルを探して〈完全版〉』(川内有緒・中川彰/三輪舎)のこと_d0116009_04384365.jpg




最後に〈完全版〉と名付けられたこの本に添えられた深い愛について触れたい。この本は、2013年に『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』として、そして2015年に『バウルの歌を探しに バングラデシュの喧噪に紛れ込んだ彷徨の記録』として(どちらも幻冬舎刊)既に二度も世に出た本が、今回〈完全版〉として三度(みたび)日の目を浴びることになったものである。この〈完全版〉がこれまでと異なるのは、ベンガルへの旅に同行した写真家・中川彰さんの写真がふんだんに用いられていることである。いや、「ふんだんに」というレベルではない。この本の前半が丸ごと「バウルを探して 写真編」となり、中川さんの沢山の写真が本全体の半分のスペース(約100ページ!)を占めるに至っているのである。初めてこの本を読む人は少し面食らうかもしれない。何せ予備知識もなしに本の冒頭から異国の風景をたっぷりと見せられてしまうのだが、本の内容とそれがどう繋がるのかが全くの謎だからだ。しかし、この本の最後「中川さんへの手紙」を読み終わった後に、もう一度冒頭の写真編に戻ったとき、読者はこの写真たちと新たに出会い直すことになる。きっと彼らは一枚一枚の写真を食い入るように見つめざるを得なくなるし、命あるものの輝きが眩しすぎて、視界がじわじわと滲み始めるのを感じるはずだ。こうして読者は、図らずも「バウル」に出会ってしまう。すごい本だと思う。この中川さんの生命溢れる写真を見せるために「コデックス装」を選んだ版元(中岡さん)の心意気と、その心意気に乗った装丁の矢萩さん、そんな愛のある本を世に送り出してしまった川内さんに喝采を送りたい。



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by terakoyanet | 2020-11-28 04:39 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)

夏休みに実施した中学生たちの合宿内での講演、石川直樹さん磯野真穂さんともに大きな反響をいただきました。
お二人の話を生き生きとした感性で聞き取った子どもたちの言葉に、単に書かされた感想とは異なる本物の声を感じ取った方も多かったのではないかと思います。今日は、編集者(書肆侃侃房)の藤枝大さんの講演の感想をお届けします。藤枝さんが編集している本が好きな私は、事前に「子どもたちに詩歌の面白さを伝えてもらえたら」とリクエストしていました。今日は、藤枝さんの講演を子どもたちの感想と共に振り返りたいと思います。(※感想は抜粋しています。)

藤枝大さんの講演 サマー合宿(中1・中2)& 夏合宿(中3)_d0116009_17324699.jpg


私は母がシナリオライターだったので、昔から本とか家にいっぱいあって、じゃまなくらいあります。(ほとんど読んでません('▽')ドヤッ) でも、あまり詩とか短歌の本は無かったと…。(エッ、無いよね…?)無かったです。(いいきった。) 見るとしても学校の国語の授業しかなかったのですが、今回聞いてみて、「あ~、なんかよく分らんけど深いね」とか「ん?意味がちょっと…。はあ?ヾ(*`Д´*)ノ みたいなのもあり、ちょっともやもやするのが多かったです。でもそのもやもやのおかげで想像力が広がっていく (*´∀`*)ポッ そう信じたい。(中1K)


詩=古くてつまらないという学校で根付いてしまったイメージが今日でぶっこわれました。今回の話を通して、学校で詩とか短歌を学ぶっていうのは、学習としてとらえてしまうから、それはこれからは多分ちがうんじゃないかなと思いました。学校で、勉強、学習としてとらえず、自分の好きな事として考えた方が、みんなのそれぞれの読み解き方が比べれて、詩とかがもっと重要視される未来になりそうと感じました。
意味不明な川柳がいくつかあって、それを僕の今後の課題にしていきたいと思うほど心に残りまくったものやもやもやがあって、でもそれがおもしろさなんだと感じることができてとてもよかったです。(中1F)


人それぞれ意見を持たせるのがおもしろいです。でも、ぼくは、あまりに意味がわからないのは答えをたしてもいいのではないかと思いました。川柳の
「「「「「「「「蚊」」」」」」」」
というのはどういう意味があるのか気になりました。答えをださないといろんな考えがでるのもおもしろいです。詩歌や川柳は自由度が高いのがおもしろかったです。(中2I)


詩も短歌も、自分から積極的に書いたり見たりしたことはなかったけど、川柳など季語を気にせずに楽しく書ける面白さを知ることができました。
「「「「「「「「蚊」」」」」」」」
がプリントで見た中で不思議だけど一番面白かったです。



学校の授業で詩や短歌を学んだときは、「短歌をつくってみよう」というのが難しくて、読むのは好きでも中々楽しめませんでした。でも、今の時代の短歌にふれると、納得できるところがたくさんあっておもしろかったです。昔の歌を多く教科書で読んでいるけれど、今の短歌だからこそ楽しいこと、同じ短歌を読んでちがう感じ方をするものがあってすごいと思いました。
詩や短歌をここまでくわしく聞いたことも書いている人にふれたこともなかったので、興味もわいてきて、おもしろいものだと思いました。コロナウイルスの歌があることは知りもしなかったし、「確かに」と思えるものがたくさんありました。(中2K)


一日中本に触れて関われるなんてうらやましいです。詩についての情景を考えるのと、それについての絵をイメージして描くのは好きです。誰にでも想像できるものと、絵におこすとカオスで芸術的なものがあると思うのですが、私は後者の方が読むのも描くのも好きです。たまに毎日ながめていたくて、できれば自分が作りだしたかったくらいにとんでもなく気に入るものがあるのが、くせになる。分かりにくくまわりくどく、無理やり文字数にねじこんだかんじが好きです。
都合よく転校生は蟻まみれ
は紹介されたばかりの転校生(という砂糖)に群がる生徒(蟻)が思いうかびました。
げんじつはキウイの種に負けている
はまったく分かりません。そこが良い。
好きな本について説明するときに口調がはやくなるのが、あぁ、本が本当に好きなんだな、と伝わる。親せきのおじさんにほしいです。お話ありがとうございました。同年代だったら全力で友達になりにいったでしょう。(中2S


おじいさんと20代の人だと詩の感じ方がちがうのがおどろいた。詩、短歌はむかしの人たちのものと思っていたけど、今の人もいっぱい詩や短歌、俳句を書く人がいるということがおどろいた。
今まで詩、短歌、俳句はあまりすきではなかったけど、今日の話をきいておもしろいものだということがわかった。いつか詩や短歌がかいてる本をよんでみたいと思った。川柳はいみがわからないところがあって、ちょっと考えたら自分なりの考えがでてきておもしろかった。(中1T)


今日、詩歌についてくわしく知ることができ、前よりは詩歌が好きになりました。でも、詩歌や俳句はきまった字数の中で、思っていることや景色などを表現することができること(厳選された言葉で簡潔に表している)はすごいと思うけど、人によって、時代によって、読み方やとらえ方が違う、意味や伝えたいことが分かりにくいので、私的には、今日の話を聞いても、詩歌のよさがよく分からないです…。(自分でもよさやみりょくを探してみたけど、初めに書いたことくらいしか見つからなかったです。)
前よりは詩歌についての知識が増え、少しは好きになりました。でも、詩歌がわざと遠回しに言ったり、分かりにくく書くことが楽しいのかイマイチ分かりません…。(中1F)


