2018年4月に新設する社会貢献型事業「ライトコース」の概要が決定しましたのでお知らせいたします。

□ライトコース

[スケジュール]
毎週水曜・土曜 19:30~22:30
●基本的に週2日×3時間、みっちり学習に励んでもらいますが、しかし、時間の都合が合わない場合は、時間の短縮が認められます。)
●不登校の方は、別枠を設けることが可能ですので、ご相談ください。


[授業内容]
●生徒がもってきた5科目自主課題(もってくるものについてはこちらでその都度指示しますが、学校の教科書やワークやこちらが指定したテキストなど)を集中して解いてもらいます。わからないところは専門の講師がその都度個別に解説し、さらに定着度をはかるために即席のテスト等も行います。
●学習習慣がほとんどないお子さまにとっては、週2日×3時間だけでも学習しなければならない環境に置かれるだけで、劇的な学習効果を上げるが期待できます。


[授業料]
●入会金6000円、及び月額4000円のみ(1時間あたりに換算すると約150円/hになります)


[ライトコース参加資格]
対象学年 中1・中2・中3
●ライトコースは、本校の「社会貢献型事業」に位置づけられているため、参加には条件がございます。
(1)現在の学校での成績がふるわないお子さま(成績がふるわない原因は問いません)
(2)母子家庭、その他の理由で、一般の塾に通うことが経済的に困難な方
(3)AS、ADHD等の発達障害や、性格上の理由で、集団の授業に参加することが難しいお子さま
●参加可能かどうかは三者面談で決定されますので、参加可能かどうかわからない方もまずはご連絡ください。
●申込みのお電話ではライトコースのことはお話しにならず、面談の際にそのことをご相談いただいてもかまいません。

ライトコースに参加するのは、周りの目が気になるから、という方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。しかし、本校のスタッフはもちろん、生徒や保護者さま方も含め、子どもにはそれぞれ、さまざまな事情があることを理解している人たちで成り立っている団体です。安心してご連絡ください。

また、ご自身ではなかなか踏み出せない方もいらっしゃるかもしれませんので、もしお近くに助けが必要な方がいる場合には、お声掛けをお願いいたします。


[ライトコースのオプション]
週2日の授業参加のほかに、オプション授業(1対1個別指導、その他)への参加も可能です。



どの子どもにも、学びを楽しいものに変えるチャンスがあるべきだと思っています。
心を込めて、一生懸命に指導しますので、よろしくお願いします。


*ライトコースでできないこと

(1)三者面談が行われません。  (2)成績資料が配布されません。


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ちなみに、1月31日現在の共通クラスの定員空き状況は以下のようになっています。


□定員状況(共通クラス) 
新小6 満員御礼 
新中1 あと名 
新中2 あと名 
新中3 満員御礼

高校生については、3月からの案内になりますが、4月からの入塾のご予約をすでに承っておりますので、ご希望の方はご連絡ください。



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by terakoyanet | 2018-01-31 13:55 | 生徒募集(定員空き状況) | Trackback | Comments(0)

新年度より、ライトコースを新設いたします。

ライトコース(対象は中学生・定員20名)は、勉強に自信が持てない子ども専用の新コースです。
このコースは週2回の授業(現共通授業の授業形態とは異なります)を月額4000円という価格で受けることができるコースです。ただし、受講には条件があります。


①直近の中学校の定期テストの5科目合計点が280点未満の生徒さん。(ただし学校の平均点が著しく低いテストの場合には基準が変わることがあります。)
②直近の中学校の内申点合計が25未満の生徒さん。
③その他、当校の共通授業に参加できない理由がある生徒さん。


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この7・8年、本校内の平均学力が上昇し、成績を伸ばしたい生徒たちにとって、より高みを目指すことができる良い環境になったのは確かですが、一方で、授業を一生懸命に聞いても、なかなか成績を上げることができない子たちに肩身の狭い思いをさせることもあったと思います。

しかし、学びの場というのは、本来、そういう学習に困っている子どもたちのためにあるものだと信じています。ですから、そういう子どもたちが、伸び伸びと勉強できる環境をつくりたいと思ってきました。また、家庭の事情にかかわらず、できるだけ多くの子どもたちが、良い環境のもとで学習する機会を得るべきだとも考えてきました。また、世の中の特待生制度(学習にかかる費用の免除制度)が成績優秀者一辺倒であることにも疑問を感じてきました。このことが、ライトコース開設の理由となりました。困っている子どもたちをなんとかしたいという、熱い気持ちで開設いたします。

本当に必要な子どもに参加してほしいという考えから、条件に当てはまる方のみの入校となることをご了承ください。
上の条件のうち、①②については面談の際に状況が確認できる書類の提出が必要となります。③については面談の際にお話しを伺って参加の可否を決定します。新中1でライトコースを希望する方は、小学校の状況を踏まえてのお話しになりますので、まずはライトコース参加の希望をお伝えください。

