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7月30日の雑感

今年の夏期講習は楽しいです。
子どもたちの宿題達成度が高いし、子どもたちの笑顔やさりげない一言に1日で何十回も励まされます。

この時期は実労時間が半日を超えるので、体力的にとてもしんどいです。
しんどいしんどいと思わず心の中でつぶやきながら、でも目の前に子どもたちがいるから頑張れます。

それにしても、中3は夏期講習に入って1週間、すでにかなり進捗しました。
今日、ご家庭にメールをしましたが、一部の生徒はもっと教室開放を活用してほしいと思います。

中1・中2も雰囲気よく進んでいます。
合宿も迫っていて、雰囲気に活気があります。

今日の夜、しんどかった1日の授業が終わり、なんとか持ちこたえたぞとスマホの画面をのぞくと、
翻訳者・作家の村井理子さんが親子の手帖のことをつぶやいてくださっているのを発見。

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村井さん、ありがとうございます!
私、村井さんの本が大好きで、とらきつねでも取り扱わせてもらっているので嬉しいです。
『犬(きみ)がいるから』ぜひ読んでみてください。「考える人」の連載「村井さんちの生活」にも日々じんわりさせてもらっています。

村井さんのおかげさまだと思うのですが、amazonでも2部門ベストセラー1位。出会ってくださった方もありがとうございます。





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by terakoyanet | 2019-07-30 23:51 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

夏期講習始まる。

夏期講習が始まりました。
中学生全学年全科目をほぼひとりで指導しているので忙殺という言葉がふさわしく
たくさんの質問等にお応えするのが遅くなり申し訳ありません。

今年は中3が部活動が終わっていない生徒が多く、いまいちピリっとしていないのが悩みですが、それもあと数日のことだと思っています。

英単語コンクールが今年も行われていますが、中2の昨年との違い(今年はめちゃくちゃよくできている)に成長を感じました。そして中1はやはりすごいです。やらされるのではなく、ちゃんと自分のために勉強するということを知っている子が多い。勉強は苦しいけれど、同時に楽しいことでもあるのを知っているのは幸せですね。


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by terakoyanet | 2019-07-26 08:36 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

先月の末に、唐人町に住むあるお父さんからメールをいただきました。
とても嬉しい内容でしたので、紹介させてください。

・・・

突然のメール失礼いたします。

唐人町に住んで、三児の父親をしております。

「親子の手帖」の愛読者です。


昨週末子どもを連れて「とらきつね」を訪問しました。

上の子が店内にあったお相撲さんの贅肉に頭を巻き込まれた少年のTシャツを気に入って、

その夜、家のホワイトボードに記憶をよびおこしながら書き込み面白がっていました。

下の子がその絵をまた気に入り、笑いが止まらないのです。


「親子の手帖」を読んでいるとき、中学受験を控えた同じ親としても、またかつて子どもだった自分の学生時代の記憶に苛まれて心が締め付けられるような熱いひとときを過ごしました。

鳥羽さんの文章は、そこに居合わせているような情景やまた彼らの情動が直に伝わってくるような丁寧な描写で、一気に読み干してしまいました。

自己や他者の感情を知覚し、またご自分の感情をも具にコントロールする才覚の方なのだろうと察することができました。

俗に言うEQ領域を活性化させるためには本物やいいもの、また「何だこれは?」というようなわけのわからないものを見ることだと聞きますが、その部分に引かれてか私もかねてから気になっていた「とらきつね」に足を運ぶ機会となったわけです。


月曜日の夕方、仕事から帰ると、下の子が散歩に行きたいというので近くを廻ろうと連れ出しました。

その道すがら、「あそこの角に行きたい」と言い出しました。とらきつねです。

おそらく今日は休みだろうと記憶していたのですが遠くはない、ひとまず行ってみようと方向転換です。

子どもはいつもはよくしゃべり冗談を言って笑わせるようなユーモアな童子ですが、この時は何も言わず黙々と前を見て歩みを強めます。

何に突き動かされているのでしょう。

やはりお休みでした。

「帰ろっかー」

「うん。でもほらあれ、見えるねー」

と、お相撲さんのTシャツを指さしてニヤニヤ私の方を見上げます。

あ、そうか。

これか。

お店の事を〝不思議なものと例えられていましたね。


・・・・学習塾というのは勉強を教えさえすればいいし、社会性や道徳について語りだすような塾はかえって信用ならないとさえ思っています。ではなぜこんな余計なことをしているのかと言えば、生徒が通う教室のすぐそばにとりあえず不思議なものが転がっていればいい。そうすれば、匂いに引き寄せられて、必要な人が必要なものと出会うだろうと思い、店やイベントを運営するようになりました。