学校の授業で短歌を勉強したけど、文語でよく分からなかったから好きじゃなかったけど、学校の教科書にのっている短歌とはまったく違い自由なものが多くて、けっこうおもしろかった。
「「「「「「「「蚊」」」」」」」」
っていう川柳は、私は、蚊が飛んでるみたいな風景が思いうかんだ。(中2Y)


短歌や詩はあまり好きではなかったけど、今日の授業で少しおもしろいなぁと思った。藤枝さんが「自分の好きな短歌、心のおどった詩を探すのが楽しい」と言っていたので、私も自分の好きなものを探すことが好きなので、お気に入りの詩や短歌を探したいなぁと思いました。だから、家に帰ったら、本とかでしらべたり、今日もらった紙から選んでみたりしたいです。あと、寺山修司様が好きなので、深堀したいなぁと思いました。(中1H)


別に今まで特別に気にとめていたわけでもなく、特になんとも思わなかったが、短歌や俳句ってこんなにおもしろくて奥が深いのかとおどろいた。自分の世界観を出して考え、言葉にすることが大切だとよくわかりました。そのためにも自分の考えを大切にしていきたいです。(中2N)


詩や短歌、俳句に関わっている人は、小さいころから国語が大好きな文学少年・少女というイメージがあったけど、全くのへんけんでした。小さいころからずっと好きな人もいると思うけど、好きなことが突然ふってくることもあるんだなと思いました。私も今はあまり興味がなくても、いつ、どこで好きになるか分からないから、色々なものに挑戦したいです。また、詩歌についてもイメージが変わりました。おじいちゃんたちが見たり、読んだりしているような、しぶい、むずかしいイメージだったけれど、クスっと笑えたり、楽しかったりと、1つの物語をギュっと小さくまとめたような、小さな物語だと思いました。1つ1つの言葉に意味があって、1つ抜けただけで意味が変わるとこがすごいと思いました。藤枝さんのオススメの本、見てみます。(中2K)


藤枝大さんの講演 サマー合宿(中1・中2)& 夏合宿(中3)_d0116009_18582251.jpg


藤枝さんは、出版社で働かれていて、本屋さんもされています。藤枝さんの話は説得力があり、聞いていて興味が湧いたし、本当に短歌が好きなんだなと伝わってきました。
私は短歌は少し固いイメージがあり、知らないことがたくさんあったけど、短歌が翻訳されるまでに色々な人が関わっていることや、同年代の人が作った短歌は共感できることもあったし、色々な感じ方が出来ると知って、新しい世界が知れた様でおもしろかったです。(中3K)


藤枝さんの講演の中で様々な短歌が紹介されたが、一つ一つ本当に興味深いものだった。一度、「ん?」と考えてしまう。それが短歌のおもしろさなんだと感じた。
短歌とは人それぞれ感じ方が違う。でもそれが短歌の魅力だ。その魅力を、これから少しずつでも理解してみたい。(中3S)


今日の講演会では、詩や短歌を新しい見方で楽しむ方法を教えてもらった。学校での詩歌の授業では、先生が思った意味でしか考えられないので、今日は自分が「こうじゃないか」と思ったら、そこから考えを広げることなどの新しい考えを習った。
詩歌や川柳のプリントを見て、「これ、おもしろすぎる!」や「どういう意味?」など、自分の好きな詩歌が分かったりと、とても楽しかった。自分でもおもしろおかしく作ってみたい。(中3I)


詩や短歌は、昔の偉い人たちが作っていた、近寄り難く、気難しいものだと思っていた。しかし、最近作られたものや、よく意味の分からないものなど、面白いものが多くて驚いた。実感できたり、親近感が湧いたりして、自分が思っていたより幅広くて自由なんだと知ることができた。今日の講演で、また一つ新しい世界の面白さが分かった。(中3I)



様々な翻訳家の話を聞き、藤枝さんは日本のものだけでなく海外の詩歌にも触れているんだなと少し驚きました。また、たくさんの詩歌を読んで、詩はもっと難しいものだと思っていたけど、そんなことはないということを知りました。一つの詩でも人によって違う感じ方があり、豊かで面白いなと思いました。前よりも詩歌に興味を持つことができ、良い機会になったと思います。(中3H)


私は、今まで詩歌や川柳は一定の規則にそって書くもので、きまりが多く難しいという印象がありました。しかし、藤枝さんの紹介してくださった詩歌や川柳には、その時の気持ちをそのままの形で表現しているものが多く、「」が使われていたり会話として書かれていたりと、とても自由でびっくりしました。(中3A)


川柳は俳句とちがって季語がいらなかったり、好きなことを好きなだけ入れられるおもしろさがあるということを知りました。俳句よりも身近に感じることができました。
よく分からない物やジョークだらけの物もたくさんあったので、自分にもできそうでした。挑戦してみたいです。あと、藤枝さんが中原中也を知ってくれていたのでうれしかったです。俳句や川柳おもしろい。(中3K)


僕は藤枝大さんが言ったように、今まで本屋に行っても詩歌の棚に行ったことがなかったけど、今日の藤枝さんの話を聞いて、とても興味を持ちました。僕は今、iPadで小説を書いていますが、詩歌も書いてみます。
一つびっくりしたことがあって、詩集って意外と高いですね。でもいつかお気に入りの一冊を見つけて大事にしてみたいです。(中3F)


藤枝さんは、つい数年前に詩歌に出会ったけれど、数多く種類のある短歌や川柳を今回自分なりの解釈も加えて教えてくださって、本当に詩歌に対して強い想いを持っているんだなと思いました。
私は藤枝さんに教えてもらった数多くの詩歌を見て、今まで自分が持っていた詩歌に対してのイメージががらりと変わりました。解釈によって意味がすごく変わるものもあったので、面白いなと思いました。(中3H)


藤枝さんのお話を聞いて、私は私の知る短歌や川柳のほとんどが学校の国語の教科書のものだったので、今日紹介された詩歌はとても衝撃的でした。こんなに意味不明でいいのかと思いましたが、それを理解しようと深く考えることが詩歌のおもしろいところなのだと分かりました。(中3Y)



詩歌と小説では、小説のほうが内容理解がしやすいけれど、詩歌は一瞬をとらえることができて新鮮だと知ることができました。
詩は人の数だけとらえかたがあるので、私もいろいろな文章を読んで豊かな想像力を持ち、自分に合った解釈をたくさん考えたいです。(中3S)



もともと自分は国語の教科書で「この短歌は少し味があるな」とか思っていて、川柳はもともと面白いと思っていたけど、今日の講演で、短歌も短歌で面白くて意外な2つのものをつなげて味があるものができることがよく分かった。(中3H)


私が一番印象に残ったのは、学生短歌アンソロジーの裏にのっていた
ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる
という短歌だ。ペガサスというメルヘンでふんわりとしたものの後に、殺すという言葉が続いたのがとても衝撃的だった。(中3N)


僕はあまり詩や短歌の良さがあまり分かっていませんでしたが、今日、詩に書かれていない所を考えてみるのがおもしろさなのだと分かりました。
僕の好きな詩は
怠惰とやる気のはざま 机にプリントとiPhone
です。勉強をしようと机に向かったら、机にはプリントとiPhoneがあったと僕は解釈し、この主人公はiPhoneをいじったのかな?と想像したりします。(中3H)


僕は、短歌がどんなものなのだと疑問に残っていて、それが分かったので、すがすがしいです。自分が思ったことを書けて自由なものだと気づきました。でも、それが難しいとも思いました。理由は、思う事を書いて、少ない文で人にどう感じさせるかという難しさがあるだろうと。(中3K)