ライトコースに参加しているうちに、成績が上昇して参加条件に満たなくなった場合、または成績書類の提出が期限内にいただけない場合には、初めの3ヶ月は授業料月額8000円で受講していただくことができます(定員に空きがあれば共通授業生に合流も可能です)が、その後は、待機する入校希望生に席をお譲りいただきます。

ライトコースの授業の曜日スケジュール等は改めてお知らせいたします。
(現時点では水・土の夜が有力ですが、3月の正式決定までに変わるかもしれません。)


当校の教室と人員には限りがありますので、来年度のライトコースの新設にともない、これまでの一部の授業を縮小させていただきます。
①高校コースの共通授業の一部(英数理など希望者の少ない授業の一部)の廃止→個別指導対応に
②特別演習の縮小→毎週ではなく1か月または数か月に1度の開催になります



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by terakoyanet | 2018-01-09 12:49 | 生徒募集(定員空き状況) | Trackback | Comments(0)

発達障害について(1)

Aくんはいつも落ち着きがなく、勉強を始めても10分ももたずに机から離れてしまう子で、Aくんのお母様はいつも頭を抱えていらっしゃいました。お母様にとっては毎日が闘いの日々。Aくんを厳しく叱りつけ、なんとか机につかせ、「あなた30分でもいいから机について勉強しなさい」となんとか机の前に座らせる日々。しかし座っている時間より、座らせるためにかかる時間のほうがはるかに長く、お母様の日々の徒労感が痛いほど私にも伝わってきていました。

ある日、お母様にお会いすると、お母様は普段より明るい表情。
「Aを病院に連れていって・・・。発達障害があると言われたんです。ADHDだと。主人はうちにそんな子が生まれるわけがないといまだに納得していないところがあるんですが・・・。でも私はちょっと楽になったんです。うちの子が集中が続かない理由がわかって。いままで怒鳴り散らしていたのがAに悪かったと思って・・・。」

私はその話を聞いて、うむ・・・と思いました。特に「いままで怒鳴り散らしていたのがAに悪かったと思って・・・」の部分。イヤな予感がしたのです。
お母様の苦悩が緩和されたこと自体はよかったと思うのですが、しかし、Aくんにとって、今回の診断はどのような意味を持つのだろうと考えたときに、私には明るい展望が見えなかったのです。


(つづく:時間があるときに続きを書き、ひとつの記事としてまとめたいと思っています。)





唐人町寺子屋オフィシャルホームページはこちらです。
by terakoyanet | 2012-05-30 09:48 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

自閉症とは何か

私がこれまでの十数年の指導経験のなかで出会った、いわゆる自閉症とよばれる子どもたちは5人ほどです。

ひと口で自閉症と言っても、5人ともほんとうに五人五色、まったく個性の異なる子どもたちでした。
「風邪ぎみ」という言葉がありますが、自閉症にしても、AD(学習障害)にしても、鬱病にしても、健常と病態との境界はとってもあいまいで、「自閉症ぎみ」「ADぎみ」という感じが多いというのが実際のところだと思います。5人が病院でどのような経緯で、どのようなカテゴリーに入れられて、「自閉症」と言われたのかは私にはよくわかりません。ただ、わたしが面倒を見た子たちは、いわゆるアスペルガーとよばれるような、高機能の子たちが多かったかなという印象はかろうじてあります。

彼らのうち、女の子は2人いますが、女の子と接するのは異性のわたしにとってとてもとても難しいことでした。私は教える側の基本姿勢として、相手に愛情と関心を向け、相手の心に届くような言葉でもって指導することが大切だと思っているのですが、そういうこちらの考え、思いなどが全く相手(女の子)に伝わらない(ように感じる)とき、日ごろの私の指導の姿勢にある前提が音を立ててくずれるような感覚を覚えたこともありました。いまの私は、これらの経験によって、確かに相手に愛情を注ぐことは大事かもしれないが、ただし、その愛情が独りよがりであり、むしろ相手にとっては傲慢なものに見えてしまうこともある、ということを学んだと思っています。

一方で男の子たちは、とってもなついてくる場合があり、なつくどころか依存関係ができてしまって大変なこともありました。毎日のように私の自宅にやってくる子もいました。その子はほぼ毎日来るので毎日きちんとした応対ができるわけでもなく、実際には週に1・2回お話しできる程度でしたので、あるとき突然その子が激情によってうちに火でもつけたらどうしようと本当に不安になったこともありました。(これはけっして中傷ではありません。こういう不安というのはその状況にならないとわからないものだと思います。)

ある男の子は、指導の合間の休憩時間にいつもとっても楽しそうに私にジュースやお茶をついでくれ、毎回それを勧めてくれました。ただ、その男の子は常に全身をまさぐり続けるくせがあるので、勧めてくれる飲み物のなかには、しばしばよくわからない油みたいなものや鼻水などが浮いており、正直飲むのはとってもつらく、でも「飲んで!飲んで!飲んで!」「なんで飲まんと!!」とせがまれるので、その子を傷つけるわけにはいかず、息を止めてその飲み物を飲みほしたことも幾度かありました。