「勉強」という大きな鉄壁に小さなのぞき穴があって、風の通る抜け道がある、もしくは別の抜け道がある。

その無鉄砲のような潜在的な配慮なるものがあるだけで安心感、選択肢が拡がる。


何だかわからないけど巨大なプレッシャーから逃げ出せるような、

そう感じて嬉しくなりました。


いつも空いてないけど何か或るぞ…

その匂いに引き寄せられて、私はカレーの壺をいただいて帰り、童子は何かを感じ取ったのでしょう。

一夜明けて再び何があるか、そこに立ち戻るという実行力を見せました。

子どもたちはこの店を不思議がり少し怖がっていましたが、同時に面白がり期待を込めていた情動に、また鳥羽さんの言葉が後から追いついてきて、私の記憶にちょうどはまったものですから私も何か感じるものがあったのでしょう。


とらきつねの訪問後、読み残っていた図書館で借りた「親子の手帖」のもう半分を読み終え、何か教育というようなものを超えた次の幸福論に出会った様な気がしてついつ興奮し、支離滅裂な長文になってしましました。すみません。


灯台の灯りが霧の中を挿していくように、子どもたちが迷った時の希望という目じるしに。

これからも応援してます。

ご縁があればこれからの幸せについてのお話など聞きに参ろうと思いますのでイベント情報などあれば教えてください。ありがとうございました。


・・・


本文中の「お相撲さんの贅肉に頭を巻き込まれた少年のTシャツ」は、たぷの里のTシャツのことですね。
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たぷの里、発売に先駆けて本日の18時から藤岡拓太郎さんの特設ページにて一部公開(ためし読み)される模様です。楽しみです。

とらきつねとたぷの里を通して風の通る抜け道のようなものを感じてくださったこと、うれしく思います。

これからの学習塾は、子どもたちを一方向に導くだけではけっしてうまくいかないと思います。
いままでもうまくいっていなかったはずですが、その不自然を許す時代だったのだと思います。

子どもたち一人ひとりが内観(自分の心の裡を観察)できるようになるよう促すということは、
通常の「教育」の目的には含まれていませんが、私はこのことはとても大切だと思っています。
そのためのさりげない仕掛けを、さまざまな場面で心掛けているつもりです。

こういうはたらきかけ自体はとてもわかりにくいものですから、表面的なもの(子どものやる気・成績など)を見て、
教室を去ってしまう方も時にいらっしゃいますが、それもやむをえないことと理解しながら日々仕事をしています。


『親子の手帖』現在、Amazon3部門トップテン入り(鳥影社1位・親子部門9位・た行の著者5位)で在庫切れ。
こういうときは、とらきつねBASEでどうぞ。送料無料。ご希望があればサインもつけます。(いらないと思いますが。)




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by terakoyanet | 2019-07-05 13:07 | とらきつね | Trackback | Comments(0)

子どもが進路を決めるとき、部活動や塾を続けるかどうか迷っているときなど、子どもが何らかの選択をするときにに、
昔の親だったらこうしろと押し付ける傾向が強かったが、いまの親はむしろ手放しで子どもに決めさせる人が多くなっている。

子どもの希望通りにすることは、子どもの希望をかなえ、尊厳を守るという意味でとても大切だが、一方でなんでも必ず子どもの希望通りにすればよいというものではない。

子どもは判断を誤る。それで学ぶことも当然ある一方で、そのせいで大きなチャンスを逃すこともある。
だから、子どもの希望に対して疑問がある場合は、大人はちゃんと干渉する必要があると思う。

子どもの希望どおりにすることがもてはやされているときに、目を凝らすとどうしたらいいかわからない大人の姿が見え始めることがある。どうしていいかわからない自分を隠すために、判断から逃げるために、子どもの希望に異議を唱えない大人がいる。これは子どもを不幸にする。少なくともその子を幸福へ導くことはできない。

でも、大人だってわからないのはあたりまえだ。未来のことなんて誰にもわかるわけがないのに、大人はどうしてそうやって責任を取ろうとして自分を責めるのだろう。
わからない大人と子どもがどうすればよいかといえば、結論が出なくてもいいからしっかり話すことだ。当たり前のことだけど、話す過程があったという事実自体が、判断後の子どもを支える。だからすっきりとした結論が出ることにこだわらず、まずは話してみることが大切である。