藤枝大さんの講演 サマー合宿(中1・中2)& 夏合宿(中3)_d0116009_18125171.jpg


今回の講演では、私は興味がなかった詩や短歌について知れました。何がおもしろいんだろうなと思っていたけれど、さっぱり意味がわからない短歌など、どんな気持ちが入ったりしているのかを考えたり、その気持ちを知ったりしたら、だんだんおもしろくなりました。今の時代の短歌(コロナ)などもあって親しみやすかったです。藤枝さんはいろいろな世界の短歌をたくさんかき集めていてすごいと思いました。(中2K)


詩歌は今まで不特定多数に納得してもらえるような奥深いけど分かりやすいものが「良い詩歌」というイメージがあったが、型に完全にはまるものではなく、自分の気持ちをただ伝えたいことを伝えようとすることが大切なのであって、良い、悪いは一個人の感覚で決められるものではないのだなと思った。詩歌はモヤが残る方がおもしろいという話だったが、モヤが残るのはあまり理解できないと思った。(中2K)


深い意味が込められている詩歌を見ると、分からなくて頭がクラクラしてくることがあります。テストなどで詩歌が出ると、今回はどうかな、難しくないかな、などと確認してしまうことが多いです。たくさん詩歌を読んで、早く慣れたいとは思っています。
今回の講義で、たくさんの詩歌がのっているプリントをいただきましたが、とても良いプリントだと思います。これを読んで詩歌に慣れることもできますし、面白い詩歌を知ることができます。藤枝さんが説明していただいたことを聞き、詩歌に対しての見方が180度とはいきませんが、90度くらいは変化したと思います。
僕は詩や短歌、俳句にはどちらかというと興味はないのですが、詩歌について生き生きと話す藤枝さんを見て、なぜこんなに一生懸命話ができるんだろうと思いました。情熱を持って何かに取り組む姿が見えた気がしました。お忙しい中、僕たちに素晴らしい講義をしてくださり、本当にありがとうございました。(中2S)


僕は今まで教科書などでよく知られている亡くなった人の俳句や短歌ばかり読んでいたけど
突然の休校となり学校の全ての荷物子は背負って来つ
はとてもこの新型コロナウイルスと密接に関係しているし、学生ならこれを休校が決まって経験していることで、とても実感することができました。また、作者=読み手というのはとても驚きました。
藤枝大さんからいただいたテキストの中で一番気に入ったのは
サンダルの青踏みしめて立つわたし 銀河を産んだように涼しい
が気に入りました。今回の講演で『短歌のタイムカプセル』を試し読みして興味があったので、今度書店に行く機会があるので親をせっとくしてぜひ買おうと思います。その本を読んでおもしろいと思ったら、他の短歌や俳句の本を買ってみたいなと思います。(中2U)


今まで詩はつまらないもの、読んでも退屈なものだと思ってたけど、話を聞いたり、プリントや詩集を見たりして、けっこう面白いものだなと思った。
おれか おれはおまえの存在しない弟だ ルルとパブロンでできた獣だ
都合よく転校生は蟻まみれ
「「「「「「「「蚊」」」」」」」」
など、詩の渋いイメージを突き破るような詩もあって、とても楽しかった。また、詩について論争があるほど、読み方が多数あると聞き驚いた。自分はせいぜい1~2種類。質問の際、どんな質問にもスラスラと答えられる藤枝さんは本当にスゴいと思う。(中2I)


僕は国語が苦手で、詩なんかとくに一つの「問題」として考えていた所があります。でも、詩を作った人側の立場になって考えてみると、その人の思いや考えやときめきを感じることができる。また、自分には見えない価値観や世界が見える楽しみがあるということを学びました。また、僕は、今風の詩より古風な詩の方が言葉が今と違ったり、表現がカッコイイと思うので、今風の詩はあまりカッコよくないし、なんだか字余りや字足らずがあるのでダサいなと思っていたのですが、今風の詩の楽しみ方、そして自分では理解できない詩の楽しみ方が分かったので、詩についての考え方が大きく変わった感覚があり、とても楽しかったです。
詩の存在は、教科書に出てくるだけの存在ととらえていて、歌集というジャンルの本がたくさんあると知って、色んな詩に触れてみたいと強く思いました。今日の話で詩に対する考え方が大きく変わりました。ありがとうございました。(中2H


昔の人の感覚の面白さ、今は今の人の感覚の面白さがある。例えばコロナの詩
五月まで続けているか関節でエレベーターのボタン押す所作
川柳には季語がない。季節の言葉がない俳句は面白いなあと思いました。
短歌や俳句は昔の人が書いたものではなく、今の人も川柳や詩をつくっている人がいることにとてもびっくりしました。今日私が伝えたかったことは…(お!今からの言葉大切だぞ)詩歌はけっこう面白いということです。(おいー。もっといいこと言ってくれ)今は今の詩歌があり、とても面白そうだった。小さい子から高れい者まで楽しめる。メリット!!
詩歌はただの歌かと思っていた。が詩歌には感情をゆさぶってくれる物があると知りました。詩歌には上手下手がしっかり分かれているかと思っていました。(中1U)


詩歌のことがよく分かりました。詩のことや、おもしろさ、感じ方、その詩歌のとらえ方などをくわしく教えてくれた。それに川柳というのはどういうものかも教えてくれた。少し詩が好きになった気がする。藤枝大さんの好きなものや、オススメの人などを知れた。詩のことがすごい好きなんだと思いました。そして、かなりオススメでおもしろいと伝えたいんだとよく分かりました。もやもやするところ、おもしろいですね。
詩に興味なかったけど、この話を聞けて少し興味を持てました。たくさんの詩の内容があり、時代でとらえ方がちがうのは、たしかにおもしろいと思いました。(中1U)


ぼくは、のめりこむということができないから、すごいと思った。僕は、詩などを読むということが苦手なので、このことがあまりよくわからなかった。だけど、今のことを書いている人は、今おきていることなどをかいていてわかりやすと思った。歌をつくっている人は、なにをつたえたいのかを詩にしていることがわかった。詩や歌にはつたえたいことをつめているということがわかった。詩などで楽しくなったりおもしろくなったりすることがすごいことだと思いました。短歌などが身近にあることもわかりました。(中1N)


まったく興味がなくて、どんなものか全く知らなかったけれど、色んな短歌を見てみて韻文という小さな事からたくさんのものが生まれて人に楽しみをあたえてくれる短歌はとても素晴らしいなと思いました。詩歌でもいろんな種類があって、昔のものから今のものまでいろんな時代の詩歌を楽しめるという面でも素晴らしいなと思います。
詩歌を全く知らなかった私が、詩歌の全てを知りつくしたようで、なんかうれしかったです。またの機会で、いろんな詩歌を教えてもらいたいです。(中1A)


理解できる短歌もあれば、いっけん何を言っているのか分からない場合もあるけれど、それが面白さである。
詩歌には全く興味がなかったけれど、藤枝さんの話を聞いて、色々な感じ方があり、もやもやが残る場合もあるそうで、とても面白いなと思いました。
「「「「「「「「蚊」」」」」」」」
の歌が不思議だと思いました。何を伝えたいのかは分からないけれど、何か心躍るような気持ちがありました。学校で習う時も、教材や問題というより、一つの歌として向き合うべきだと思う事ができました。見方を考えることが大切だと思いました。(中1M)