その子たちとのかかわりというのは、けっこうつらいことが多いのですが、でも、そのかかわりのなかで、ひとつだけわたしがゆずれないことは、その子たちは、けっして劣っているなどという理由で差別されるような対象にはなりえない、ということです。これはヒューマニズム的な考えで、人間皆平等なんてことを言っているのではありません。そうではなくて、ふつうに自然に考えて、その子たちにハンディはあっても、非は全くもってなく、そういう子たちを悪く(もしくは同情的に)言ったりする人がいるのは、単に悪く(もしくは同情的に)言う人たち側の問題であって、その子たちには全く関係のないことだということです。

子どもたちを抱えるご家族の苦労はすさまじく(私は「もうこんな子いやー!」というお母様の叫びを聞いたこともありますが、そのときはほんとうにどうしたらいいかわかりませんでした)、なんらかの支援が必要であることは確かです。でも、わたしは、その子どもたちを預かった教育や医療の現場においては、もっといまの前提を崩すようなやり方というのがあってもいいのではないかと思っています。いまの前提を崩すようなやり方というのは、健常と自身のことを思っている側が、もっと相手に寄り添って考えるということです。自分の立ち位置の安定を崩してでも、相手のほうに真剣に耳を傾けるということです。自分の方に相手を連れてこようとするのではなく、たまには自分から相手の方に行ってみようかとすることです。

自閉症をとおして私が考えたのは以上のようなことです。
by terakoyanet | 2007-06-29 17:23 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(6)

障害者とは何か

深夜の地元番組「ドォーモ」ではたまに「見えない生活」というコーナーがある。重度の視覚障害を持つ女の子が、いかに自分の障害にうまく対処し、逞しく元気に生活しているかをレポートしたものだ。このコーナーでいろいろ考えさせられる人も多いだろう。元気づけられたり勇気づけられたりする人も多いだろう。私も彼女すごいなあと思って見ている。

でもわたしがこの番組で気になるのは、番組制作側の決定的な鈍感さである。そしてそこは世間一般に通底する鈍感さを感じる。

この女の子がすごいのは「見えない」のに料理が作れるから、「見えない」のに買い物ができるからである。このコーナーは、「見えないのに」の枕詞がないと視聴者に何も訴えることができない。それを自ら露呈するかのように、このコーナーのタイトルは「見えない生活」である。

この番組で結局言っていることは「見えない」のに健常者とこれだけ同じことができますよ、すごいですね、ということである。わたしはこんなこと言っていたら、いつまでたっても障害者の方への偏見などはとっぱらうことはできないだろうと思う。だって、この「見えないのに」の視線は、あくまでも健常者と障害者という線引きをした健常者側から向けられており、しかも障害者の方が健常者と同じ性質を示すときに「すごい」と言われるようでは、最初から健常者側が「俺のほうが上ですから」ってことを前提してるということにもなりかねないのだ。

もちろん健常者側にそんなつもりも悪意もない。番組制作側にもそんなつもりはさらさらない。それはわかっている。でも、だからこそ、問題なのだ。これは、以前、乙武さんの「五体不満足」がはやったときにもとっても気になった問題だ。乙武さんへの数多くの激励と賛辞は、ときに彼を決定的に傷つけはしなかっただろうかと考えてしまう。

番組の女の子も乙武さんも才能がある。人に魅せるものを持っている。しかし、世には人に魅せるものをもっていない(ようにみえる)人だってたくさんいるのだ。
わたしはこころから思うのだが、人に魅せるものなんて持っていなくてもいいのだ。日々をなんとか生きている、それで十分だ。

日々をなんとか生きているだけでは、つらい。そう、つらいだろうと思う。そこは踏ん張りどころだ。でも、踏ん張れないからといって、メジャー志向に走っては、メジャーの運動に巻き込まれるだけだ。だから、マイノリティーの人たちはなんとかかんとか踏ん張ってほしいと思う。

日々の塾の指導のなかで、わたしが一番気になるのは、教室内に数人だけいる、その場に居辛そうな子たちである。わたしは絶対にそういう子たちの一番の味方になりたいと切に思っている。

これは余談だが、数年前から、障害者を「障がい者」と表記する動きがある。(中学の公民教科書でもそうだ。) 「害」という漢字はイメージ悪いからだと思うし、これを最初にひらがなにしたほうがいいと思った人の心情を察することはできる。でも、教科書に載ったりして、この表記自体が市民権を得てしまったらなんか違うなあという感じがするのだ。この違和感は、これまでわたしが話したこととっても関係がある気がする。
by terakoyanet | 2007-06-26 11:12 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)