具体的な判断のしかたとしては、そのときによってさまざまだが、ひとつの指標として、外的要因と内的要因とがある。

たとえば塾をやめたがっている子が、「塾の先生の教え方が悪く、教室の雰囲気が悪い」と言っているなら、それは外的要因である。
こういう場合は、塾を変えれば問題が解決することが多いので、早めに(できれば受験生の学年になる前に)変えた方がいい。

同じく塾をやめたがっている子が、授業がどうとかというよりは「宿題がきつい」「最近授業についていけない」「部活との両立が大変」と自分を主語にして要因を語る場合、これが内的要因である。
この場合は、塾をやめても何も状況は変わらないので、いまの生活を見直すことから始めるしかないし、塾のスケジュールがきついなら、教室にお願いすれば相談に乗ってくれるはずだ。内的要因が原因なのに外的なものをバサバサと切っていくと、その子はどんどん弱くなってしまうのは目に見えている。むしろ、こういう状況の私でも、何かを続けることができるという経験をすることが大切だと思う。

実際には外的要因と内的要因が絡まっていることも多いので、その点を整理する意味でも、大人が子どもからよく話を聞くことが求められている。


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by terakoyanet | 2019-06-30 16:59 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

今年もGW明けから中3特進Sクラスが始動しました。
一昨日は2度目の授業。
数学の2枚のテストは、1枚は全員が合格、もう1枚は4人中3人が合格という好スタートになりました。

昨年度、修猷館高校に全員が合格を果たした特進Sクラス。
でも、そのことは一旦置いて、今年は今年の生徒の特性を見極めながら、指導をしていきたいと思います。

多すぎる宿題を目の前にして、喜々としている生徒たちがかわいらしいです。



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by terakoyanet | 2019-05-18 09:48 | 雑感・授業風景など | Trackback | Comments(0)

新年度の第1週目の授業が終わりました。
今年度は、三牧先生の英語学校をはじめ、いくつも変更点があるため、私たちにとって怒涛の週だったのですが、
皆さまにご迷惑をおかけしながらも何とか切り抜けることができ、少しほっとしています。

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上の写真は最初の新中1授業のようす。
楽しく順調に授業が進んでいます。
ちなみに新中1と新中3は満員のため募集を停止しています。
新中2も満員と言ってもいい人数ですが、あと数人は受け入れ可能です。

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そして上の写真は第1回の国語塾のようす。
本校の大きな特徴とも言える国語塾の授業には、今年も50名以上の中学生が参加しています。


新中3は受験生になり、雰囲気に変化を感じます。
昨年は特進Sクラス生が全員修猷館高校に合格、私立高校の合格実績も過去最高レベルと、中学コースで高い成果を残すことができました。今年も生徒たちといっしょに合格を目指して頑張っていきます。

今年の新中3の素晴らしいところは、自分の努力を恥ずかしがったりする子が少ないこと。
一生懸命勉強してみたら意外と楽しいということをすでに知っている子が多いこと。
今年の特進Sクラス選抜もまもなく行われます。授業開始はGW明けから。楽しみです。


そして、三牧先生の英語も予想はしていましたがとても好評です。
これからも熱く楽しく授業が進みますように。

*新小学6年生[国語・算数・社会・理科・英語/選択可]は男子のみ募集を継続しています。HPの料金は昨年までの金額ですので、詳しい内容はお問い合わせください。


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遅ればせながら、4月13日に行われたトークにお越しいただいた皆さまありがとうございました。
会場に入りきれないほどのたくさんの方に来ていただきました。

『親子の手帖』を携えてのご参加の方も多く、有り難く思いました。
この日の感想については、近日中にご紹介させて頂きます。



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by terakoyanet | 2019-04-18 14:07 | 生徒募集(定員空き状況) | Trackback | Comments(0)

日々のブログ

日々のブログで、具体的な顔を思い浮かべながら、子どもやご家族になんでもないメッセージを送る。
さっきアップしたブログでは


中1は数学がとっても難しかった(というか問題数が多すぎた)ようですが、今回のように学校の平均点が40点台のテストになった場合、点数が取れなかった子どもにご家庭で過剰に「数学だけなんでこんなにできないの?」と言ってしまうと、ほんとうに数学が嫌いで苦手な子になってしまうので、むしろ、取ることができなかった原因を親子でいっしょに考えるスタンスでお話ししてみていただければと思います。