私は詩、短歌、俳句などにふれることがあまりなかったけれど、今日紹介していただいた詩を見て、とても奥深いものなんだなと思います。あまり意味が分からない物が多いイメージがあり、あまり好きになれていなかったけれど、今日あまり理解できなくても、もやもやすることが良い魅力だと言うことを学びました。これから詩歌を読むときは、それを頭に考えてみたいと思います。しかし、
水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水
はまったく分かりません。悔しいけれど、傾くと、というのが耳を通る水で、盗聴とつながっているということが分かったのでうれしかったです。
とても話が面白く、少し詩歌に興味がわきました! 少し意味の分からないものも、そういう魅力があるということを知りました。藤枝さんは「水仙と盗聴」をどう感じ考えましたか? 私は
「「「「「「「「蚊」」」」」」」」
の詩が好きでした!!(中1U)


これから短歌を興味持って調べたりしたいと思った。本やまんがと同じ感覚で読んでみようと思った。短歌も文章だから、本と同じように読んだらおもしろいかも!(中1O)

藤枝大さんの講演 サマー合宿(中1・中2)& 夏合宿(中3)_d0116009_19545759.jpg

子どもたちは日ごろ、国語という「教科」を通して詩歌に触れていて、そのことが詩歌の魅力を殺してしまっています。
詩歌は解くべき「教材」であって味わうものではなく、意味を正確に理解しなければならないものになってしまっています。だから、詩歌に得意も苦手もないはずなのに「詩などを読むことが苦手」だと思い込んでいる子もいます。

私もこの歳になってようやく詩歌の面白さが少しずつわかってきて、そうすると、小学校低学年の頃から教科書で毎年のように谷川俊太郎さんの詩に出会い続けている子どもたちが詩や歌に興味を持てない、むしろ嫌いになっているのはかなりおかしいんではないか?と思うようになりました。

そしてその理由は、詩歌の「教材」化、そして、何より授業をする先生たちが詩歌を愛していないところにあるのではないかと思うようになりました。そこで今回、私は藤枝さんに子どもたちに詩歌の魅力を伝えてほしいとお願いしました。藤枝さんの「好き」の熱量こそが、子どもたちに何かを伝えるために最も大切なことだと思ったからです。

そして、子どもたちの感想を見ると、全員ではないかもしれないけれど、確かにその熱量が伝わっている。
詩歌の魅力自体より、藤枝さんの「好き」の熱量そのものにあてられてしまった子もいる。
だから、藤枝さんにお話をしてもらって、本当によかったと思います。ありがとうございました。

藤枝さんが紹介し、そして子どもたちが感想の中で綴った短歌や川柳たち、すごく面白いですよね。
先月、藤枝さんが関わった書籍、『はじめまして現代川柳』(小池正博編著・書肆侃侃房)が刊行されました。こちら、瑞々しい現代川柳が解説とともに作家別にたくさん紹介されていて、まさに現代川柳の決定版と言える1冊に仕上がっています。同じ作家の川柳をひとつひとつ読んでいくと、その作家の手ぐせが見えてくるんですね。それが楽しくてしかたがない。刺激的な1冊、ぜひ手に取ってみていただきたいです。





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by terakoyanet | 2020-11-04 19:55 | 行事・イベント | Trackback | Comments(0)

沖縄タイムズ、北國新聞、北日本新聞、高知新聞、そして今朝の福井新聞など、全国各紙に次々と『おやときどきこども』の書評が掲載されています。
全国各紙に『おやときどきこども』書評掲載_d0116009_09542041.jpeg

教育ジャーナリストのおおたとしまささんの書評。「子どもを見る」ことに心血を注いできた人ならではのあざやかな内容に思わずうなりました。ほんとうにありがたいです。



一昨日は、nippon.comのサイトに、編集者の幸脇啓子さんによる書評が掲載されました。

ときに周りの子と比べ、ときに勝手に理想像を当てはめる。子どもに多くを望む感情は、「欲張り」を通り越し、「強欲」という言葉がしっくりくる。たった数年で、私も驚くほど強欲になってしまった。

そう語る幸脇さんの文章はリアリティあふれる実感のこもった内容で、引き込まれました。


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by terakoyanet | 2020-09-13 10:06 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

週刊文春に掲載された山崎ナオコーラさんの書評が、今朝、文春オンラインに掲載されました。
以下で全文をお読みいただくことができます。



山崎ナオコーラさん。その小説の中にはどこかぎこちない人たちと、彼らによるぎくしゃくした対話が出てきます。そしてそのエッセイの中には細かすぎて伝わりにくい居心地の悪さや違和感、そしてその背後にある情念が描かれます。いつもブツブツと呟きながら、自分はどうなんだと考えを膨らましながら、そしてときおり武者震いしながら、山崎ナオコーラさんの本を読んできました。そんな山崎さんに「読み物として素晴らしい」と言ってもらえたことはとても嬉しいです。

処方箋を綴れば実用書になる。個別性を描こうと思うなら文学がいちばんいい。哲学の普遍も、実用の一般化も、文学を一度透過することで個別の光を宿したままに普遍を照らせるかもしれない。だから、文学の力を借りることで、哲学に触れ、同時に実用にも耐えうる読み物をという野心のもとで書いたのが『おやときどきこども』です。だから、この数日、文学ラインの感想が届いてとても嬉しいです。


この記事がYahoo!ニュースでも流れ、さらに翻訳家の村井理子さんのおすすめツイートも重なり、『おやときどきこども』が瞬間値ながら、楽天の本・雑誌・コミックランキング(リアルタイム)で鬼滅の刃を抜いて1位になりました。Amazon品切れ(総合181位)の影響で楽天に流れたと思われます。最初で最後だと思うのでぜひ見納めてください。

山崎ナオコーラさんの書評のこと_d0116009_12061586.jpg


この画像は詩人の三角みづ紀さんが首位記念にスクショしてくださったもの。
人生何があるかわからないなあと思いながら、今日も粛々と授業の準備をしています。








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by terakoyanet | 2020-08-23 12:17 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)

6月末刊行(本の奥付では6月25日刊行)の『おやときどきこども』(鳥羽和久著/ナナロク社刊)が、全国の書店に並び始めました。



とらきつねではさっそく100冊が完売、アマゾンでも上位発進となりました。読まれた方からは、さっそく感想も届いています。ありがとうございます。ナナロク社のnoteにて、『おやときどきこども』の全国お取り扱い店が掲載されました。こちらにも挙げさせていただきますが、お取り扱い店は今後さらに増えるものと思います。

以下ナナロク社noteより

・・・・

6月下旬刊行、鳥羽和久著『おやときどきこども』の取扱店ほぼ一覧です。
最近の注文で本が未着の場合や、すでに完売して店頭品切もあるため、ご来店前には確認をおすすめいたします。また掲載には注意しておりますが、完全にするのは困難で、未掲載の書店様や、このお店にもありました報告などぜひぜひお寄せくださいませ。なお、お取り扱い希望の方は注文サイト「一冊!取引所」やナナロク社までお気軽にご連絡ください。
電話:03-5749-4976 メール:choku(渦まーく)nanarokusha.com

『おやときどきこども 』にたくさんのコメントをいただきました


都道府県別の取扱店(6/20更新)

■北海道
BOOKS HIROSEジャスコ店
MARUZEN&ジュンク堂書店 札幌店
TSUTAYA 小樽店
TSUTAYA 木野店
ヴィレッジヴァンガード イオンモール釧路昭和
くまざわ書店 アリオ札幌店
コーチャンフォー 旭川店
コーチャンフォー 釧路店
コーチャンフォー 北見店
コーチャンフォー ミュンヘン大橋店
コーチャンフォー 新川通り店
コーチャンフォー 美しが丘店
ジュンク堂書店 旭川店
岡本書店 恵庭店
紀伊國屋書店 札幌本店
宮脇書店 帯広店
江別 蔦屋書店
三省堂書店 札幌店
函館栄好堂 丸井今井店

■青森県
BOOK CITYモア ベイブリッチ店
くまざわ書店 五所川原店
ジュンク堂書店 弘前中三店
ブックスモア 青森中央店
金入 下田店
金入 番町店
成田本店サンロード店

■岩手県
NET21伊吉書院 B・N・O二戸店
エムズ書店
ジュンク堂書店 盛岡店
リラパークこなり

■宮城県
TSUTAYA ヤマト屋書店東仙台店
あゆみBooks 仙台一番町店
ヴィレッジヴァンガード イオンモール名取
くまざわ書店 仙台エスパル店
ジュンク堂書店 仙台TR店
ヤマト屋書房 仙台長命ケ丘店
丸善 仙台アエル店
宮脇書店 気仙沼店
曲線
金港堂石巻店
蔦屋書店 多賀城市立図書館

未来屋書店 石巻店
未来屋書店 利府店

■秋田県
BOOKSアルファ
ジュンク堂書店 秋田店
ブックスモア 湯沢店
ブックスモア 秋田潟上店
ブックスモア 大曲店
ブックスモア 鷹巣店
ブックスモア 本荘店
ブックスモア 大館店
未来屋書店 秋田店
未来屋書店 大曲店

■山形県
TENDO八文字屋
戸田書店 三川店
戸田書店 山形店
八文字屋北店

■福島県
スクラム鏡石店
Go Go Round This World!Books&Café
ジュンク堂書店 郡山店
みどり書房 福島南店
宮脇書店須賀川店
鹿島ブックセンター

■茨城県
ACADEMIA くまざわ書店 イーアスつくば店
TSUTAYA LALAガーデンつくば
くまざわ書店 取手店
セキグチ書店
リブロ ひたちなか店
丸善 水戸京成店
丸善 日立店
蔦屋書店 ひたちなか店
未来屋書店 イオン土浦店
未来屋書店 つくば店

■栃木県
BOOKSオオイデ
TSUTAYA 宇都宮東簗瀬店(うさぎや 簗瀬店)
うさぎや TSTAYA宇都宮戸祭店
うさぎや 宇都宮テクノ店
うさぎや 宇都宮駅東口店
うさぎや 作新学院前店
うさぎや 自治医大店
うさぎや 栃木城内店
うさぎや 矢板店
くまざわ書店 宇都宮インターパーク店
くまざわ書店 宇都宮店
喜久屋書店 宇都宮店
未来屋書店 佐野新都市店

■群馬県
くまざわ書店 伊勢崎店
くまざわ書店 高崎店
ブックマンズ アカデミー太田店
喜久屋書店 太田店
紀伊國屋書店 前橋店
戸田書店 桐生店
戸田書店 前橋本店
煥乎堂 前橋本店

■埼玉県
ACADEMIA 菖蒲店
MARUZEN 丸広飯能店
TSUTAYA 所沢北野店(うさぎや山口店)
TSUTAYA 大利根店(うさぎや大利根店)
ycvox ワカバウォーク店
オークスブックセンター 岩槻店
くまざわ書店 アズセカンド店
ジュンク堂書店 大宮高島屋店
リブロ ララガーデン春日部店
丸善 桶川店
紀伊國屋書店 さいたま新都心店
紀伊國屋書店 浦和パルコ店
三省堂書店 大宮店
蔦屋書店 フォレオ菖蒲店
未来屋書店 大宮サティ店
未来屋書店 与野店

■千葉県
ACADEMIA くまざわ書店 ちはら台店
くまざわ書店 ペリエ千葉本店
くまざわ書店 稲毛店
くまざわ書店 松戸店
くまざわ書店 津田沼店
くまざわ書店 柏高島屋ステーションモール
くまざわ書店 本八幡店
ジュンク堂書店 南船橋店
ジュンク堂書店 柏モディ
ときわ書房 志津ステーション
ブックエース 成田赤坂店
ブックファースト 野田アプラ店
丸善 津田沼店
喜久屋書店 松戸店
紀伊國屋書店 流山おおたかの森店
三省堂書店 千葉BP店
蔦屋書店 イオンモール幕張新都心
蔦屋書店 茂原
未来屋書店 成田店
未来屋書店 木更津店

■東京都
ACADEMIA くまざわ書店 桜ヶ丘店
BOOKSルーエ
HMV&BOOKS HIBIYAコテージ
TSUTAYA 浜田山店
Title
オリオン書房 イオンモールむさし村山店
オリオン書房 ノルテ店
オリオン書房 ルミネ店
かもめブックス
くまざわ書店 IY武蔵小金井店
くまざわ書店 グランデュオ蒲田店
くまざわ書店 錦糸町店
くまざわ書店 昭島店
くまざわ書店 大泉学園店
くまざわ書店 池袋店
くまざわ書店 調布店
くまざわ書店 田園調布店
くまざわ書店 田町店
くまざわ書店 八王子店
くまざわ書店 品川店
くまざわ書店 武蔵小金井北口店
コーチャンフォー若葉台店
サンブックス浜田山
ジュンク堂書店 吉祥寺店
ジュンク堂書店 大泉学園店
ジュンク堂書店 池袋本店
ジュンク堂書店 立川高島屋店
ツタヤブックストア APIT東雲店
ブックスオオトリ 高円寺店
ブックファースト ルミネ北千住店
ブックファースト 新宿店
青山ブックセンター本店
本屋B&B
往来堂書店
丸善 お茶の水店
丸善 丸の内本店3F
丸善 後楽園メトロ・エム店
丸善 多摩センター店
丸善 日本橋店
丸善&ジュンク堂書店 渋谷店
紀伊國屋書店 新宿本店
紀伊國屋書店 玉川高島屋店
紀伊國屋書店 国分寺店
教文館 ナルニア国
今野書店
三省堂書店 神田神保町本店
三省堂書店 下北沢店
三省堂書店 経堂店
三省堂書店 成城店
三省堂書店 池袋本店
三省堂書店 東京ソラマチ店
三省堂書店 有楽町店
山下書店 綾瀬東口店
書楽
松屋浅草ブックショップくまざわ書店 浅草店
未来屋書店 板橋店
増田書店
代官山 蔦屋書店
中目黒 蔦屋書店
東京堂書店 神田本店
八重洲ブックセンター イトーヨーカドー武蔵境店
福家書店 アリオ北砂店
芳林堂書店 高田馬場店

■神奈川県
ACADEMIA くまざわ書店 橋本店
くまざわ書店 ジョイナステラス二俣川店
くまざわ書店 横須賀店
くまざわ書店 大船店
くまざわ書店 鶴見店
ACADEMIA くまざわ書店 港北店
BOOK EXPRESSリエール藤沢店
BOOKSHOP Kasper
TSUTAYA 菊名店
TSUTAYA 平塚真土店
いけだ書店新逗子店
ヴィレッジヴァンガード 青葉台東急スクエア
くまざわ書店 ランドマーク店
くまざわ書店 相模大野店
ジュンク堂書店 藤沢店
ブックファースト ボーノ相模大野店
ブックファースト 青葉台店
丸善 ラゾーナ川崎店
丸善 横浜みなとみらい店
紀伊國屋書店 ららぽーと横浜店
紀伊國屋書店 横浜店
三省堂書店 新横浜店
本屋生活綴方
未来屋書店 相模原店
未来屋書店 大和店