ということを書きました。我ながら余計なことを書いているなと思うのですが、ただ、これだけのことで、助かる子どもがいるのを知っているし、ああそうかと考えてくれるご家族がいることを知って書いています。

伝えたい人に伝わっているという実感がなければ、ブログが12年間続くこともなかったと思います。
直接お話しできなくても、こうして、子どもやご家庭に伝えるツールがあるというのは、とても大切なこと、そしてありがたいことだと思っています。


今日もこちらのページを開いてくださりありがとうございます。
現在カウンターが壊れていますが、2日前くらいにこちらのブログアクセスが累計300万PVを超えました。ありがとうございます。

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ドラパンマン、イエーイ!


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by terakoyanet | 2019-02-27 19:03 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)

本校の中学コースは1年を通して人数がほとんど変わらないので、途中でやめる子も、途中から入る子もほとんどいないように思われることが多いのですが、実際には、年度の途中でも出入りがあります。やめた子がいると、そのあと、待ってくださっていた方がそのまま入ることが多いので、人数にはほとんど変化がありませんが。

本校で途中でやめる子の理由の9割が「授業についていけない」というものです。
ただ、この「授業についていけない」には理由(わけ)があります。

「授業についていけない」と言って途中でやめた子の全員が、月に複数回、多い子は月の半分近くの授業を休んでいるのです。
塾の授業というのは、学校の授業より密度がきわめて高いため、一度休むとそのあとついていくことが大変になることがあります。
一度休むと、その次の授業のパフォーマンス(理解度)は平均して50%ほどは落ちます。パフォーマンスを9割方回復するのは、休んだ授業の3回後くらいです。ですから、回復する前にもう一度休んでしまうと、本当に何をやっているかわからなくなります。
(ただし、これは平均です。学習が得意な一部の子どもたちは、自分ですぐにリカバリーすることができます。)

だから、授業を休むと、授業がわからない、先生の説明が早くてついていけない。そんな気持ちになっていきます。
結果として、ついていけないからやめる、ということになりがちです。

一方で、日ごろ授業を休まない子がついていけないからやめる、と言うことは稀です。
ゼロではありませんが(ときに親の判断でやめさせられる子がいます)、ほとんどありません。

指導者の力量というのは、教室にいる一人ひとりに対していかに働きかけることができるかということです。
成績の上位者に対しても、そうでない子に対しても、できるだけ広い層に、できれば全員に「わかる」授業をすることが、指導者には求められており、それをとことん追求するのが指導者の仕事です。
私は日ごろから子どもたちに呼びかけています。自分を集団のひとりと思わないで。一人ひとりに話しかけて、一人ひとりに教えているんだから、そのつもりで授業を聞いて、と。

そのために、私は、毎年、その年のクラスのレベルバランスに合わせてプリントを作り替えています。
そうしないと、クラスの状況、一人ひとりの状況にフィットしないからです。

その上で、一人ひとりの表情を見ながら授業をして、わからない子が増えたと感じたとたんに、その都度に教え方の修正を図るのが指導者の仕事だと思っています。まだまだ私も未熟ですが、その点について、妥協せずに日々取り組んでいるつもりで、子どもたちにも(全ての子どもではないかもしれませんが)ある程度、その熱意が伝わっているのではないかと思っています。一人ひとりに伝えようとしていること、誰ひとり置いていこうとしていないことがある程度伝わっているから、休まない子が塾をやめることはほとんどないということにつながっていると思います。

それなら休んだ子の補講をすればよい、という話になると思うのですが、中学生に関しては私がほとんどひとりで授業を組み立てており、小学生から高校生まで約150名(のべ数では週に450名)の授業を受け持っているため、いまの体制ではどうしても難しい状況です。(これはこちらの都合であり、申し訳ないと思います。しかし、その体制自体が本校の特徴であり、譲れない部分があるのも事実です。)
ですから、休んでついていけなくなった場合には、その都度単発の個別指導をお勧めすることもあるのですが、塾を休む子たちというのはもともと学校や部活動・習い事のスケジュールに忙殺されているため、それもままならない、というのが現状です。(だから、この記事は、毎日の生活に追われてやむをえず塾を休む子どもや、それを大切に見守っているご家族を責めるために書いたものではありません。)