■新潟県
ジュンク堂書店 新潟店
戸田書店 長岡店
知遊堂 三条店
未来屋書店新潟南店

■富山県
Booksなかだ本店
紀伊國屋書店 富山店
文苑堂書店 戸出店
文苑堂書店 小杉店
文苑堂書店 藤の木店
文苑堂書店 富山豊田店
文苑堂書店 本郷店
明文堂書店 滑川店
明文堂書店 富山新庄経堂店
明文堂書店 富山有沢橋店

■石川県
北国書林 松任店
明文堂書店 TSUTAYA KOMATSU

■福井県
ヴィレッジヴァンガード フェアモール福井
わおん書房

■山梨県
ジュンク堂書店 岡島甲府店
天真堂書店 国母店
夢屋書店アピタ石和店
朗月堂 本店

■長野県
BOOKS&CAFE ニシザワいなっせ店
ブックス西沢 宮田店
改造社書店 松本駅店
笠原書店 岡谷本店
丸善 松本店
蔦屋書店 佐久小諸店
平安堂 あづみ野店
平安堂 伊那店
平安堂 若槻店
平安堂 新長野店
平安堂 諏訪店
平安堂 川中島店
平安堂 東和田店
平安堂 飯田店

■岐阜県
ACADEMIA くまざわ書店 大垣店
丸善  岐阜店
三省堂書店 岐阜店
草叢BOOKS 各務原店
徒然舎

■静岡県
MARUZEN&ジュンク堂書店 新静岡店
マルサン書店 仲見世店
戸田書店 江尻台店
戸田書店 藤枝東店
戸田書店 富士宮店
戸田書店 富士店
焼津谷島屋 アピタ大仁店
未来屋書店 浜松市野店
喫茶スズメ(24cafe内)

■愛知県
ON READING
ジュンク堂書店 名古屋栄店
ジュンク堂書店 名古屋店
ちくさ正文館本店
丸善 名古屋本店
丸善 アピタ知立店
丸善 イオンタウン千種店
丸善 ヒルズウォーク徳重店
三省堂書店 一宮店
三省堂書店 名古屋本店
正文館書店 本店
精文館書店 新豊田店
未来屋書店 新瑞橋店
未来屋書店 大高店
未来屋書店 熱田店
未来屋書店 豊田店
名古屋みなと 蔦屋書店

■三重県
ウイズ・ユー
ヴィレッジヴァンガード イオン鈴鹿
ゲオ 鈴鹿磯山店
コメリ書房 松阪店
丸善 四日市店
未来屋書店 鈴鹿店

■滋賀県
サンミュージック 長浜店
ジュンク堂書店 滋賀草津店
天晨堂ビバシティB.C

■京都府
ホホホ座
メリーゴーランド
恵文社
誠光社
ACADEMIA くまざわ書店 けいはんな店
TSUTAYA AVIX福知山店
TSUTAYA 京都リサーチパーク店
くまざわ書店 京都ポルタ店
くまざわ書店 四条烏丸店
くまざわ書店 桃山店
さとうバザールタウン舞鶴書籍売場
ふたば書房 御池ゼスト店
ブックパル 文苑五条店
丸善 京都本店
大垣書店 烏丸三条店
大垣書店 京都ヨドバシ店
福島文進堂 福知山本店
平和書店 TSUTAYA 興戸店
未来屋書店 高の原店

■大阪府
blackbird books
葉ね文庫
「本」のお店 スタントン
ACADEMIA くまざわ書店 すみのどう
MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店
TSUTAYA 貝塚26号線店
くまざわ書店 阿倍野店
くまざわ書店 天王寺店
ジュンク堂書店 高槻店
ジュンク堂書店 上本町店
ジュンク堂書店 天満橋店
ジュンク堂書店 難波店
ジュンク堂書店  近鉄あべのハルカス店
ジュンク堂書店 大阪本店
スタンダードブックストア
ヒバリヤ書店 本店
ブックファースト デュー阪急山田店
リーディングスタイルあべの店
リブロ なんばウォーク店
丸善  高島屋堺店
丸善 八尾アリオ店
丸善  高島屋大阪店
喜久屋書店 阿倍野店
紀伊國屋書店  天王寺ミオ店
紀伊國屋書店 グランフロント大阪店
高坂書店 八尾萱振店
大垣書店 高槻店
大垣書店 豊中緑丘店
梅田 蔦屋書店
未来屋書店 大阪ドームシティ

■兵庫県
おひさまゆうびん舎
1003
TSUTAYA BOOK STORE  加古川ミーツテラス
TSUTAYA 阪急伊丹駅前店
TSUTAYA 西脇店
くまざわ書店 尼崎店
ジュンク堂書店 芦屋店
ジュンク堂書店 三宮駅前店
ジュンク堂書店 三宮店
ジュンク堂書店 神戸住吉店
ジュンク堂書店 西宮店
ジュンク堂書店 姫路店
ジュンク堂書店 明石店
ブックファースト 阪急西宮ガーデンズ店
旭日書店 ららぽーと甲子園
関西学院大学生協書籍部
西村書店
未来屋書店 伊丹店
未来屋書店 明石店

■奈良県
ジュンク堂書店 奈良店
ジュンク堂書店 橿原店
とほん
旭屋書店 イオン奈良登美ケ丘店

■和歌山県
TSUTAYA WAYガーデンパーク若山店

■鳥取県
ブックセンターコスモ 吉方店

■島根県
ブックセンタージャスト新大田店

■岡山県
TSUTAYA 山陽店
丸善 岡山シンフォニービル店
喜久屋書店 倉敷店
宮脇書店 総社店
啓文社 岡山本店
未来屋書店 岡山店

■広島県
READAN DEAT
ジュンク堂書店 広島駅前店
丸善&ジュンク堂書店 広島店
紀伊國屋書店 広島店
紙片
中国堂書店

■山口県
ヴィレッジヴァンガード イオンタウン防府
くまざわ書店 下関店
ロバの本屋
宮脇書店コープ湯田店

■徳島県
ヴィレッジヴァンガード フジグラン北島

■香川県
ヴィレッジヴァンガード イオン高松店
くまざわ書店 高松店
ジュンク堂書店  高松店
本屋ルヌガンガ

■愛媛県
TSUTAYA BOOK STORE 重信店
ジュンク堂書店 松山店
蛙軒
新丸三書店 本店
明屋書店 MEGA西の土居店
明屋書店 大洲店

■福岡県
HACHIJU-ICHI
MINOU BOOKS&CAFE
taramubooks & cafe
TSUTAYA 中洲gate’s店
TSUTAYA 老司店
ヴィレッジヴァンガード イオン福岡伊都店
ヴィレッジヴァンガード 福岡ビアウォーク
くまざわ書店 サンリブもりつね店
くまざわ書店 小倉店
くまざわ書店 福岡西新店
くらすこと
とらきつね
ジュンク堂書店 福岡店
ノドカフェ
福岡おもちゃ箱
フタバ図書 GIGA春日店
フタバ図書 TERA福岡東店
ブックスキューブリック けやき通り店
ブックスキューブリック 箱崎店
ブックセンタークエスト小倉本店
メトロ書店 フレスタ千早店
リブロ 福岡天神店
縁側
丸善 博多店
喜久屋書店 小倉店
紀伊國屋書店 福岡本店
紀伊国屋書店 天神イムズ店
紀伊國屋書店 ゆめタウン博多店
紀伊國屋書店 久留米店
黒木書店 長住店
西南学院 大学生協書籍部
積文館書店 大野城店
積文館書店 天神地下街店
蔦屋書店 イオンモール筑紫野
福岡金文堂本店
福家書店 福岡木の葉モール橋本店
本のあるところajiro(書肆侃侃房)
未来屋書店 八幡東店
未来屋書店 福岡伊都店
未来屋書店 福津店
明屋書店 行橋店
明屋書店 小倉沼新町店

■佐賀県
TSUTAYA 鳥栖店
ブックス グリーン ウッド小城店
紀伊國屋書店 佐賀店

■長崎県
TSUTAYA BOOK STORE させぼ五番街店
TSUTAYA 広田店(蔦屋書店 広田店)
くまざわ書店 佐世保店
ひとやすみ書店
紀伊國屋書店 長崎店

■熊本県
TSUTAYA AVクラブ田崎店
TSUTAYA 天草店
ブックスまるぶんイオン天草店
本屋と活版印刷所
紀伊國屋書店 熊本はません店
紀伊國屋書店 熊本光の森店
長崎書店
橙書店
蔦屋書店 嘉島店

■大分県
くまざわ書店 大分店
ジュンク堂書店 大分店
紀伊國屋書店 アミュプラザおおいた店
大分大学生協書籍部
明林堂書店 大分本店

■宮崎県
くまざわ書店 延岡店
りーぶる金海堂 クロスモール店
宮崎大学生協書籍部

■鹿児島県
ジュンク書店鹿児島店
ブックスミスミオプシア
丸善 天文館店
紀伊國屋書店 鹿児島店

■沖縄県
ヴィレッジヴァンガード イオ読谷
ジュンク堂書店 那覇店
田園書房 つかざん店
未来屋書店 沖縄ライカム店

・・・


6月18日に毎日新聞朝刊にて『おやときどきこども』についての記事が掲載されました。
上村記者は本を読み込んでこの記事を書いてくださり、とてもありがたく思いました。







とらきつね on Facebook 随時更新中です。


by terakoyanet | 2020-06-21 21:31 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)

先日、小6の国語の授業でも取り上げた茂木健一郎さんの欲望する脳には、アルベルト・アインシュタインの次の言葉が引用されています。

「ある人の価値は、何よりも、その人が自分自身から解放されているかということによって決まる」

茂木さんはこの言葉を引用したあと、「自分自身に囚われてしまうというのは、人間の哀しい性(さが)」であり「避けられない傾向」であるとしながらも、次のように言います。

「私」という主語に囚われることは、この世界の真実に目を閉ざすことを意味する。科学とは、「私」に拘泥せず、この世界の様々なものの「相手の立場」に立って考える営みである。そのことは、「私」というブラックボックスから解放されることで初めて可能になる。

ニュートンも「私」の見方から離れ「リンゴの気持ち」になって「どうして私は下に落ちなければならないのか」と想像してみたからこそ、万有引力の法則を発見したのだと茂木さんは言います。「私」という囚われから解放されることで、世界が開けて見えるようになるのです。

でも、私たちは「私」という囚われから自らを解放するなんてことが、本当に可能なのでしょうか。茂木さんは次のように言います。

もちろん、いくら他者のことを想像するといっても、最終的に思考を進めているのは「私」の主観であることには変わりない。私たちは、決して「自分自身」から完全に解放されることはないのだ。

アインシュタインが「自分自身から解放される」ことの価値を強調した時、脳裏にあったのは自我の完全な消滅や、「私」という立場の特別性自体の否定ではなかったろう。その意中にあったのは、「私」が世界の中で特別な意味を持ち続けることは認めた上で、世界の中の様々な他者と行き交うために、思想的な工夫を凝らすということであったはずだ。太字は引用者)


ニュートンがリンゴの立場になって考えてみたのも、「自分自身から解放されるための思想的な工夫の一つ」なんです。
他者と出会い、他者に関心を持ち、他者への思いやりの心を芽生えさせ、そして他者の心に気づいて他者をもう一度発見する。その過程で私たちは「自分自身から解放されるための思想的な工夫」をひとつ身につけていくのでしょう。そして、それが「大人になる」ことの意味のような気がします。




先日から、拙著『親子の手帖』に写真家の植本一子さんが寄せてくださった帯文、

私たちは子どもたちのために
もう一度「大人」になる必要がある


について改めて考えていました。「大人になる」っていったいどういうことだろうかと。
だから、小学生と茂木さんの『欲望する脳』を読みながら、「大人になる」というのは、そういうことじゃないかと考えたのです。



哲学者の東浩紀さん(今月発売の『おやときどきこども』に帯文をいただきました)の最近の「大人」に関するツイートには、「大人」になりきれない大人への批判が綴られています。大人になりきれない大人、子どものふりをする大人というのは、「私」という主語への回帰をすることで世界に対して目を閉ざしていて、しかもそれを自分の中で正当化してしまっています。そんな大人ばかりだから世界は一層悪くなっていく。そのことに対して東さんは警鐘を鳴らしていると感じます。

私は今月出す『おやときどきこども』で「大人が子どもと出会い直す」ことについて書きました。これは「自分自身から解放されるための思想的な工夫」を私なりに一つ示したものです。寺尾紗穂さんがまさに帯に書いてくださったとおり、大人たちが、いかに子供の言葉を奪い、自らも言葉を手放してしまったかについてできるだけ詳らかに書いたつもりです。

しかし、これは大人に対して子どもへの回帰を呼びかけるものでは決してありません。子ども性のようなものの再獲得を求めるものでもありません。大人になりきれない大人は、自分の中の「子ども」がいまだに成仏していなくて、だからこそいつまでも「子ども」のままです。だから、そんな人たちがこの本でいつの間にか奪われてしまった自らの中の「子どもの声」をもう一度確認して手当てすることで、「大人になる」ということを真剣に考えるための本として企図しました。

私たちは子どもたちのために
もう一度「大人」になる必要がある

植本一子さんが寄せてくださったこの言葉が、今この混乱した世の中でいっそう切実さを増して響いています。


「大人になる」ということ。_d0116009_00103283.jpg
いま寝る前に読んでいる3冊。どれもめちゃくちゃ読み応えありです。


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by terakoyanet | 2020-06-11 00:11 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

私は「おやときどきこども」を読んで、母親や教師などのどんなをレッテルを持つ人でも、もとはひとりの人間なんだと気づかされました。

私は、中学生のとき教師に対して多くの不満を抱いていました。「教師」という職業に就いたからには、完璧にその仕事をこなしてほしい。生徒のことをちゃんと考えてほしい。そんなことばかり思っていました。

しかし、この本を読み終えた今では教師を、「教師」というレッテルをはがしてみることでそのひとはそのひとなりの努力をしていたんだろうなぁと、受け入れることができました。それと同時に自分のこころにゆとりができたような気分がしました。

この本はたぶん大人に向けて書かれた作品だろうと思います。けれど、わたしみたいなまだ親のもとで暮らしているこどもが読むことで、親にたいする見方が少なからず変化すると思います。

私の母親は勉強に対して厳しい人です。高校の定期テストで順位を落とすと、部活を辞めさせると脅されたこともあります。正直、母親のことは全く理解できませんでした。「脅したことで成績があがるわけないじゃないか。」と、こころのなかでつぶやいていました。でも親の気持ちを少し理解できた気がします。私の母親もきっと私のことを考えこみすぎてこんな言葉をくちにしたんだと思います。こんなふうに考えれる余裕ができたのは、この本を読んでからです。