ですから、本校にこれから入るご家庭を含め、毎回の授業に休まず参加できる、というのを大前提として、授業に参加していただきたいと思います。一度の授業を休むことが子どもに物理的・心理的に与える影響は存外に大きいということをご家庭でもご認識いただいた上で、本校の共通授業(中学コース)には参加していただきたいと思います。


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by terakoyanet | 2019-02-13 08:51 | お知らせ | Trackback | Comments(0)

バカでクソでカス。

ある高校生に聞いた話によると、以前彼女が通っていた英会話学校の代表が、少し前に自らの命を絶つことがあったそうだ。

その50代男性の代表は、長年思慕を募らせていた女性に交際を迫り、ついには、メールの大量送信や私有地への侵入などを行うなどのストーカー行為に至り、そのことで刑事裁判になって執行猶予の判決を受け、そのことが報道等により表沙汰になることで、代表の熱い指導で長年人気を保っていた教室の生徒が激減。判決から3か月経ったある日の朝、自らの命を絶ったそうだ。

その話を聞いたとき私は、被害者の方の心労がどれほどのものかと想像する一方で、この亡くなった代表に対して同情を禁じ得なかった。
いかばかりの絶望が彼を襲ったのだろうと考えると、それは想像を絶する地獄だっただろうことだけははっきりとわかるからだ。

とはいっても、彼が自らの命を絶った本当の理由なんて、誰にもわからない。
どれほど身近な人のやさしさがあっても、誰も彼を救うことはできなかったのかもしれない。

それでも、どうしても考える。
「お前は、バカでクソでカス。でも死なないで。」
執行猶予の判決を受けた彼に、そう叫ぶ人がいたら、もしかしたら、彼は救われなかっただろうかと。



(※話題内容の特定を避けるため、生徒から聞いた話の状況を、大幅に改変しています。)


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by terakoyanet | 2019-01-18 05:48 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback

「役に立つ」とは何か。

昨日、附属福岡小の齋藤先生から「12歳からの哲学」と題した授業にお招きをいただき、子どもたちと話をしてきたのですが(来年も続きます。とても面白かった!子どもたちすごい!授業中の子どもたちの反応もよかったです)、事前アンケートで子どもたちから「哲学は役に立つのか」「哲学をやって利益はあるのか」という質問が届いていたので、それについてお話しをしました。(他にも、プラトン、デカルト、パスカル、スピノザ、ラカンを援用してたくさんのことをお話ししましたが。)

このことについて、以下に少し書きたいと思います。(昨日の説明を少し噛み砕いて話しますから、子どもたちに話した通りではありませんが。)


・・・

まず、「哲学は役に立つのか?」と考える前に、私たちが考えるべきことは、「役に立つ」ということについて、私たちはほんとうにわかっているのか?認識できているのか?という問題です。

老子や荘子の思想から導き出された有名なことわざに「無用の用」というものがあります。これは、「役に立たないように見えるものであっても、かえって役に立っている場合がある」という意味です。例えば、サッカーにおいて、一見、地味なはたらきしかしていないように見える選手を交代させると、とたんにチーム全体のバランスが崩れてしまうということがあります。このようなことは、あらゆるグループや組織において、たびたび起こり得ることです。

勉強や仕事においても、一見無駄に見えることが役に立つという例は枚挙に暇(いとま)がありません。
私はこれまで700人もの受験生たちを直接指導してきましたが、中には、何事もできるかぎり効率よくやろうとする子がいます。効率よくやること自体は間違いでないのですが、ある子は、自分が役に立ちそうだと思うことしかやろうとしません。大切なこと、役に立つことに絞って、労力を節約しようとするあまりに、結局のところ、大切なことを取りこぼしてしまうのです。そういう子は、いつまでも成績が伸びません。

その子に欠けているのはきっと、自分が「役に立つ」ことを完全には認識できないという謙虚さです。私たちが自分の手で掴める「役に立つ」ことなんて、本当に役に立っていることのせいぜい1/10程度なのではないでしょうか。私たちが1割程度しか「役に立つ」を掴んでいないとすれば、「役に立つ」に拘る(こだわる)あまり、残り9割の「役に立つ」を逃してしまうのは畢竟(ひっきょう)当然のことです。

だから、無用の用を知り、無駄を厭わない人は強い
そして、自分が「役に立つ」ことを完全には認識できない、このことを身にしみて知るために「哲学」はきっと役に立ちます。




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by terakoyanet | 2018-12-20 12:29 | 寺子屋エッセイ(読み物) | Trackback | Comments(0)