鳥羽先生の生徒のひとりとして、これはいつも生徒全員と真摯に向きあって、一緒になって悩んでくれる鳥羽先生だからこそ書ける文章だなと読んでいながらずっとおもっていました。鳥羽先生らしい本だとすごく思います。とても考えさせられる本でした。

・・・

高校生のあやかさんが、版元のナナロク社に『おやときどきこども』の感想を寄せてくれました。自分に引き寄せて読んでくれて、これを読んだだけでも書いてよかったなーと思いました。

あやかさん、私の本に寄り添って書いてくれたから上のような書き方になったと思うのですが、日ごろから彼女からは親への愛情や感謝のようなものがひしひしと伝わってきます。多忙な中、版元から送られてきた原稿を読んでくれて感想を書いてくれたみたいで、本当にありがとう。

本が出たあと、読んでくれた卒業生、在校生がいたら感想を聞かせてください、




AI-amのよっぴー(吉田 晃子 さん)、まりん(星山 海琳 さん)が版元のナナロク社に『おやときどきこども』の感想を寄せてくださいました。この感想が届いた日、感動のビッグウェイブが出版社を襲ったそうです。

感想というか、これはもう、「大人」と「子ども」の間の関係についてつづった掌編です。以下、読んでみてください。

・・・・

親にも、子どもにも、ひとつずつの孤独がある。「わかる」ではなく「わからない」を知る鳥羽さんの言葉は、こんなにもよく聴こえてくる。

学習塾という場所は、ときどき、数値ばかりが建物を覆っているかのように見えてしまう。けれどその場所で鳥羽さんは内側からの声を見せあい、孤独と孤独のままに交わり、人間の淋しさと切実さを受容する。安全靴を履かせようとはせずに、地面の感触をたしかめる一人ひとりの裸足を見ている。そして子どもたちは鳥羽さんを介して「私」を再発見し、発展させていく。それはまちがいなく、本質的な教育の空間だ。

大人は、長い年月をかけて「正しさ」の病に侵されてきた。親は、子どもが子ども自身の「私」と握っていた手を外し、「正しさ」へ押しこめていく。人間は割り切れないものなのに、偶数の存在であることを求めてしまう。けれど鳥羽さんのひたむきな言葉は、「私」を味わう時間を切り詰められてきた親と子のあいだに引かれた境界線を滲ませていく。わからなさ、割り切れなさへと近づく勇気を灯し、親が帰るべき「いま」を見せてくれる。

この本を読んでいるあいだ、わたしたちはひとりになる。そして、その喜びを湛えて大切なひとのそばへ行き、ひとつずつの孤独で呼応しあうのだ。

https://note.com/nanarokusha/n/n402f6b4085e3

(他のご感想は後日紹介します。ありがとうございます。)


高校生のあやかさんとAI-amのおふたりからの感想(『おやときどきこども』)_d0116009_11181756.jpg



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by terakoyanet | 2020-06-10 11:23 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)

6月末に刊行される『おやときどきこども』ですが、新しい紹介文が公開されています。

「大人はデフォルトで絶望のくせに、子どもに希望を持てとかほんとダサいし。私はそもそも絶望してないから。私の言ってること、わからないでしょ。」

「正しさ」を手放したところから始まる、新しい人間関係のあり方をリアルな事例とこれまでにない考察でつづる本。
福岡市のど真ん中で小中高生たち150余名の子どもたちと日々奮闘する著者が、まさにいまの親子が抱えるリアルな問題を、子どもたち自身の生き生きとした語りを通して描き出します。

私たちはいつのまにか大人になる過程で、子どものころの私の声を失ってしまった。
だから、私はいま目の前にいる子どもと交われないんじゃないかな。
子どもの声を聞いて、もう一度、私の声を取り戻す。
この本には、そのための心で温めたいストーリーが詰まっています。

東浩紀さんの『ゲーム的リアリズムの誕生』、國分功一郎さんの『中動態の世界』、齋藤環さんの『オープンダイアローグとは何か』をはじめ、平成から令和を代表する人文書を通して、現代の子どもや家族の問題を取り扱っていますので、取っつきにくい専門書の入門編としてもおすすめ。現代思想を「実装」すると教育はこんなふうになるのか、という臨場感に溢れています。そして、子どもたちが紡ぎ出すストーリーの奥からは、最果タヒ、米津玄師、マヒトゥ・ザ・ピーポーら、現代のアイコンたちの歌が響いてきます。


・・・

今日は2章のご紹介です。
2章は、「大人の葛藤の中身」。今回の本は明確に「子ども」を主人公としているのが『親子の手帖』と一線を画しているのですが、この章は唯一「大人」が子どもに接する際のエラーをさまざまに取り扱っているという意味で、『親子の手帖』に連なる内容になります。

2 大人の葛藤の中身
子どもは簡単に自分を責めてしまう/よそよそしい家族/がんばっているのに、成績が伸びない/子どもの生き方は、もう決まっている/思春期の子どもがわからない/呪いでない宝はない/えこひいきする先生/遊びと企て

電話をかけてきたお母さんは、子どもの葛藤を知っています。ちゃんとがんばらなくちゃと思っているのに、さまざまな理由からしんどくて立ち向かえない彼女のことを知っています。知っているからできるだけ彼女に寄り添って応援しようとします。ときには具体的にあれこれと援助しようとします。それでも、子どもからすれば、親の行動は初めから結論ありきの大人の考えの押しつけと感じられてしまうので、鋭く反発します。お母さんにとっては、子を思う気持ちからよかれと思ってやったことですから、それが反発という形で無下に扱われるとどうしても怒りの感情が噴き出します。「いつも同じことばっかり言わせて。いい加減にしなさいよ。そんなことならもうやめてしまいなさいよ。」ついお母さんは子どもにきつい言葉を投げ掛けます。すると子どもはさらに反発を強め、ますます会話が成立しなくなります。
こういうときどうしたらいいでしょうかと、お母さんたちからたくさんの相談を受けてきました。


ふだんから「僕は勉強が苦手」だと言うある男の子。算数のテスト中に手が止まってしまった彼と目が合ったので、私は「が・ん・ば・れ」と口の動きで伝えました。すると、とたんに彼は口元をきゅっと結んでもう一度答案に取り組み始めました。私はその一瞬の彼のまっすぐさをいとおしく思いました。相対的な苦手意識より、彼の中にある絶対的な「好き」こそを発掘して、いっしょに味わっていきたいと思いました。


2章は、宿題のことで責めを受けたことをきっかけに学校に行かなくなった寿焼(としあき)くんの話から始まり、そして家庭内の葛藤を抑圧するばかりにあるよそよそしさをまとってしまった家族の問題、「良い子育て」の問題点などを取り扱っていきます。さらに、思春期の子どものことがわからなくなるのはなぜなのか、ということを具体的にほぐすような話をしたあと、親が子どもにかける「呪い」について、決してそれが一面的に負のものとして捉えられないことを明らかにします。最後に、私たちの日常生活の行動様式を「遊び」と「企て」に分けて考えることで、「遊び」を脱ぎ捨てて「企て」に身を投じることが「大人」になることである一方で、「企て」はいつまでも満たされない自己否定の循環であり、それが「大人」の病であることを明らかにしていきます。







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by terakoyanet | 2020-05-31 07:50 | おすすめの本・音楽 | Trackback | Comments(0)